旅を終え 憂いを離れた 阿羅漢に 悩み苦しみは 存在しない(90)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします


ガタッディノー  ウィソーカッサ
Gataddhino    visokassa,
旅を終え     憂いのない

ウィッパムッタサ  サッバディ
vippamuttassa    sabbadhi;
解脱した       一切処で

サッバガンタッパヒーナッサ
Sabbaganthappahīnassa,
一切の束縛を捨てた者には

パリラーホー  ナ    ウィッジャティ
pariḷāho      na    vijjati.
苦悩は     ない   見出され


○直訳
旅を終え、憂いのない
一切処で解脱した
一切の束縛を捨てた者には
苦悩は見出されない


○一口メモ
ダンマパダには423の短い詩が集められています。それらの詩は26の章に分類されていますが、始めの7章で仏教の基礎的な事柄、学ぶべき事柄は全て述べられているのです。これ以上、知識的に学ぶ必要はないと言えると思います。あとはブッダのこれまでの教えに従って実践するのみです。8章以降は仏教の応用問題だと心得て下さい。

1章から昨日学んだ6章までを復習してみましょう。
第1一対の章、仏教が教える大原理を10対の詩で宣言したものです。
第2不放逸の章、仏教の修行法の第一課題が不放逸です。
第3心の章、仏教の研究対象は心なのです。この心を知るための章です。
第4花の章、花を譬えにして、仏教を学ぶ心構えについて述べています。
第5愚者の章、現状の自分を正しく認識するための章です。
第6賢者の章、愚者が賢者になるため、そして賢者が修行を完成するための章です。

第1章から第6章まで進むと、第7阿羅漢の章になるのですが、修行を完成すればどうなるのかという目標のイメージとして学べばよいと思います。私も阿羅漢については詳しくかけません。詩の言葉にそって説明するのみです。

それでは、90番について説明しましょう。
「旅」は「仏教修行の旅」です。「終え」は「完成して」、つまり修行を完成させて、「憂いのない」は「心の苦しみのない」という意味です。「一切処で」は全ての場所、すべての分野で」という意味です。「解脱した」とは束縛から離れて自由になったということ。「一切処で解脱した」は「すべての分野の束縛から離れて自由になった」いうことです。

すなわち、修行を完成させ、心の苦しみにない、すべての分野で束縛から自由になり、すべての分野での束縛を捨てた人には、悩み苦しみがない」すなわち「阿羅漢には苦しみがない」ということです。

それは私たちが仏教を学び修行する目的ですから、私たちも阿羅漢を目指すべきではないでしょうか。

「旅を終え 憂いを離れた 阿羅漢に 悩み苦しみは 存在しない」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_6.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_10.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月03日 05:51
おはようございます。

各章の構成も考え抜かれていて、ダンマパダは奥が深いですね。全部暗記できたらなあと思うのですが、難しいです。
いろはカルタのように、ダンマパダもカルタがあったいいのに、と思ったことがあります。遊びながら覚えられるから…。

ここ数日、ちょっと悩み事があって鬱々としていましたが、毎日このブログを読むことで少しずつ心が整ってきました。
まさに、「困ったときにダンマパダ」です。

長い旅を終えた旅人のように、荷物を下ろして解放されたらどんなにいいだろうか…と思います。
努力家の友人がいて、いっしょに旅行した時に、長い坂道でバテ気味の私を、「右足と左足と交互に前に出せば着くからね」と励ましてくれたことを思い出します。
休まず歩くことが大事なのですね。
とも
2012年06月03日 07:00
おはようございます
 阿羅漢にならなければ悩み苦しみが完璧にはなくならないのに、自分が悩み苦しみがあるのは当然です。なのにちょっとした悩み苦しみがあるだけで落ち込み元気をなくしてしまいます。悩み苦しみがあっても当たり前だ、と思い元気に生きていきたいと思います。
皆様が 幸せでありますように
nori
2012年06月03日 07:40
おはようございます。
苦しみを乗り越えたいです。
体、心が感じる生きていたいという渇愛、苦しみを知りたくても、実際には、妄想思考や人間関係からの苦しみばかりです。
苦しみのもとを探しているつもりでも、自分の都合で、自分の解決できる範囲で探しているようです。
私の準備が整うまで、本当の苦しみには巡り逢えない気がしています。
この気持ちも精進ではない、怠けかもしれません。
どんなときでも、強く明るく幸せに過ごされている方を尊敬します。
あすか
2012年06月03日 08:19
ダンマパダは短い句の中に
エッセンスが凝縮、しかも
きちんと整理されていて。
日々見直すにはいいですね。

阿羅漢まではまだまだですが
旅の道中をも楽しむつもりです。
参考記事で先生も仰るとおり
困難や問題もゲームの課題、
クリアしたら次のステージ、
くらいのつもりで逃げず恐れず
前向きに取組みます。

カエル君のお友達、いい言葉ですね。
階段など、もう無理というとき、
歩く瞑想を思い出し、右、左、
とやっていくと何とか最後まで
がんばれます。

遠くを見て無理だと諦めるのでなく
ここからまず一歩踏み出します。
今日も皆様がいい方向に
進んで行けますように。
ぱん
2012年06月03日 12:04
先月学んだ愚者の章にもっとも共感を覚えた私には、阿羅漢の章なんか遠い遠いことで、関係ないと思ってます。しかし、目標をはっきりさせることは、そこに向かって行く動機にもなります。『ブッダの実践心理学』第二巻に仏随念という修行法の説明があり、ミャンマーなどではブッダ第一の徳の阿羅漢を思い浮かべるのがポピュラーだと読んだことがあります。どういう意味かよくわからなかったのですが、今回の説明を読み、その理由が分かったような気がしました。
こころざし
2015年11月06日 12:54
阿羅漢を是非目指したいです。ですが、日常の中で心の成長不足を感じる言動を普通にする自分がいます、反省致します。
自分の生き方が伴うような状況になるように日々・その時の言動を戒め、そして成長して「阿羅漢を目指してます」と恥かしくなく言えるように精進したいです。