善いことは すぐにやること 今すぐに 急がなければ 悪がのさばる(116)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アビッタレタ    カルヤーネー
Abhittharetha   kalyāṇe,
急ぐように     善を

パーパー   チッタン   ニワーライェー
pāpā      cittaṃ    nivāraye;
悪から     心を     守るように

ダンダン   ヒ      カロートー    プンニャン
Dandhañ   hi       karoto       puññaṃ,
緩慢に   なぜなら   行うならば    善を  

パーパスミン   ラマティー    マノー
pāpasmiṃ     ramatī     mano.
悪において    喜ぶ      意(心)は


○直訳
善を急ぐように
悪から心を守るように
なぜなら、緩慢に善を行うならば
心は悪において喜ぶ


○一口メモ
今回の詩を読んで、「善は急げ」という諺を想い出しました。そこで、この諺はどこからきたのか調べた所、ダンマパダのこの116番の詩から来た諺だと分かりました。やはり、智慧の教えと言うものは、ブッダの言葉からくるものが多いのだなと思いました。

この詩では、「善は急げ」の次に、「悪から心を守れ」と教えています。
さらに、なぜ、善は急がなければならないについても教えています。
善を急がないと、心は悪に向いて、悪を楽しいでしまうと言うのです。

前々回は皆さんに、なぜ心は悪に向いて、悪を楽しんでしまうのか考えてもらいましたが、今回は私がすぐにお話ししましょう。

心は何か刺激を受けると、その刺激が好ましいものであれば、もっと欲しい、その刺激が続いてほしいという欲が現れます。逆に好ましくないもの、嫌なものであれば、反発心や怒りが現れます。刺激が好ましくも、嫌なものでもない時は、無関心やわがまま、怠けが現れるのです。欲や怒りやわがままや怠けの心があるときの行為はすべて悪行為なのです。これが凡人の普通の心のありかたなのです。ほっておけばこのようになります。

ですから、何か善いことをしようと思った時は、その時を逃がさずに、普通の状態すなわち、悪を行わないように、善行為を急がなければならないのです。

しかし、善行為をしてしまえば、善行為をしたという満足や充実感を得て、さらに、善行為をする力を得るのです。善は急ぐことで、心は守られ、成長し、向上します。

心を育てようと思わなければ、心はいつも悪に向いていますが、心を育てようと志した人の心は、善と悪のせめぎわいの状態にいるのです。ですから、志ある人は念(サティ、気づき)を持って、心が悪に向かわないように、善に向かうように気づいている必要があるのです。そして、どんな時も悪に向かわないように、善に向いているように心を躾けるのです。それが、無理なく、自然にできれば修行の完成です。

いつの間にか、「第8 千の章」が終わって、「第9 悪の章」になっています。


「善いことは すぐにやること 今すぐに 急がなければ 悪がのさばる」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_22.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_29.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月29日 06:25
おはようございます。

夕べ、夕飯の後に夜食を食べたくなりましたが、我慢してやり過ごせました。
煩悩との戦いは、一瞬一瞬ですね。
今日も一日頑張ります。
とも
2012年06月29日 07:03
おはようございます
昨日の悪行為を懺悔いたします。
善を急ぎます。
「困ったときはダンマパダで、困ったときこそ出発点だ」
2012年06月29日 07:11
全くこの偈はその通りですね。僕等時間がある時など結局瞑想する事は「後回し」にしてしまいますから。
あすか
2012年06月29日 08:19
常に心を観察するようにしたら
こんなに悪い心だらけなのかと
がっくりきたものですが、
ごく自然なことなのですね。

行動や言葉であれば未然に
防げるようになって来ましたが
思考はとても早くて難しいです。
欲も怒りも怠けも大きくなると
消すのが大変。
いかに早く気づくかが課題です。

今日、今は頑張ります。
そして、それを続けていきます。
noritarou
2012年06月29日 09:52
無始なる過去よりとんじんちの衝動で輪廻転生してきた生命である私は、五門から得た情報を認識し、それをねつ造し、反応し、感情に操られます。その反応の繰り返しは性格となり、とても変え難いものです。
いまこの1瞬間の中に、無明を主とした、一体どれだけ多くの煩悩があるのでしょうか。
気付いていないと、それら煩悩に瞬間に呑み込まれてしまい、感情的になってしまいます。
善行為とは、三毒と、それによる苦しみの成り立ちを知り、身口意において、その悪行為を避けるように気をつける(サティ)ことだと思いました。私には怠けと、怒りと、慢の性格が根強くあります。
精進して、少しでも性格を直してゆきたいと思います。
超越した智慧に達するための方法を示してくれるワンギーサ先生のブログは、素晴らしいです。有難いです。
慈悲と智慧
2012年06月29日 11:55
遅くなりましたが、あすかさんレスありがとうございます。

今日、事故で幼い長男を事故で無くして育児のやる気が起こらず、インターネットにのめりこみ(要は酒びたりと同じですね)今度は次男を餓死させてしまった母親のニュースがやっていました。

理不尽な出来事にあっても善は急げなのでしょう。
私は、他人だから簡単に言えるといわれればそれまでですが…。
ささ
2012年06月29日 14:06
悪が強いのは身に染みて分かります。昨日コメントした原始脳に負けないこと、二の矢に打たれないことなどは、負けてる、打たれてる状態だと気づいてから、ようやく、負けっぱなし、打たれっぱなしから脱出せねば…という具合です。

なので、善と悪のせめぎ合いができてる状態が、今の自分には善い状態なのかもしれません。悪に流されっぱなしにならない様
気づきを保ち、善は急げと心がけていきたいと思います。
ホセ
2012年06月30日 01:08
はじめまして。半年前からテーラワーダ仏教の勉強をしています。これまで何度かゴータミ精舎のほうへ行って瞑想なども体験しました。

ワンギーサさんや長老の話から学習して、頭の中では理解はしていることでも肉体が疲労すると、理性とは反対のことをしてしまいます。慈悲の瞑想が足らないのでしょうか。なんにせよ、少しずつでも精進していこうと思います。
こころざし
2015年11月15日 13:05
協会の催しに参加させて頂くと、よりもっと心を成長させたいと実感する機会になります。もし留まっていたら、色々と物惜しみ・・の方に心が行きかねないと思います。
停滞するような間を作らないように、精進して参りたいです。