飛ぶ鳥の 足跡解らぬ そのように 食に頼らぬ 心解らぬ(93)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤッサーサワー   パリッキーナー
Yassāsavā       parikkhīṇā,
彼の煩悩が      滅尽し

アーハーレー   チャ   アニッスィトー
āhāre        ca     anissito;
食物おいて    そして  依存しない

スンニャトー  アニミットー  チャ
Suññato     animitto     ca,
空        無相      と

ウィモッコー  ヤッサ  ゴーチャロー
vimokkho    yassa   gocaro;
解脱       彼の   境地

アーカーセー   ワ    サクンターナン
Ākāse        va    sakuntānaṃ,
空の        ように  鳥の

パダン  タッサ  ドゥランナヤン
padaṃ   tassa   durannayaṃ.
足跡   彼の   知り難い


○直訳
彼の煩悩が滅尽し
そして食べ物に依存しない
空と無想、解脱は彼の境地
空の鳥のように
彼の足跡は知り難い


○一口メモ
今回の詩も阿羅漢の特質について述べられています。
「彼の煩悩が滅尽し」は「阿羅漢の煩悩はすべて消えてなくなっている」です。
「食べ物に依存しない」の食べ物は口から入る物質の食べ物の他に、心の食べ物もあります。心も外部からエネルギーを取らなければ生きていけないのです。しかし、これらの食べ物に依存しないということは、生きていきたいと欲求からがなくなって、それらから自由になっているということです。

「空と無想、解脱は彼の境地」は阿羅漢の境地を三解脱で説明しています。三解脱は、①空解脱、②無相解脱、③無願解脱です。

①空解脱とは、執着が空であると見て解脱することです。心も身体も無我だと見て、智慧により生じる解脱です。無我を体得していますから、自我への執着はありません。

②無想解脱とは、相(特徴)にとらわれずに解脱することです。心も身体も無常だと見て、智慧により生じる解脱です。物事を固定的にみるという誤った見方がありません。ですから、すべての誤解に基づく悩み苦しみはないのです。

③無願解脱とは、望まないことにより解脱することです。心も身体も苦だと見て、智慧により解脱することです。渇愛はありません、だから、苦はなく、蓄えることもありません。

すなわち、「空と無想、解脱は彼の境地」とは、阿羅漢は三解脱により、無我、無常、苦という真理の三相を体得し、すべての束縛を捨てて、すべてに依存することなく、自由であるということです。

「空の鳥のように、彼の足跡は知り難い」は、「空を飛ぶ鳥の飛ぶ跡は分からないように、阿羅漢の境地は、凡夫には知りえない」と言うことです。


「飛ぶ鳥の 足跡解らぬ そのように 食に頼らぬ 心解らぬ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_9.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月06日 05:51
おはようございます。

執着もまた空なのですね。

昨日の詩を読んで、また少し部屋を片付けました。蓄えない、というひとことに押されたのだと思います。
もうすでに、相当数物を減らしてあるので、まさに執着との戦いでした。

今死んだとして、私の荷物を整理してくれる人が大変でないように…、と考えると、いま必要なものだけ残せる気がします。
ぱん
2012年06月06日 07:11
今までいろいろな目標を達成してきましたが、どれも最終目的地ではありませんでした。解脱こそ最終目標。仏徳第一「お釈迦さまは阿羅漢」ということ、そのありがたさがわかってきました。阿羅漢目指してがんばります!
あすか
2012年06月06日 07:56
昨日の思食と識食の違い、
調べてもわかりませんでした。
どう違うのでしょうか?

***

心のエネルギーについても
降り過ぎはいけませんね。
食事と同じように必要な分だけを
感謝していただきます。

カエルくんに刺激され今日は片付け。
カエルくん、ありがとう。
(これはよい刺激ですね^^)
不要な物は処分したのですが、
常備品の在庫が多すぎ。
不安の投影かもしれません。
それから置き方。目への刺激が
少なくなるよう整理します。
善友っていいですね。
皆様が良い方向に進めますように。
noritarou
2012年06月06日 10:11
>生きていきたいと欲求からがなくなって、それらから自由になっているということです

生きていきたいという欲求がなくなるとは、煩悩が滅尽するとは、想像も出来ません。私に出来ることは、対症療法的に、もぐらたたきのように、出てきた煩悩や感情を、感覚を通して観察することだけです。
たとえば修行によって、呼吸を止め、心臓を止めることも出来ると聞きました。それが目的ではないでしょうが、そうした善行為によって心をコントロールしている人生では、一体、どれだけの自由を感じることが出来るのでしょうか^^知り難いです。
ワンギーサ
2012年06月06日 12:48
あすかさんの質問のお答えします。
思食:パーリ語ではマノー・サンチェータナー・アーハーラですから意思食の方がよいかもしれません。意思のことです。見たい、聞きたい、食べたい、歩きたいなどの意思があって私たちは行動しています。生きる行為のすべてを行わせる衝動は意思です。これが心のエネルギーになるということです。
識食:認識のことです。何かを知ることが心のエネルギーになるのです。

心は「接触」と「意思」と「認識」をエネルギーにして生きているのです。これらがなくなれば心は死にます。しかし、実際にはこの3つはありますから、心は消滅を繰り返しながら、生き続けるのです。
ワンギーサ
2012年06月06日 13:04
あすかさんへ。
テーラワーダー仏教の専門用語は次の辞典が参考になります。ただし、解説も専門用語で説明されていますから、難しいところもあります。
ポー・オー・パユットー著
仏教辞典(仏法篇)
発行所:(株)サンガ
定価:本体5200円+税
カエルくん
2012年06月06日 18:35
あすか様

なんだか片付け仲間ができた気持ちです(*^^*)

もともとの私は決して整理上手ではありません。
仏教のおかげでがらくたの山から脱出できそうなこと、感謝いたします。
あすか
2012年06月06日 19:14
ワンギーサ先生、お忙しい中、
早速のお返事ありがとうございます。
辞典の紹介もありがとうございます。

ネットは便利ですが玉石混淆なので
誤った情報なのではないかと
いつも困っていました。

ポー・オー・パユットー氏の著作、
いくつかあるようですね。
naagitaさんもすすめてらっしゃる
『仏法』も読もうかと考えています。
こころざし
2015年11月07日 13:19
本文の、阿羅漢の境地の三解脱を是非目指したいです。

ほんの僅かその状態的なものを感じる事が出来たとしても、心が伴うのはかなり先・・になるように思います。
冥想実践をして少しでも近づけるように努力致します。