制御され 感覚静まる 阿羅漢を 煩悩ないと 神も羨む(94)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤッスィンドゥリヤーニ  サマタンガターニ
Yassindriyāni        samathaṅgatāni,
彼の諸感官は       静まっている

アッサー  ヤター    サーラティナー   スダンター
assā     yathā     sārathinā       sudantā;
馬      のように   御者によって    よく調御された

パヒーナマーナッサ   アナーサワッサ
Pahīnamānassa     anāsavassa,
捨て  慢心を     煩悩のない

デーワーピ  タッサ  ピハヤンティ  ターディノー
devāpi      tassa   pihayanti     tādino.
神々も     彼を    羨む      そのような


○直訳
御者によってよく調御された馬のように
彼の諸感官は静まっている
慢心をすて、煩悩のない
そのような彼を神々もうらやむ


○一口メモ
この詩も阿羅漢の特質を説明しています。諸感覚がよく静まっていると言うのが阿羅漢の重要な特質です。スマナサーラ長老は「静まっている」を「落ち着いている」と表現されている。すなわち阿羅漢には驚くほどの落ち着きがあるということです(前回の記事にアドレスあり)。

私たちの心は、92番、93番で説明したように、接触、意思、認識をエネルギーにして活動していますが、それは六つの感覚器官(眼、耳、鼻、舌、身、意)から取り入れているのです。通常はこれらのエネルギーを制御しないで諸感覚器官から取り入れていますから、心は忙しく、騒がしく、落ち着いていないのです。ですから、心は正しく活動していないのが私たちの現状です。

静かな場所で目を閉じて瞑想すると、目を閉じていますから、目からの情報(エネルギー)は入ってきません。
人間の場合の入力情報は、目から全体の70%、耳からは20%、残りの感覚器官からは10%くらいと言われています。ですから、目を閉じると70%入力情報がカットされます。そうすると、それに基づく思考による心の活動は減少します。脳波で観察するとその現象がよく分かるようです。すなわち、思考が活発であるときの脳波はベーター波中心ですが、目を閉じると落ち着いた状態ではアルファー波中心には変わります。瞑想中は目を閉じた方がよいことが分かります。

耳からとそれ以外の情報はカットしていませんから、心は他の情報に基づいて活動しています。日常生活では目からの情報もありますから、心を静め落ち着かせるためには、六つの感覚器官で情報の防護が必要なのです。感覚の防御のためには、正念正知が必要です。すなわち阿羅漢は常に正念正知があり、感覚の防護をしているということです。(もしかすると、煩悩がないので、感覚の防護をする必要がないのかもしれません。)

さらに、捨てることが難しい頑固な慢心(慢:自分と他人と比較する煩悩)という煩悩を阿羅漢は捨て、すべての煩悩がないのです。このような阿羅漢を、幸福の多い神々もうらやましいと思うのは自然なことです。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_13.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年06月07日 06:19
おはようございます。

やはり阿羅漢の章は難しいですね。
遠い物語を聞いているような気がしてしまいます。

でも千里の道も一歩から。
正念正知を心掛けて頑張るしかないのですね。

仕事中、歩くときなどサティを心掛けています。それだけでもずいぶんと落ち着きます。
24時間、正念を保っていられるなんて、どれだけ意志が強いのだろうか…と思いますが、そういう方と自分を比べてあきらめたりせずに、一歩一歩頑張ります。
ぱん
2012年06月07日 09:11
今日の法話、アルファー波という科学用語が出てきました。今は科学系の会社に応募書類を書いています。ワンギーサ師の「なぜ、出家したのか」『パティパダー』2004年8月号の『理由四。定年を迎えること。』をお手本に、経済を強めます。
あすか
2012年06月07日 09:46
五感に刺激が触れる状態で制御可能とは
阿羅漢の方々を尊敬致します。
物理的に目や耳からの刺激を遮断しても
今後は妄想が次々あふれでてきます。
特に慢と物惜しみが手ごわいです。

科学といえば脳科学の分野で
瞑想時の脳の状態などが
注目されているようですね。
二千年以上も前から
このようなことを語っておられた
お釈迦様はやはりすごいです。

カエルくん、私も片付けニガテでした。
物だけでなく心も後悔や不安だらけ。
物と共に心のいらないものも減り
だんだん軽くなってきました。
今日も心と環境の整理整頓です。^^
noritarou
2012年06月07日 10:21
ワンギーサ様、ブッダの教えを考える機会を与えて頂きましてありがとうございます。
今朝、私は、今まで目を通して、何も見ていなかったんだなぁと思いました。万物がある世界で、「私」だけの世界は小さすぎます。感覚を制御する、と「私」を滅するとは、両輪のように感じます。
阿羅漢の方々、素敵ですね☆
ぱん
2012年06月07日 21:22
追加、目からの情報を遮断することが、悟りに必要だということは、とても納得できました。禅では目を閉じません。しかし面壁ですから、視覚に入る情報は限られています。壁をまぶたと考えることもできます。
ぱん
2012年06月08日 06:17
ワンギーサさん

質問です。アルファー波という話で、無所有処や非想非非想処といわれるより、ブッダは禅定中〇〇波まで出せたといわれたほうが、今の日本人にはわかりやすいと、思いました。ブッダは一体何波まで出せたのでしょうか?
ワンギーサ
2012年06月08日 10:01
ぱんさんの質問にお答えします。
先ず、ぱんさんは勘違いしていることを指摘しておきます。
通常、心は脳を通じて機能しています。しかし、禅定状態では脳は働いていません。心のみが働いているのです。脳はただ生きているだけですから、眠っている時の脳波を示すと思います。さらに高いレベルの禅定では死んでいると同じ、つまり脳波はない状態だと思います。
ぱん
2012年06月08日 23:51
ワンギーサさん
勉強になりました。ありがとうございます。仏法僧に感謝します。
こころざし
2015年11月08日 11:04
本文の「常に正念正知があり、感覚の防護をしている(又は煩悩がない)・・慢心・・を捨て、すべての煩悩がない」状況の阿羅漢でしたら、心は何時も安定していると納得に感じます。
また、思考が活発な時は安らぎは感じないと実感しています。そのような時の脳波がβ波と拝見し、そうだよねと思いました。
阿羅漢の境地に少しでも近づけるように、感覚を防護して参りたいです。