阿羅漢の 心は静か 行いも 話す言葉も 穏やか静か(96)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


サンタン  タッサ  マナン   ホーティ
Santaṃ   tassa   manaṃ   hoti,
寂静で   彼の   意は    ある

サンター  ワーチャー  チャ  カンマ   チャ
santā     vācā       ca   kamma   ca;
寂静で   言葉は     と  行為は   と

サンマダンニャー  ウィムッタッサ
Sammadaññā     vimuttassa,
正しい 智慧で    解脱した

ウパサンタッサ  ターディノー
upasantassa    tādino.
寂静である    そのような人は


○直訳
彼の意は寂静である
言葉と行為は寂静で
正しい智慧で解脱した
そのような人は寂静である


○一口メモ
今回の詩は徹底して、阿羅漢の特徴を寂静という言葉で表現ています。

「正しい智慧で解脱した」の正しい智慧とはどのようなものでしょうか?
自己の内外の現象が無常だとありのままに観察し、理解し、一切の執着をなくすことです。
自己の内外の現象は苦だとありのままに観察し、理解し、一切の渇愛を捨てることです。
自己の内外の現象は無我だとありのままに観察し、理解し、自我への執着をなくすことです。

阿羅漢は渇愛、執着がないから、意(心)は寂静です。
阿羅漢は心が寂静ですから、言葉も寂静です。
阿羅漢は心も言葉も寂静ですから、(身体の)行為も寂静です。


「阿羅漢の 心は静か 行いも 話す言葉も 穏やか静か」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_12.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_15.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

とも
2012年06月09日 05:31
おはようございます
やはり心ですね。
私は物作りをしていますが、その時の心の状態が出来上がった物に現れる気がします。
どう頑張っても心を隠し通すことは出来ないですね。

一つ質問があります。
人間の心は生まれたときはみんな同じく清らかで、大人になるにつれて汚れていく、と聞いたことがあります。本当のところはどうなっているのですか?よろしくお願いします。
カエルくん
2012年06月09日 05:43
おはようございます。

食べ物の適量を知るのが苦手です。
お腹がすいて食事をするときは、夢中になっている自分がいます。
一口ごとに箸を置こうと思い、箸置きを買いましたがなかなか実行に移せません。
この欄に書くと、奮起できるので書かせてもらいました。
落ち着いた気持ちで食事ができるよう、がんばります。
あすか
2012年06月09日 07:10
タイトルはワンギーサ先生が
考えてらしたのですか。
ポイントをおさえて
リズムよくまとまっているので
句集の形の訳書があって
引用していると思っていました。
覚えやすく大変たすかっています。
ありがとうございます。




noritarou
2012年06月09日 10:54
おはようございます。
智慧に従うと徹底的に静かになるのでしょうね。
頭で理解するのと体験するのとでは、天地の開きがあります。
感覚を通して苦、無常、無我を理解は出来るような気がしますが、どのようにしたら体験出来るようになるのでしょうか。

感覚を通して
ワンギーサ
2012年06月09日 14:39
ともさんの次の質問にお答えします。「人間の心は生まれたときはみんな同じく清らかで、大人になるにつれて汚れていく、と聞いたことがあります。本当のところはどうなっているのですか?」

回答:生命が死ぬ時の最後の心は死心と言います。生まれる最初の心は結生心といいます。死心と結生心は同じ内容の心です。死心は過去のいろいろな業に基づいて出来ています。ですから、結生心も過去のいろいろな業に基づいてできたものです。結生心はその後、有分心(潜在意識)と言われるものになって生涯続いています。ですから、赤ん坊も前世の心の汚れ(煩悩)はそのまま持っています。ただし、身体は新生されますから、身体に基づく心の汚れはなくなると思いますが、そうではない心の汚れは前世のものがそのまま続くと思います。
ワンギーサ
2012年06月09日 14:45
noritarouさんの次の質問にお答えします。「感覚を通して苦、無常、無我を理解は出来るような気がしますが、どのようにしたら体験出来るようになるのでしょうか。」

回答:ブッダの教えるヴィパッサナー瞑想の実践により苦、無常、無我の真理を体験できます。


とも
2012年06月09日 15:36
先生 ご回答ありがとうございました。
納得できました。

カエルくんさん
食欲を抑えるのは難しいですね。私もしょっちゅう負けてしまいます。ほかの欲はかなり減ったのですけど、食欲だけは、、、 お互い頑張りましょう
noritarou
2012年06月09日 18:05
ワンギーサ先生、ご回答ありがとうございます。
ヴィパッサナー瞑想を、1日24時間実践出来るように精進して、気をつけたいと思います。不放逸を保てるように気をつけたいと思います。戒律を守れるように気をつけて、邪見に陥らないように、慈悲の瞑想も実践します。ありがとうございました。
カエルくん
2012年06月09日 19:21
とも様

エールをありがとうございます。(*^^*)
今日はコメントしたばかりなので、実況中継をしながら食べられました。
問題は継続できるか、ということです。
「継続」、苦手分野です(^-^;

不思議なのは、持ち物を減らしたり、身だしなみを整えたりすると、空腹が少し押さえられることです。
あと、少し違いますが、スマナサーラ長老の説法を聞くと、猛烈に掃除をしたくなります。
なぜなんでしょうか…。因果関係が分からないままでいます。

なにはともあれ、頑張ります。
ささ
2012年06月09日 20:45
アーチャン・チャー長老の「手放す生き方」を読んでいます。
食べ物や睡眠の適量の問いに長老が答えている箇所があり、とても参考になりました。

阿羅漢果に達した聖者の、静寂で澄み切った心の事が書かれていました。

ワンギーサ先生のブログに、皆さんのコメントや質問。スマナサーラ長老の法話やアーチャン・チャー長老のご著書など。日々汚れてしまう自分の心に色々な方から教えて頂く事があります。最近は、この皆さまがサンガなんだなと自分では理解して感謝しています。
ありがとうございます。

そして、少しずつでも自分の心が
穏やかで静かになっていけるように
つとめていきたいと思います。
高橋優太
2012年06月09日 22:30
お久しぶりです。高橋優太です。携帯で始めてコメント・閲覧しています。

大学でこのサイトをコピーすることが可能だと今年になってわかりましたので、うれしいです。

食事は最近僕も食べ過ぎないようにしています。正午以降食事をしないという戒律がありますが、厳しいのでまずは夕方以降食べない生活をしています。そうすると時間ができるので、瞑想や勉強に時間を使えるようになりました(それでも食欲に負けたり、サボってしまいますが)。後は寝起きが良くなり、寝過ぎることが少なくなりました。体調も良いです。お釈迦様の戒律は守ると幸福になると改めて感じました。

たくさんの方々のコメントのおかげで、自分はゴーダミー精舎から遠い場所に住んでいますが、まるでそこにいるようです。

今日は仙台のサラナヴィハーラの瞑想会に参加させていただき、またダンマパダを学べたことに感謝します。

生きとし生けるものが幸せでありますように!