人々は 命愛しむ それゆえに 殺してはならぬ 殺させてはならぬ(130)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


サッベー      タサンティ  ダンダッサ
Sabbe        tasanti    daṇḍassa,
すべての者は   震える    棒(暴力)に

サッベーサン      ジーウィタン   ピヤン
sabbesaṃ        jīvitaṃ      piyaṃ;
すべての者にとって  命は       愛しい

アッターナン  ウパマン    カトゥワー
Attānaṃ     upamaṃ    katvā,
自己を      例えと     して

ナ  ハネッヤ  ナ    ガータイェー
na  haneyya   na    ghātaye.
な  殺す    な    殺させる


○直訳
すべての者は棒(暴力)に震える
すべての者にとって命は愛しい
自己を例えとして(自分の身に引き比べて)
殺すな、殺させるな


○一口メモ
今回の詩も「なぜ殺してはいけないか?」に答えるものです。
昨日は、「すべての者は死を恐れている」から、殺してはいけないというものです。
今回は、「すべての者にとって命は愛しい」から、殺していけないのです。

すべての者にとって命は愛しいということを、先ず自分で確かめる必要があるでしょう。
私は私の命が愛しいかどうか確かめるのです。
おそらく、自分の命は、単に愛しいという以上に、一番愛しいものだと思います。
愛しいものは大切なもの、大切なものは奪われたくないし壊されたくないのです。
命を奪う、命を壊すとは、殺す、殺させるということです。
つまり、殺すな、殺させてはいけないということです。

「すべての者にとって命は愛しい」というメッセージは、「殺すな、殺させるな」の根拠になると同時に、私に生き方を示すメッセージであり、慈悲の瞑想の原点です。

私は私の命が愛しいので、「私は幸せでありますように、私の悩み苦しみがなくなりますように、私の願いごとが叶えられますように、私に悟りの光りがあらわれますように」望むのです。

また、私のこの想いは、自分に引き比べてみると、私の親しい人々も持っていると思います。そうであるならば、「私の親しい人々も幸せであるように、私の親しい人々の悩み苦しみがなくなるように、私の親しい人々の願いごとが叶えられますように、私の親しい人々にも悟りの光りがあらわれますように」と願いのです。

この想いは、私の親しい人々の範囲にとどまりません。生きとし生けるものが、すべて持っているものなのです。ですから、「生きとし生けるものが幸せでありますように、生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように、生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように、生きとし生けるものにも悟りの光りが現れますように」と願うのです。

この願いのように生きるべきでありますし、このような慈悲の瞑想を実践する人々は殺すことはできませんし、殺させることはできないのです。


「人々は 命愛しむ それゆえに 殺してはならぬ 殺させてはならる」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_8.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年07月13日 05:56
おはようございます。

慈悲喜捨の中で、悲の気持ちが強い性格です。
友人が傷ついているとき、私の心も辛くなります。その人の悩み苦しみがなくなりますように、と願わずにはいられません。
全ての人が、誰かの親しい人なのだ、みんな繋がっているのだ、と考えると、生きとし生けるものが幸せにならないと私の幸せも成り立たないのだな、と思います。

テレビをつけるといろいろと辛いニュースを耳にしますが、生きとし生けるものが幸せでありますように、と念じると楽になります。
私はどうしても暴力を振るう側の人の気持ちも考えてしまいます。すさんだ心を持って生きるのは辛いだろうと思うと、私の気持ちも辛くなります。
本当に、全ての生きとし生けるものが幸せでありますように、と念じずにはいられません。そうすると少しだけ心が楽になります。
慈悲の瞑想はありがたいです。
2012年07月13日 06:35
おはようございます。この偈と慈悲の瞑想とのダブル解説は大変参考になりました。ありがとうございます。
とも
2012年07月13日 07:26
おはようございます
自分の命が一番愛しいのを素直に認めます。先ずその思いがなければ周りの人を幸せにすることは出来ないと思います。慈悲の瞑想、最近サボっていたので今日から始めます。
あすか
2012年07月13日 11:45
慈悲の瞑想をするようになって
ストレートな怒は減って来ました。
以前なら不愉快な場面でも
相手にも何か理由があるのかも、
こんな悪行為、本人もつらいだろうな、
などと思えるようになってきました。
物惜しみなど形を変えた怒は
まだまだです。
慈悲の瞑想は形を変えた怒りや
欲、無知にも効果があるでしょうか?
慈悲の心、まだまだ弱いので
今日もがんばります。
noritarou
2012年07月13日 13:13
命が愛しいので→煩悩を滅尽したくなる→(滅尽することで)命を愛しむ(ようになる)
「私」が命そのものになり、生滅変化をあるがままに感じることは、慈悲心そのものであるようにも思います。
慈悲と智慧
2012年07月13日 21:40
あすかさん

効果ありますよ。

でもそのためには、もっと慈悲の瞑想をして

慈悲の心を育てる事が必要です。


これは理屈で説明出来ません。


石にかじりついてでも慈悲の瞑想をしたもの結局勝つのです。

この場合の勝つと俗世間の勝つとは違います。


本を読んだだけでは心は成長しません。

慈悲は大事なのは、知識として分かっている。

これは、ただのスタートラインです。

しかし、大半の人は、ここでストップします。

そこから、百回、千回、一万回でだんだんこころが変わって来るのです。

だから例え、単純に仏教が広まっても、国が良くなるとは、限りません。

全ては、自分が実行するか否かです。

こころざし
2015年11月20日 07:35
人間関係に悩む時、区別→差別して好きな人とそうでない人とで使い分けている自分に気が付くときがあります。
すべての人に慈しみの気持ちで幸いを願い・・の姿勢であればブレる事は(少)なく、そして人間関係も深刻になる事がない印象を感じます。それはエゴが減るからと感じることもあります。
そして慈しみで生きると、自分も相手も周囲も嬉しい状況になっていくと思います。
慈しみの実践、行なって参りたいです。