生きものは 幸せ求める それなのに 害する人は 不幸になるよ(131)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


スカカーマーニ  ブーターニ
Sukhakāmāni   bhūtāni,
幸せを願う    生き物を

ヨー    ダンデーナ  ウィヒンサティ
yo     daṇḍena     vihiṃsati;
(彼は)  棒で      害するならば

アッタノー  スカメーサーノー
Attano    sukhamesāno,
自己の    幸せを求める者が

ペッチャ  ソー  ナ   ラバテー  スカン
pecca    so    na   labhate   sukhaṃ.
死後に   彼は   ない  得られ   幸せを


○直訳
幸せを願う生き物を
自己の幸せを求める者が
棒で害するならば
死後に彼は幸せを得られない


○一口メモ
この詩ができた因縁物語を紹介しましょう。
ある日、少年たちが一匹の蛇を棒でたたいていました。
ブッダはこれ見て、「なぜ蛇をいじめるのか?」と尋ねられました。
少年たちは「蛇に咬まれたら、怖いからです。」と答えました。
ブッダは「一度、蛇の身になってごらん。この蛇も私たちと同じように自分の幸せを願っているのではないですか」と諭されました。
そして、この詩のように「幸せを願う生き物を、自己の幸せを求める者が 棒で害するならば、死後に彼は幸せを得られない」と教えられました。

この詩は、129番、130番の詩のように、「殺すな、殺殺させるな」の根拠を示すものです。

すべての生き物は死を恐れています。
すべての生き物は自分の命を愛しいと思っています。
すべての生き物は幸せを希望しています。

ですから、「殺すな、殺させるな」ということであり、「害してはいけない」と言うことであります。もし、このような生き物を殺したり、殺させたり、害するならば、どのような結果になるでしょう。

殺す、害すると言う行為は、強い怒りの結果です。

また、生命を害することは、生命の存在はすべての生命の協同、協調、連鎖の上に成り立っていることを理解しない無知という悪行為の結果です。生命の協同、協調、連鎖のシステムをスマナサーラ長老は生命のネットワークという言葉で表現しています。生命はこのネットワークなしには生きていけないのです。これを壊すことは、飛んでもない無知なのです。

怒りと無知に基づく行為は、最悪の悪業です。

127番の詩「空中も 海水中も 山中も 悪業からは 逃げられないよ」で示されているように、悪業の結果からは逃げられないのです。ですから、「幸せを願う生き物を 自己の幸せを求める者が 棒で害するならば 死後に彼は幸せを得られない」ということになるのです。

折しも、いじめが大問題になっている今、この間の一連のダンマパダの詩を深く考え、いじめ問題の正しい理解が必要です。そしてブッダのこの教えが広まることが、この問題の解決の道だと思います。


「生きものは 幸せ求める それなのに 害する人は 不幸になるよ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_9.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

とも
2012年07月14日 05:53
おはようございます
ブッダが少年たちを諭したように、私も子供たちに正しい道徳を教えられるようになろうと思います。
そのためには、もっと精進せねば!
カエルくん
2012年07月14日 06:05
おはようございます。

幼い頃、遊びの中で、ずいぶんたくさんの虫を殺しました。この悪業はいずれ自分にかえってくることを覚悟しなくてはいけません。
こう考えると、知らない、ということは罪なのだな、と思います。
子どもに仏教を教えるためには、まず大人が学ばなければならないですよね。
学んだだけではだめで、いじめの現場に出会ったとき、「やめようよ」という声をあげる強さを身に付けなくてはならないとも思います。
そのためには、仏教徒としての、プライドを持つことが大事なのかな、と思います。
2012年07月14日 07:36
おはようございます。
この因縁物語に関してどこかのお経にやはり、当時蛇に噛まれて怪我したり、命を落とす比丘にお釈迦様は「蛇に噛まれるのは蛇に対して慈しみがないからだ」みたいな内容を語る場面があり、蛇への慈しみ専用の護経(パリッタ)があったはずです。

一般庶民が現在、米日軍需大資本、財界、与党、官僚、マスコミに日々騙され、低賃金で労働力を搾取され、被曝させられ、殺され続けているのも、
彼等に対して慈しみの想いが足りないからかも知れませんね(笑)。
まあしかし元々こんな業のもとに生まれたという問題がありますが…。
あすか
2012年07月14日 10:14
いじめとか自殺とか
ややこしい問題が山積みですね。
幸せってなんでしょう。
ヒトは脳が発達しすぎたのでしょうか。

生命のネットワークの一員として
ネットワークを乱す行為は慎む。
これでだいぶすっきりしました。
今日もみんな幸せでありますように。
noritarou
2012年07月14日 18:40
私は、釈尊が蛇を助けたように、亀を助けた浦島太郎は、竜宮城(涅槃)に行ったのだと解釈しています。そして白い煙(二元的思考)の中で老死を得たように思います。
暴力に怯える生命は、虫を捕まえようとするとよくわかります。人間がそれを乗り越えるには、他者に対して自分を焼いて飢えを満たしてあげようとしたウサギのように、心からの慈悲を育てることだと思います。
こころざし
2015年11月20日 07:38
双方の命を尊重した慈しみの気持ちで共生出来ると良いなと思います。ですが双方がそのような智慧者である事は少ないのではと想像致します。
そうしますと、片方だけでも智慧を持って慈しみで生きる姿勢が出来ないと、どんどん深刻になるばかりになるように思います。
慈しみの実践を行って参りたいです。