刻々と 老いと死とが 追い立てる 生きものたちを 牛飼いの如く(135)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤター  ダンデーナ   ゴパーロー
Yathā   daṇḍena     gopālo,
ように  棒によって  牛飼いが

ガーウォー  パージェーティ  ゴーチャラン
gāvo      pāceti        gocaraṃ;
牛を     追い立てる    餌場に

エーワン   ジャラー  チャ  マッチュ   チャ
Evaṃ      jarā    ca   maccu    ca,
そのように  老     と   死が     と

アーユン  パージェーンティ   パーニナン
āyuṃ     pācenti         pāṇinaṃ.
命を     追い立てる      生き物の


○直訳
牛飼いが棒によって
牛を餌場に追い立てるように
そのように老いと死が
生き物の命を追い立てる


○一口メモ
この詩の直訳で、牛飼いの棒は「老いと死」の例えです。牛は「命」の例え、餌場は「死」の例えです。
この詩でブッダは私に何を教えているのかと言う問いには、いろいろな答えがあると思います。

人生は短いのだから、時間を無駄にしないで精進しなさいという答えもあります。しかし、ブッダの教えはその程度ではないでしょう。

この詩は棒(暴力)という言葉がありますので、「暴力の章」に入っていますが、「死」がテーマです。

この詩は苦い薬のようです。あまり飲みたくものです。
しかし、ブッダは私たちに、このような薬を飲ませてくれるのです。
私たちは楽しく愉快に生きたいのですので、「死」は見たくない、意識したくはないのです。

この詩では老いと死のみが書かれていますが、生き物にとって、生、老、病、死が牛飼いの棒です。生(誕生)が老(老化)に追い立てます。老が病(病気)に追い立てます。病が死へと追い立てているのです。生老病死が苦であることが分かります。苦は見たくないものだから、直視しないのです。ですから、苦は分からないのです。

世間では、生(誕生)は喜びで迎えられますが、誕生があるので老化、病、死があるのです。誕生は世間の喜びという面だけでなく、苦の新たな始まりなのです。

この詩は、始めは気持ちが悪いものですが、だんだんなるほどと言う思いになります。
もし、あなたがこの詩を気持ちが悪いと感じるようでしたら、その気持ち悪さを少しだけ感じて下さい。しかし、無理をしないでください。心の現状を知ればよいのです。心は変化し、智慧も現れ、強くなります。いずれ、この詩から異なる感覚が生まれると思います。


「刻々と 老いと死とが 追い立てる 生きものたちを 牛飼いの如く」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_4.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_11.html

○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

とも
2012年07月18日 06:06
おはようございます

刻々と死に向かっている事実を改めて考えさせられました。このことをしっかり意識して生きようが、見ないようにして生きようが結局最後は死にます。ならばこの事実を直視して精一杯生きようと思います。

昨日、色々失敗をやらかしてしまい滅入ってましたが、こんなことしてられない!
この詩から勇気をもらいました。ありがとうございました。
蒼氓
2012年07月18日 07:58
おはようございます。
例えば、どんなに健康食品や有機野菜を食べても、原発がなくなって核廃棄物の問題が解決したとしても(実際は解決はまず有り得ないと思いますが)、

人間は自動的に老いる事により死に至るわけです。

そう考えてみますと 結論から言うと我々が日々やっている「生きるための努力」はすべて無に帰するわけです。

仏教的に墓場の瞑想(人が死んで腐り、骸骨になるのを観想する)のシュミレーションをしてみますとよくわかる気がします。

ですので「生きるための努力・いわゆる仕事、健康管理等)は程ほどにして瞑想したほうが理性的だとは思いました。

あすか
2012年07月18日 12:31
人生などあっという間です。
やるべきことは山積みですが
その為の時間はあとどれくらい
残されているのでしょうか。
そう考えると
1秒も無駄にはできません。

一方、外見、名誉、など重要でない、
悩ななくてよい、と気づけたことは
大変ありがたいことです。
悩んでも一生、幸せでも一生。
せっかくの人生、常におだやかに、
心清らかに過ごさねば
もったいないですね。
カエルくん
2012年07月18日 17:59
こんにちは。

毎日忙しいと、いずれ死ぬ身だということを、忘れがちです。
この詩を読んではっとしました。
まさに良薬は口に苦しですね。
心にとどめて置きたいと思います。
noritaou
2012年07月18日 21:26
生まれるものは死ぬという、事実で真理を教えてくれているのですね。絶え間ない変化に、実体があるかのように生老病死と名前をつけているのは、人間の持つ概念のなせるワザだと思います。棒が牛を餌場に駆り立てるとは、苦が命を食べ物に駆り立てる、と読めました。食べても食べなくても死ぬ、何を成しても死ぬ、星々も宇宙も死ぬ、自分も自分の意識も思考も、悲しみも喜びも感覚は変化する、一切は生滅変化している。。老いも死もそのことを教えるための方便なのかもしれないと思いました。
たかし
2012年07月18日 21:57
誕生が苦の新たな始まり、なんですね。なるほど。死に向かって生きていくというのはなかなか気が付きません。旅行は準備の時が一番ウキウキと楽しくて、いざ始まると終わりに向かうだけでさみしいばかり、と感じることがありましたが、そんな感じでしょうか。

でもやっぱり死にたくないなあ。
こころざし
2015年11月21日 07:43
日々寿命が縮まっていく事を感じます。そして時間は容赦なく過ぎていきます。心の成長に繋がる事をその中で是非実践して参りたいです。