愚か者 悪をしながら 気付かない 自分の行為で 自分で苦しむ(136)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アタ  パーパーニ  カンマーニ
Atha  pāpāni     kammāni,
また  悪い     行為を

カラン    バーロ   ナ    ブッジャティ
karaṃ     bālo    na    bujjhati;
為しながら  愚者は  ない   自覚し

セーヒ   カンメーヒ   ドゥンメードー
Sehi    kammehi    dummedho,
自分の   業によって   智慧ない者は

アッギダッドーワ    タッパティ
aggidaḍḍhova      tappati.
焼かれた者のように   苦しむ


○直訳
悪い行為を為しながら
しかし、愚者は自覚しない
智慧のない者は自分の業によって
焼かれた者のように苦しむ


○一口メモ
今回の詩の解説の前に、昨日の詩の理解のために大変参考になる最近発売された本を紹介します。
アルボムッレ・スマナサーラ長老 著
「老いと死について」(大和書房 1300円+税)

さて、今回の詩ですが、ダンマパダの第1章から第7章までで述べた仏教の基礎知識をまとめた詩になっています。

悪い行為すれば、悪い結果が現れると言う因果法則があること。
愚か者は何が善い行為か、何か悪い行為か分からない。
愚か者は自分の行為の結果を考えない。
愚か者は自分が苦しむ行為をする。
誰でも行為の結果(業)から行為者は逃げられない。
愚か者は、自分の行為の自覚がない。
賢者は愚か者と反対の行為をする。

いじめ問題に関連して言えば、先に述べた131番と今回の136番などの詩の意味が多くの人々に、親も子も、先生も生徒も理解して、学校もPTAや地域や行政にも常識になるようにならなければ、根本的な解決にはならないと思います。しかし、現状の日本では、全体的な道徳心の低下あるので、残念ながらなかなか難しいと思います。この詩から見れば、日本人はみんな愚か者ということになりますが、それに気づいた人々は、愚か者を脱出して、賢者の道を進むべきでしょう。

この詩の最後の二行「智慧のない者は自分の業によって、焼かれた者のように苦しむ」ことを避けるためには、自分の行為に気づいている必要があるのです。そして、いつも悪い行為をしないように気づいていなければいけません。この気づき(サティ)の力はヴィパッサナー瞑想で養成されます。

この詩の解説については、前回および前々回のブログ記事を是非お読みください。

この詩と直接関係ないことですが、このブログ記事のパーリ語のローマ字表示と読み方のカタカナ、単語の意味の日本がズレていることが気になる方がおられると思います。
私も気にしているのですが、パーリ語の長母音の記号などが、二文字分のスペースを取るなどの影響か、入力した後の空白スペースがコントロールできないのです。そのため、表示のズレが生じています。読者の方で改善のための方法をご存じの方は是非、コメント欄かメールでお知らせください。私のメールアドレスはブログトップページに掲載してあります。宜しくお願いいたします。


「愚か者 悪をしながら 気付かない 自分の行為で 自分で苦しむ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_5.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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記事内容の改善の参考にしたいと思っています。

この記事へのコメント

とも
2012年07月19日 06:45
おはようございます
昨日の悪行為で落ち込み苦しんでいます。この詩、痛感します。
以前ならこの程度の悪行為では気にもせず落ち込むことはなっかったのですが、最近些細なことで落ち込むようになってしまいました。
 ご紹介の「老いと死について」はとてもわかりやすく書かれています。高齢で体が弱ってきている父親に贈りました。反応はまだ無いですが、よっっかったと思います。照れているんですかね(..;)
2012年07月19日 07:04
おはようございます。今回のこの偈を読んで原子力村や現在の日本国首相の事が思い浮かびました。まあ人の事は言えませんが(^_^;)。
確か他のダンマパダ に「他人の欠点を見るな、自己の過ちを見よ」みたいな内容の偈があったような…
あすか
2012年07月19日 09:44
『老いと死について』
大変参考になります。
しばらく時間をあけて再読します。
学びが進んでいると同じ本でも
新たな発見があるので楽しみです。
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>ともさん
私も反省、増えています。
「愚者は自覚しない」とのこと。
自覚があるだけ一歩進んだと考え、
同じ失敗を繰り返さない方法などを
考えるよう練習しています。
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ウポーサタですね。
懺悔請願をよく見てみると
「もう悪行為は一切絶対しません」
とは言っていないのですね。
もちろん矛盾をかかえたヒトとして
生きる以上、それは不可能。
毎回、懺悔ですが、回を重ねるごと
懺悔する悪行為が減ってゆくよう
努力致します。
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ワンギーサ先生
表示のズレまで気にかけてくださり、
ありがとうございます。
見る方のフォントによっても
変わってくるので割り切っています。
パーリ語表記は記号付き文字が
少し厄介ですね。辞書を引く時も、
単語がなかなかみつかりません。^^;
noritarou
2012年07月19日 13:05
ブッダが言う愚か者とは、幸福に生きたいのに不幸を選んでしまう人間の態度を言ったのだと思います。
人の不幸は蜜の味と言ったりするように、人間には、どこか潜在的に不幸や、罪悪感を望んでいるようなところがあります。一神教がここまで浸透しているのもそのせいだと思います。自分以外の「外」に求める方が簡単だからでしょう。自分を棚に上げて、幸福を求めるという愚かな行為をしないように精進します。
カエルくん
2012年07月19日 17:56
こんにちは。

ここしばらく忙しくて、瞑想をさぼっています。
今日の詩は耳が痛いです。
瞑想をしないでいると、自分が愚か者だという自覚がなくなってしまいます。
忙しさを理由にせず、精進しなければ、と思いました。
こころざし
2015年11月22日 07:46
私事ですが、長男が小学低学年の頃学童保育で、暴力をふるい怪我をさせたので、お支払いを下さいと相手の親に言われ、お金を渡した事があります。
請求金額は受診の自己負担額でなく上乗せされてました。先生が複数いる室内での出来事であり、先生からはそのような出来事を見ていないとの証言がありお、いじめや子供出来事についての難しさを実感する機会になりました。
本文の仏教の基礎知識の所を智慧で持てるように精進したいです。