悪業の 結果はなくとも 心配だ 悪業熟せば 不幸のどん底(119)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


パーポピ   パッサティ  バドゥラン
Pāpopi     passati     bhadraṃ,
悪もまた   見る      幸せを

ヤーワ  パーパン  ナ   パッチャティ
yāva    pāpaṃ    na    paccati;
限り    悪が    ない   熟さ

ヤダー  チャ     パッチャティ  パーパン
Yadā    ca      paccati     pāpaṃ,
その時  しかし   熟した     悪が

アタ    パーポー   パーパーニ   パッサティ
atha     pāpo     pāpāni      passati.
その時   悪人は    不幸を      見る


○直訳
悪が熟さない限り
悪(をしても)幸せを見る(=幸せでいられる)
しかし、悪が熟したその時
その時悪人は不幸を見る(=不幸になる)


○一口メモ
今回の詩と同様の趣旨の詩はすでに69番、71番に掲載されてあります。

愚か者 悪の結果が でるまでは 悪い行為を 蜜だと思う(69)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_14.html
ここでは、愚か者は何故悪いことをしてしまうのかについて述べました。

悪行為 すぐに結果が でなくとも 悪業として 付いて来るのだ(71)
http://76263383.at.webry.info/201205/article_16.html
ここでは、業について簡単な説明をしました。

今回の詩を要約した短歌は次の通りです。
悪業の 結果はなくとも 心配だ 悪業熟せば 不幸のどん底(119)

さて、今回は「熟す」ことについて、少し説明します。
「熟す」のパーリ語はpaccati これはpacatiの受動動詞です。
「pacati」の意味は「煮る、炊く、焼く、責める」などのです。
つまり、熱を加えて変化させることです。変化には熱が必要です。仏教で言う無常も熱によって引き起こされています。

物質の変化は熱によって引き起こされているのです。詳しく説明すると長くなりますが、熱とは、原子、分子の振動速度です。振動速度が速いと高温になります。すなわち、高温になると分子のぶつかる頻度が高くなります。そのため物質は変化しやすくなります。冷蔵庫に食べ物を入れて冷やすのは食べ物を変化させないようにするためです。

心の場合も原理的には同じことです。心にも心の振動速度があります。この振動速度はある条件のもとではある速度がありますが、それぞれそれは決まっているのです。心の変化は、心と情報のぶつかりあいで起こります。心の振動速度が速く、情報の量が多いと心は変化しやすくなります。

(瞑想では、心の振動速度を遅くして、心とぶつかる情報量を少なくして、心が変化する速度を遅くして過程を観察しやすくします。そして、心のメカニズムを知るのです。)

心の場合は条件が複雑で、知り尽くすことができませんが、心が変化するためには、ある時間が必要であることは分かります。悪が熟すというのはこの時間のことを言っているのです。無知な人は、そのことを理解しないため、悪いことをしても、悪い結果はないと思ってしまうのです。瞑想して、心を静め、心を観察すれば分かってくることなのです。

繰り返し、悪いことをしたら、悪い結果があることを心に銘記させておく必要があるのです。そうすれば、心は悪いことはできなくなります。


悪業の 結果はなくとも 心配だ 悪業熟せば 不幸のどん底


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_24.html
http://76263383.at.webry.info/201001/article_31.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年07月02日 06:11
おはようございます。

悪行為をやめることは難しいです。
分かっていても、その時その時の煩悩に負けてしまいます。
本当に、自分との戦いですね。

悪行為の結果を受けて、後で泣くのは自分自身、と言い聞かせて、今日も一日精進します。
2012年07月02日 07:30
この偈で僕が思いますのは、例えば日本に初めて原発を導入した政治家とか関係者とかチェルノブイリ原発爆発の被曝による病人などほとんどないと言い切る医者とかが結構贅沢で平均寿命以上に生きてるんですね(笑)。
一応経典通りになってますよね(≧∇≦)。
あすか
2012年07月02日 08:19
刺激による快はすぐ感じられるのに
悪行為の報いは必ずしもすぐでない。
気をつけないと悪行為へというのは
ある意味、自然な流れ。
だからこそ智慧と努力が必要。
依存症や、悪い習慣を改善しにくい
からくりですね。
常にサティを忘れず精進します。
とも
2012年07月02日 16:45
この詩も身にしみて分かります。
しかし、不幸のどん底からは抜け出せました。
ありがとうございました。
noritarou
2012年07月02日 18:46
悪いことをすると、罪悪感にさいなまれ、いわれのない不安がやってきて、過去を変えられない絶望感、恐怖がやってきます。それでも悪行為をしてしまうのは、不幸のどん底に落ちたいとも、思っているからかもしれません。
アルカポネや、政治家、権力者のように、本人は善行為のつもりでも、周りから見たら悪行為であることもあります。
それが、本当に悪行為であるかどうか、人が為したことの善悪の判断は本当につけ難いです。人間には、その出来事に対する善悪判断が出来るほど、高尚ではないようにも思います。
私が出来る範囲で、悪行為を為さないようにしていきたいと思います。
こころざし
2015年11月16日 07:23
私事ですが、職場で楽を覚えた同僚が、もうちゃんと仕事をする姿勢に適応できなくなる状況に接してきました。楽をするのが当たり前になってしまう様子です。そしてそこまで行くともう反省→改善は難しいようです。それでは短期的には幸せかもしれませんが、職業人としてはもう他では通用しなくなり→不幸になると思います。
悪が熟す所までいかないうちに気が付いて止めて、そして不幸にならないように努めたいです。