灰色の 投げ捨てられた 骨を見て 欲を起こすか 修行者たちよ(149)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤーニマーニ   アパッターニ
Yānimāni     apatthāni,
これらの     投げ捨てられた

アラープーネーワ   サーラデー
alāpūneva       sārade;
瓢箪 こそは     秋に

カーポータカーニ   アッティーニ
Kāpotakāni      aṭṭhīni,
鳩のような色の    骨

ターニ   ディスワーナ  カー  ラティ
tāni     disvāna     kā   rati.
それらを  見て      何の  楽しみ


○直訳
秋にこれらの投げ捨てられた
ひょうたん(のようなもの)こそは
鳩のような色の骨(である)
それらを見て何の楽しみ(があるか)


○一口メモ
この詩ができた因縁物語の要旨は次の通りです。
500人の比丘が森へ出かけて瞑想に精進をしました。
しばらくして、彼らは「煩悩が生じなくなった。この結果を釈尊に伝えよう」と思いました。しかし、ブッダは彼らの修行は完成していないことが分かり、アーナンダ長老に言いました。「彼らはすぐに私に会う必要はない。彼らはまず墓地に行ってから、私と会うようにしなさい。」と。

比丘たちは墓地に行き、何日かたった死骸には気持ちが悪いと思い、死んだばかりの若い女性の死骸には煩悩が現れました。彼らは自分たちに煩悩があることに気が付きました。
ブッダは「比丘たちよ、このような骨の集まりを見て、貪りに染まることはふさわしくない。」としかり、この詩を唱えられたということです。

スマナサーラ長老がこの話を分かりやすくまとめておられるので、前回も紹介いたしましたが、是非お読みください。そのアドレスは次の通りです。
http://www.j-theravada.net/howa/howa66.html

また、「死体の観察(不浄観)ポスター」というものがあります。そのポスターについての説明がテーラワーダー仏教協会のホームページの「ゴータミー精舎日記」にありますので、ご紹介します。
このポスターを初めて見る方は驚かれるかもしれませんが、真実の姿なのです。是非ご覧になり、何かを感じて下さい。
http://gotami.j-theravada.net/2005/11/post-103.html
http://gotami.txt-nifty.com/journal/images/maranan.jpg


灰色の 投げ捨てられた 骨を見て 欲を起こすか 修行者たちよ


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_14.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_21.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年07月29日 06:30
おはようございます。

不浄観ポスター、拝見しました。
こうしてみると、骨ってきれいだな、と思ってしまいました。
毎日暑いので汗をかいて、この身体が不浄であることを実感します。清潔を心掛けていると、身体というのは手間暇かかる煩わしいもの、という気持ちがします。
この肉体を離れても、悟らない限りまた新しい肉体に宿ってしまうのだ、と思うと、人間でいられるうちに頑張らねば、と思いました。
2012年07月29日 08:38
おはようございます。僕も不浄観の経典の文言を唱えたり、親類の葬儀の際に火葬前の姿を見たり、実際骨を拾ったりした際は、性欲煩悩がその時だけはなくなる気がしますが、後日全くやらないと元の精神状態に戻ってしまいます。

ですので性欲煩悩が完全に断ち切られるならば、これは大変に得難い「聖なる事象」のように感じます。

折しも今日はゴータミー寺でワンギーサ師にこの雨安居を過ごして頂く事をお願いするお布施式です。
僕も今朝料理しました一品を持参する予定です。m(_ _)m
あすか
2012年07月29日 11:08

ポスターありがとうございます。
ある国では絵どころか写真(!)
というところもあるとか。
日本では遺体も生前同様美しく、
骨も石のように真っ白できれい。
血や肉、腐食や臭いとは無縁で
不浄観を養うのは難しいですね。

日々の生活では「いかに体を美しく
保ち、飾るか」という情報に
さらされざるをえません。
毎日体は不浄と確認し、
その一方で、体に感謝し、
執着しすぎることなく、ケアします。

================
ワンギーサ先生、別件のアドバイス、
「両極端にいかないように」ですが
体の不浄についても、また
他の様々なことに対しても
あてはめていいでしょうか。
ついつい頑張りすぎる傾向が
あるようなので気をつけています。
========

蒼氓さん、参加されるのですね。
雨安居の間、在家であっても
ふだんより少し厳しい戒に
挑戦する方々もいらっしゃるとか。
何かチャレンジしてみようかしら。
noritarou
2012年07月29日 14:52
「見たいように見るのではなく、あるがままに見る」と言われます。この身体はかろうじて生きてはいますが、すぐに死体になります。生滅変化のスピードは一定でも、五感を介すると思考は、妄想を始めます。思考は、心の在り様に左右されると思います。
私は九相死絵巻を参考にしていました。普通の、死体の写真があまりないため、子供に自然の姿を見せるために「死を食べる―アニマルアイズ・動物の目で環境を見る」という写真集を見せました。ショック少なく?読めるのでおすすめです。キツネを野原に置くと、柔らかい所にハエが卵をうみ、青黒くなり、そのうち内臓を食べ尽くしたウジが皮膚を食い破り出てくる、そのウジを食べるハクビシンがいる、など。人間の身体も同じです。
そのときは、嫌悪感はコントロールできないことに対して生まれてくるもので、欲望は快楽を求めるので出てくるものだと感じました。どちらも感覚に、この身体に起因しています。精進します。
noritarou
2012年07月29日 18:27
ワンギーサ先生、ポスターのご紹介ありがとうございました。素晴らしいですね。初めて拝見しましたが、とてもわかりやすいので、早速、印刷させて頂きました。表に絵を、裏に勝利の経を印刷しました。今夜、子供に、紙芝居のように読み聞かせたいと思います。
あすか
2012年07月29日 20:38
noritarouさん、
本の紹介ありがとうございます。
早速予約しました。命、死、
しっかり向かい合います。
2012年07月29日 21:28
>あすかさん
無事、お布施式終了致しました。

本日はスマナサーラ長老初め、スリランカから再来日され、雨安居をマーヤーデーヴィー精舎でヤサ師と過ごされるスダンマ長老もおいでになられ、総勢五人の比丘方にお布施する事が出来、本当の三帰依についてや雨安居中は比丘と在家も共に修行すると功徳倍増のご法話も頂き大変益ある一日となりました。

やはり、戒を備われている僧、サンガの力は凄いものだと感じました。
noritarou
2012年07月30日 13:17
あすかさん、さっそく本を御予約されたとのこと、ありがとうございますm(_ _)m恐縮です。

蒼氓さん、素晴らしい体験をされたのですね。羨ましい限りです。聖者と会うことほど尊いことはないように思います。
こころざし
2015年11月25日 07:35
本文の「死んだばかりの若い女性の死骸には煩悩が現れました」を拝見し、自分も同じ状況でしたら恐らく同じだろうと思いました。すぐに煩悩が出る自分がいます。修行致します。
死体の観察(不浄観)ポスターを拝見し、人は老化しそして死んでいく事がよく分かりました。最後は骨になり・・ですね。体に執着しても必ず死ぬのですから、心の成長の方を大切に毎日を過ごしたいです。