国王の 車も身体も 朽ちはてる 善人たちの 法は朽ちない(151)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ジーランティ  ウェー  ラージャラター   スチッター
Jīranti     ve     rājarathā      sucittā,
老いる     実に   王の車       種々の

アトー   サリーランピ  ジャラン  ウペーティ
atho     sarīrampi    jaraṃ    upeti;
また    肉体も     老いに   近づく

サタンチャ     ダンモー  ナ   ジャラン  ウペーティ
Satañca      dhammo  na   jaraṃ   upeti,
善人の しかし  法は    ない  老いに   近づか

サントー  ハウェー  サッビ      パウェーダヤンティ
santo    have     sabbhi      pavedayanti.
善人は   実に    善人によって   知らせる


○直訳
実に種々の王の車は老いる
また肉体も老いに近づく
しかし、善人の法は老いに近づかない
実に善人は善人によって知らせる(からである)

○一口メモ
この詩の意味は、直訳だけでは分かり難いので、いろいろ補って説明します。

王の父が王であった時は豪華であった王車は今では相当にいたんでいます。また、祖父が王であった時の王車は、あちらこちら壊れて、今では使える状態ではありません。そのように立派な王車も、老朽化します。

そのように、この肉体も衰え、老化するのです。
それは、身随観(厭逆観察)について述べたように、髪・毛・爪・歯・皮・肉・筋・筋・骨・骨髄・腎臓・心臓・肝臓・肋膜・脾臓・肺・胃・腸・胃物・大便・胆汁・痰・膿・血・汗・脂肪・涙・脂肪油・唾・鼻液・関節液・小便について、老化していることを細かく観察すると、老化を実感として受け止められます。髪・毛・爪・歯・皮などについてはよく分かると思います。最後の小便についても、赤ちゃんの時の小便と、大人になってからの小便は変わっているのです。

「しかし、善人の法は老いに近づかない」とは、「正法は変わることはない」という意味です。正法とはブッダの教え、仏教と広い意味にとることも可能だと思いますが、ダンマパダの注釈書には、九出世間法(預流道、預流果、一来道、一来果、不還道、不還果、阿羅漢道、阿羅漢果)を指すと記されています。
九出世間法については次のアドレスで説明しました。
http://76263383.at.webry.info/201206/article_29.html

「実に善人は善人によって知らせる(からである)」の意味は、「ブッダの教えはサンガの聖者たちによって、正しく伝えられてきたからだ。」という意味であります。サンガの聖者たちがいなければ、正法といえども、滅びるということです。しかし、実際にはサンガの聖者たちによって正しく伝えられているのです。


国王の 車も身体も 朽ちはてる 善人たちの 法は朽ちない


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_16.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_23.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年07月31日 12:14
物も生き物も老い、やがて終わる。
それもただ変化なのですね。
お気に入りのモノがこわれました。
残念ではありますが以前、
執着が強かった頃のような
強い感情はありません。
今まで役にたってくれたことに
感謝し処分しました。

赤ちゃんのミルクが食事に変わると
尿も便も変わります。子供の体も
心もどんどん変わっていきます。
子育てもまた変化、無常についての
よい勉強です。どんなことからも
学べるものですね。

蒼氓さん、ありがとうございます。
三帰依、最近は新鮮さも薄れ
形だけになっていたかもと反省。
雨安居中は5時からですか。
毎朝通うわけにはいきませんが
家で毎朝礼拝というのもいいかな
と雨安居の過ごし方、考え中です。
noritarou
2012年07月31日 13:06
テーラワーダ仏教のように、ブッダの教えが今でも残り、人に伝えるシステムとして完璧に機能している「宗教」を、私は他に知りません。
王の車も、身体も朽ち果てるが、真理の法は朽ちないとは、論理の上で無常論から矛盾しているようですが、私はそうは思いません。「自己」という言葉に含まれる言語化されないものは、いつの時代もその人自身の中で明らかにされるべきだと思います。
仏教学者中村元さんが、2:30秒から今回の詩について生命のネットワークの観点からお話されています。紹介することをお許しください。
http://www.youtube.com/watch?v=NWZtkxP3eGg
カエルくん
2012年07月31日 23:14
こんばんは。

髪、毛、爪、歯、皮。
確かに観察しやすいです。
髪は若いうちから老化が早かったので昔はコンプレックスでした。
今は染めることで問題を解決していますが…。染めずに堂々としていた方がいいのでしょうか。悩みますね。
見苦しくないように、身なりを整えようとおもうのですが、どこを基準にするかが課題です。
SRKWブッダ
2014年09月06日 01:19
実に善人は善人によって知らせる(からである):

過去にまさしく善人がいたことは、その言行録を読むことによって知ることができる。それはどんな遠い昔のことであろうとも、現代とは異なった文明世界のことであっても大丈夫である。もちろん、誰でもそれを知ることが出来るのではない。善人が、過去の善人の存在を確かに覚知するのである。このとき、途中の時代にまったく善人がいなくても問題ない。いちいち解釈まで伝える必要もない。言行録が伝わっていさえすればOKである。それで、善法は時を隔てても老いることがないと説かれる。

***
こころざし
2015年11月26日 12:45
物質はどんどん変化・劣化し、そして壊れていきます。過去のどんなに高級車でも、それを今も使用するのは修理の連続で大変と思われます。
成長した心というのはそのような部類とは無縁と思います。劣化して壊れていくものに執着するのではなく、心を成長して参りたいです。