水滴が 水瓶満たす そのように 小さな悪行 幸福壊す(121)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


マッパマンニェータ   パーパッサ
Māppamaññetha     pāpassa,
なかれ 軽視する    悪を

ナ  マンタン     アーガミッサティ
na  mantaṃ      āgamissati;
ない 私にそれは   来(ない)だろうと

ウダビンドゥニパーテーナ
Udabindunipātena,
水滴の落下によって

ウダクンボーピ  プーラティ
udakumbhopi    pūrati;
水の瓶さえも   満たす(ように)

バーロー  プーラティ   パーパッサ
Bālo      pūrati      pāpassa,
愚者は   満たす     悪を

トーカン  トーカンピ  アーチナン
thokaṃ   thokampi   ācinaṃ.
少し    少しで    積み重ね


○直訳
わたしにはそれが来ないだろうと
悪を軽視するなかれ
水滴の落下によって
水の瓶さえも満たすように
悪を少し少し積み重ね
愚者は(悪を)満たす


○一口メモ
小さな悪が積み重なって、大きな悪になり、身の破滅を招くような事件は結構あるのです。具体的にはあまり思い出さませんが、また最近は大きな事件が多く、個人的な事件はあまり報道されてないように思います。(私が知らないだけかも知れません。)

お酒がらみの事件が多いのです。あまり理性的でない人間がお酒を飲むと、さらに理性を失い、感情の赴くままに行動してしまいます。お酒を飲んで女性にお金を貢ぎ、始めは自分のお金を使っていても、だんだん会社のお金を使い込むようになります。それがエスカレートとして、その使い込みが億を超えるような金額になって、会社にばれて、逮捕されるという事件がありました。この場合も始め、自分はこのような事件を起こすとは思ってなかったと思います。ちょっとだけならば、会社にばれないだろうと悪を軽視してしまったのです。

悪を軽視するという考え方がそもそもの問題なのです。一度悪を軽視すると、悪を止める力(考え方)が弱くなります。反対に悪を軽視する力(考え方)が強くなります。そうすると悪の力はどんどん増加して、それを止める力はどんどん減少します。そのよう人の人生は鉄の玉が坂道を転がるように落ちていくのです。ですから、どんな小さいと思う悪でも、それをすることを軽視してはいけません。

また、117番の詩「悪いこと 一度はしても 直ぐやめよ 繰り返すなら 不幸にナルンジャー!」で学んだとうに、悪いことは一度しても直ぐやめなければなりません。


「水滴が 水瓶満たす そのように 小さな悪行 幸福壊す」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_25.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年07月04日 06:48
おはようございます。

疲れてくると立ち居振舞いが雑になって、失敗が増える気がします。
集中力が途切れたら、一息いれて、サティに戻りたいと思います、
2012年07月04日 06:50
水瓶に落下する水滴とは絶妙なたとえだと思いました。

視覚的に想像出来てよく印象に残るように感じました。

「絶妙な譬=智恵がある」証拠だと感じます。
noritarou
2012年07月04日 10:04
>悪いことは一度しても直ぐやめなければなりません。
>悪は依存症になる
仰向けのまま、額に一滴ずつ水滴を垂らし続ける拷問があると聞いたことがあります。
水滴石を穿つということわざもあります。
悪行為による一滴の重み、恐怖感がわかっているのに、これだけ充分に悪はやめるべきとわかっているのに、私はとんじんちの悪行為から離れられません。精進します。
あすか
2012年07月04日 11:28
水道からポタポタ水が、と思っていたら
水道料金請求書をみてびっくり、
という話もききますが、積もり積もった
ポタポタ、馬鹿にできませんね。

大金を横領してしまった人も最初から
何百万円も、ではないのでは。
「ちょっとぐらい」「今回だけ」心のすき間、
こわいですね。気をつけます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
ワンギーサ先生は安居とのこと。
戒律も厳しくなったりするのでしょうか。
いい機会なので私も戒の難易度を
さらにアップしてみようかと。^^
無理な目標→挫折、ではなく、
できそうなのにやってなかったものを。

到底守れなかった戒が守れるようになり
少々の不快にも揺るがなくなってくる。
穏やかな楽しさを味わっています。

ちょっとさぼっても、という怠け心や
すごいでしょ、という慢の心などにも
注意しながら精進を続けます。

皆様に三宝の御加護がありますように
とも
2012年07月04日 20:15
こんにちは
 この詩も身にしみます。

実践して気づいたことを書きます。
 今日、家族に対してイライラして心の中は怒りで燃えていました。いつもならスマナサーラ長老の本の読み、心を落ち着かせようとするのですが、昨日のこのブログを読んでいたので、無理矢理にですが慈悲の瞑想をしてみました。

最初は嫌々やっていて体もだるく言葉が空回りする感じでしたが、途中から少しづつ怒りが修まっていくのが分かりました。終わったあと完全にすっきり明るい気持ちになっていることはなかったですが、心の中で怒りが増殖することは防げた感じです。本を読むより効果は大きかったです。

その後、家族に暴言を吐かずに過ごせました。小さな悪行を犯さずに済みました。

以上、嬉しかったので報告します。

皆さんが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2012年07月04日 21:08
先生、私がこの記事を読んで思ったことは、悪者は、
罰を与えなくても、いずれ罰を食らうということです。

何を言いたいのかというと、東京電力の黒幕的な人達や政治家等も、私達が懲罰を与えなくてもいずれ罰を受けるということです。

慈悲の瞑想などが不十分な中、世間で悪人といわれている人たちを非難する際は、注意する必要があると思うのです。

あくまで、個人的な意見ですが、協会や協会以外のファンの方の中には、いわゆる活動家的な方もいらっいしゃいます。
そういう方々の一部分だけを真似すると、ミイラ取りがミイラになる恐れがあります。

悪を懲らしめることではなくて、悪に賛同しないことが仏教だと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2015年11月17日 07:42
日常の習慣として悪いことをしてしまうと、日にちの経過と共にとても沢山の悪業が溜まってしまうと思います→怖さを感じます。それには悪いことと気が付いている時と、気が付いていない状況もあると思います。怠慢や無知という表現になるでしょうか。
幸福に生きていけるように、悪いことをしないように気を付けたいです。