水滴が 水瓶満たす そのように 小さな善行 幸福招く(122)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


マッパマンニェータ  プンニャッサ
Māppamaññetha     puññassa,
なかれ 軽視する   善行を

ナ  マンタン     アーガミッサティ
na   mantaṃ     āgamissati;
ない 私にそれは   来(ない)だろうと

ウダビンドゥニパーテーナ
Udabindunipātena,
水滴の落下によって

ウダクンボーピ  プーラティ
udakumbhopi    pūrati;
水の瓶さえも   満たす(ように)

ディーロー  プーラティ   プンニャッサ
Dhīro     pūrati      puññassa,
賢者は    満たす     福徳を

トーカン   トーカンピ   アーチナン
thokaṃ    thokampi   ācinaṃ.
少し     少しで    積み重ね


○直訳
私にはそれが来ないだろうと
善行を軽視するなかれ
水滴の落下によって
水の瓶さえも満たすように
福徳を少し少し積み重ね
賢者は(福徳を)満たす


○一口メモ
昨日7月4日は雲がかかっていましたが、薄ぼんやりと満月が見られました。満月と新月の日には、テーラワーダ仏教の比丘は布薩(ウポーサタ)を行います。これらの日には比丘は戒壇に集まり、戒律の条文を読み上げ、互いに自己の罪過を懺悔するのです。その他、比丘の修行や生活について情報交換などを行います。在家の仏教徒は、通常五戒を守りますが、その日は八戒を守って修行する方もおられます。気分を新たに修行に取り組むのです。

さて、今回の詩ですが、昨日のもとは反対に、小さな善行為を軽視しない方がよいというものです。それは小さな善行為が積み重なると大きな功徳をもたらすことは当たり前ですが、それ以上に、小さな善行為でも、善行為をしようとした時の心の状態が非常に大切なのです。その時心は善に向いているのです。通常凡夫の心は、貪瞋痴によって心は悪の方に向いているのです。しかし、小さくとも善行為をしようとしている時の心は、善の方向に転換させているのです。これが重要なのです。

数日前「あすかさん」の質問のコメントに、回答として次のように書きました。たとえば、蚊に刺された時、通常であれば反射的に蚊を叩き殺すのを、これは殺生だと思い留まったとすれば、その時、殺生という悪に向いていた心を、殺生しないという善に方向転換したのです。その時、心は大きく成長するのです。その時、心は自分の行為に気づいていなければできません。そして、悪習慣になっている心を方向転換させるのですから、実は大きな智慧と慈悲の心のエネルギーが働いたのです。この心のエネルギーは心を善心に変え、人格を向上させるのです。

小さな善行為でも大きな力を持っているのですから、それを軽視せずに、確実に実践しましょう。そして、118番の詩「善いことは 再三再四 繰り返せ 繰り返すなら 幸せになる」で学んだように、善いことは再三再四繰り返して下さい。


「水滴が 水瓶満たす そのように 小さな善行 幸福招く」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_25.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年07月05日 10:11
何事も良くも悪くも慣れてしまうもの。
満月、新月ならほぼ半月ごと。
見直すにはちょうどよい周期ですね。
これくらいなら八戒だってできるかも。
とりいれてみます。
ささ
2012年07月05日 12:28
昨日家族が、笹塚にておそらくワンギーサ先生を見かけたと話していました。
何か用があったのかなと、嬉しく聞いていましたが、今日の先生のお話からウポーサタだったのだなと分かりました。

この、ちょっとした嬉しい偶然を機に、私もあすかさんに続き、ウポーサタでの八戒、とりいれてみようと思います。

ちなみに、残念ながら昨日の座る瞑想のでは、眠気に負け気味でした。背筋を伸ばす事をよく意識して、また心新たにチャレンジしていきたいと思います。
noritarou
2012年07月05日 13:35
昨日は実家にいて、蚊に五回刺されました。刺されて吸われているときは痛いですが、殺す気にはなれません。蚊の願いが叶えられますように、幸せになるんだよと念じます。私が数分の痒みを覚悟するだけで、蚊は少しでも生き延びることが出来ます。一度目は耳たぶを吸わせたのですが、二度目に蚊が耳の周りを飛び回っているとき、我慢しないで耳に手を持っていってしまいました。すぐに蚊はいなくなりました。その時感じた「音」による、コントロール出来ないという恐怖、嫌悪感の元をそのままの状態でもっと探るべきだったと思います。苦を認める、その先には、解放があるからです。
智慧をもって戒律を守るという善行為が、因縁によりその人を幸福にしてくれると理解しています。
無限にもみえる悪行為という大海の中で、私が出来る一滴ずつの善行為をしたいと思います。
カエルくん
2012年07月05日 17:43
先生、皆様、こんにちは。

今朝、寝坊しました。
皆さんが頑張っているのに、恥ずかしいです(^^;
こんなことが続いてしまわないように、頑張ります。
とも
2012年07月05日 20:06
こんばんは

ちょっとした善行為でも行ったあとは気持ちがいいものです。悪行為はその逆です。ここ一年ぐらい蟻や蚊など、どんな生物でも出来るだけ殺さないように気をつけています。その甲斐あってか虫嫌いが治ってきました。虫が好きだった小学生頃の気持ちに戻った感じがします。

次の新月には八戒を守ってみます。
青砂木
2014年05月19日 06:59
おはようございます。

昨日の121番と今日の122番の偈は、自分にとってはお守りのような偈です。とてもイメージしやすく頭から離れることがありません。でもなぜか、いつも点滴を思い出してしまいます。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2015年11月17日 07:45
日常で人と明るく・慈しみの気持ちで接する心がけをする事で、それが善業の部類に入るのでしたら、日々の積み重ねで水がめが溜まるように善業が増えていくと思います。
その他でも日々の日常で善行為を実践して参りたいです。