人々が 危険や毒を 避けるよう 不幸の原因 悪避けるべし(123)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ワーニジョーワ   バヤン    マッガン
Vāṇijova       bhayaṃ    maggaṃ,
商人が ように   恐ろしい   道を

アッパサットー     マハッダノー
appasattho       mahaddhano;
同伴者のすくない   大財がある

ウィサン  ジウィトゥカーモーワ
Visaṃ    jīvitukāmova,
毒を     生きようとする人のように

パーパーニ   パリワッジャイェー
pāpāni      parivajjaye.
悪を       避けるべき


○直訳
同伴者の少ない、大財がある
商人が恐ろしい道を(避ける)ように
生きようとする人が毒を(避ける)ように
悪を避けるべき


○一口メモ
ある方から次のような質問のメールが来ました。

「質問がございましてメールをさせていただきました。最近、ニュースでよく脱原発デモが取り上げられております。私も脱原発の立場でありますが、不安がございます。なぜかと申しますと、自分は過去からの経験から己の理想、つまりは原発を止めさせることに強い執着をもってしまい自らの心を汚してしまう気がするのです。事実、原発を推進する人々に対し怒りや憎しみを抱いてしまう事が昨日ございました。仏教を学び実践する者としてこのような社会運動についてどう向き合えばよいのでしょうか?」

この質問の私の解答は次の通りです。
「質問にお答えします。
世界に起きているすべての現象は、ダンマパダの1番と2番に述べられているように、心に基づき、心を主として、心によって作り出されていると理解すべきです。
社会問題も人々の心によって引き起こされているのです。
そうであるならば、心を変えなければ問題の根本的解決はできません。
そのことを理解すれば、原発を推進する人々に対し怒りや憎しみを抱くのではなく、
心を変えることに眼を向けるべきなのです。先ず、自分の心に眼を向けて、自分の心から怒りや欲や無知を取り除くべきなのです。

しかし、それは社会問題に無関心であることは意味しません。
社会問題を主観的、感情的ではなく、客観的に、冷静に観察して、問題の本質を理解して、
誤った判断をしないように努力する必要があります。
また、必要なときは、正しいと思う判断を公開する必要があります。
それは社会問題解決のために、人々の心を変える力になると思います。
智慧ある人、賢者は、正しい情報の発表に努力する必要があると思っています。
それは、特定の個人を非難することや、攻撃ではないのです。
また、それが非難や攻撃になるようでしたら、心を改め、方法を改めるべきです。」

以上が私の解答ですが、実生活で何が悪で、何が善であるかよく分からない場合があります。そのような場合は、心を観察すべきなのです。心に、欲や怒りがあれば悪と考えて、止めるべきです。無知は分かり難いかもしれませんが、我がまま、高慢、怠け、迷い、疑いなどがあれば、それは悪ですから、止めるべきです。

一方、慈しみ、憐れみ、喜びの共感、理性などが心に感じられれば、善心です。安心と確信を持って実践してください。

ですから、いつも善悪に気づいているためには、いつも正念、不放逸が必要です。


「人々が 危険や毒を 避けるよう 不幸の原因 悪避けるべし」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_26.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_2.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

とも
2012年07月06日 05:47
おはようございます
原文の前半部分のたとえが少しわかりにくいですが、諸々の悪を避けなさい、ということはわかります。

 質問に対する先生のご回答、感服致しました。この世は問題だらけですが、そのような態度で向き合っていきたいと思います。
ありがとうございました。
カエルくん
2012年07月06日 05:48
おはようございます。

意見の違う人と折り合って行くのは難しいですね。
私は弱くて、声の大きい人、主張の激しい人の意見に流されてしまいがちです。
何が正しいか、見極めつつ、相手とも和やかにつきあえるようになりたいです。
2012年07月06日 08:13
おはようございます。その昔、目白に事務局があった時、スマナサーラ長老の講義の中で社会運動の話が出まして、デモの問題点、思ったほど効果がない原因はあれは「怒り」でやっているからだというお話があったのが思い出されました。

元々人殺し用にプルトニウムを取り出す為の原子炉を売り付け又買う人間は当然、貪瞋痴の衝動でしているんでしょうが、それに反対する人間も完全に悟ってない限り、特にデモ行進などは「怒り」の衝動でやっている感じがします。

中部経典にある鋸の喩経、たとえ見知らぬ盗賊がやって来ていきなり自分の手足をのこぎりで切られようとも、その人に対し敵意を示さず慈しみで対処するという気持ちが現状の局面を大きく打開する方法なのかもと思いました(実行するのは大変でしょうが)。
あすか
2012年07月06日 11:03
情報という刺激も必要最小限に抑え
そこから怒りも欲も増大させない。
正義という言葉で攻撃を正当化しない。
善行為もどきの悪行為でなく
本当の善行為を選ぶ。
見解の違う人を非難せず怒らず。
時に、虫を嫌がらない以上に
困難ですが努力します。

昨日、ひとりウポーサタしました。^^;
自由なのが在家の良い所です。(?!)
次の新月にはさささんやともさん、
名も知らぬ多くの善友の皆様も、
などと考えると楽しみです。

食事、完全に抜くと翌日体調が不調。
気分も悪く、仕事もミスだらけなので、
布薩といえど、夕方ティータイムは
とることにしました。何事も身の丈に
あっていないと無理は禁物ですね。

カエルくん、なんでもなくてよかった。
いつも早いですものね。

今日も皆様が、生きとし生けるものが
見解の違う方々も含めて、
みんな幸せでありますように。
noritarou
2012年07月06日 13:29
社会運動をする方から見れば、私などは政策にになびく、おとなしい羊のように見えることでしょう。
私には、行動ではなく、心の在り方が問題だと思えます。
人間の歴史が始まった時から「正義」はあったはずです。悪をコントロールするのが世間・強者です。イエスもその象徴(お金の金利)に対して反発し、とらえられました。人間は、個人では欲をおさめられても、会社(法人)を組織するなど複雑にすることで個人の責任を逃れることが出来てしまいます。人間がお金(欲望)に勝てるのであれば、原発は建っていないはずです。欲望や恐怖で、社会をコントロールするために国境を作り、法律を作り、国・政党・軍体を作ったりして、戦争・暗殺も起こるのでしょう。学校では教わらない、私が見てきた世界はそうです。私たちは、石油など、ものに頼らなければ生きていけない生活を作ってしまいました。昔は自分が食べる分は自分で作れました。そうして、逃れられない状況の中、これから混沌とした世界が現れることでしょう。
私は、ブッダが言う、解脱する力こそ最も強い力だと信じています。どんな恐怖のときでも、慈愛の中にいられるようにしたいのです。仏教は私の救いです。

力を抜くと、自動的に観察モードに入ります。肉体はただ、反応するだけですね^^
今日の満員電車は、微笑みの中で、心も体も大変涼しかったです。反対運動ではなく、自分が平和であることを誇りにしたいと思います。
2012年07月06日 22:46
僕の質問がブログにのるなんて嬉しいです
本当に心がすっきりし仏教の智慧に触れた経験でした
これからもよろしくお願いします
こころざし
2015年11月17日 07:50
本文の「すべての現象は・・心に基づき、心を主として、心によって作り出されていると理解すべきです」を拝見し、心について勉強し・分る大切さを思いました。
色々とあるのが普通と思います人間で、それぞれの思惑・願望をぶつけては争いしかならないと思います。
慈しみの気持ちをもって、共存していくにはどうしたら良いのか、そのような意味で智慧を持てることは自分にとっても相手にとっても幸いと思います。
心の勉強をして参りたいです。