ある人は 母胎に生まれ 悪人は 地獄に行って 善人は天へ(126)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ガッバメーケー   ウッパッジャンティ
Gabbhameke     uppajjanti,
母胎に ある者   再生する

ニラヤン  パーパカンミノー
nirayaṃ  pāpakammino;
地獄に   悪い 行為の者は

サッガン  スガティノー  ヤンティ
Saggaṃ  sugatino     yanti,
天界に   善行者は     行く

パリニッバンティ  アナーサワー
parinibbanti      anāsavā.
般涅槃に至る    煩悩のない者は


○直訳
ある者は母胎に再生する
悪い行為の者は地獄に
善行者は天界に行く
煩悩のない者は般涅槃に至る


○一口メモ
悪の問題を語る時は、輪廻や地獄について語らざるをえないのです。すでに「第5 愚か者の章」で何度も輪廻や地獄について述べました。昨日も、「罪のない 清らかな子 いじめるならば 悪の結果は 己に戻る」とい悪行為の結果の恐ろしさを地獄ような形でも知らなければ、愚か者は分からないということです。

しかし、ブッダは常に「どんな問題についても、つねに自分で確かめよ。自分で確かめることなしに、信じてはいけない」と教えています。ですから、輪廻についてもブッダが言われるから、信じよと言うわけではありません。

輪廻について、ほとんどの人は自分では確かめることができません。それでは、私たちはどのようにするべきなのでしょうか。

ブッダの言葉を一つの情報として活用するのです。確かめられないのですから、否定することも正しくありません。そのまま肯定することも正しくありません。なぜならば、例えば高等数学の問題を数学の専門家が解いたとします。一般人はそれが正しい答えか正しくないか分かりません。自分は判断できないのですから、その回答を否定するのは明らかに間違いでしょう。しかし、反対に専門家の解答だから正しいと決めるわけにはいきません。ですからその場合、判断は保留ということになると思います。

ですから輪廻については判断保留です。しかし、輪廻の情報の有効な活用方法があります。その輪廻情報が正しいとしたら、如何にすべきかとは考えられることだと思います。その時、得られた結論は輪廻がなかったとしても、有効であれば、例えば、善いことして、悪いことはしないという生き方は、輪廻があろうとも、なかろうと理性的に考えれば出てくる結論だと思います。輪廻の情報は、自分で確かめる理性的な生き方を肯定し、力づける情報であると思います。

もう一つ輪廻を象徴的意味に捉える態度です。別の表現を言えば、輪廻は文学的な心の表現方法であるということです。つまり、実際に地獄があるのではなく、心が地獄や天界にいるような状態にあると理解するのです。心の状態を六道輪廻で表現しているということです。一日のうちに、心が変わるたびに、天界から地獄まで輪廻していることになります。天界は喜びと楽しみの状態、人間界は苦しみと楽しみの状態、修羅道は恨みと怒りの状態、餓鬼道は欲望が断たれ苦しみの状態、畜生道は恐怖と悲惨な状態、地獄は耐えられない苦しみの状態です。

以上を前提にして、今回の詩を理解してみましょう。

「ある者は母胎に再生する」とは、ある人は人間に生まれ変わるということです。ある人は悪いことより善いこと多くした人です。

「悪い行為の者は地獄に」とは、悪いことをした人は地獄に生まれ変わるということです。つまり、悪いことをすると、耐えられない苦しみに遭うということです。これは地獄が実際にあるかないかに関わらず、悪いことはしてはいけないということを言っているのです。

「善行者は天界に行く」とは、善いことをすれば、天界に生まれ変わるということです。善いことをすると喜びと楽しみの状態になるということです。善いことをすることを勧めているのです。

「煩悩のない者は般涅槃に至る」とは、煩悩のない者とは、煩悩、心の汚れをすべてなくした人です。このような人は、輪廻の世界から脱出して輪廻しない涅槃に至るということです。輪廻の世界は、天界といえども苦しみの世界なのです。ですから輪廻から脱出することはすべて苦しみがなくなることなのです。般涅槃とは完全な涅槃という意味です。といことは不完全な涅槃があるということですが、それは有依涅槃といい解脱した阿羅漢は生きていれば、生きるためだけの*五蘊が残っているのです。

*五蘊:読者からのご指摘により煩悩から五蘊に訂正(2012.7.10.)


「ある人は 母胎に生まれ 悪人は 地獄に行って 善人は天へ」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200903/article_29.html
http://76263383.at.webry.info/201002/article_5.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

とも
2012年07月09日 05:49
おはようございます
輪廻の話、現代は否定する人が多いですが、私は何の疑問もなく受け入れられました。しかし自分で確かめずに信じるのはいけないですね。今のところ判断は保留しておきます。

 一日のうちに天界から地獄まで輪廻していることは実感します。最近、よく餓鬼道に落ちています。
カエルくん
2012年07月09日 05:51
おはようございます。

輪廻の解説、とても詳しくしていただいてありがたいです。
私は確かめようがないので、判断保留ですが…。
一日のうちに、天国や地獄の気分を味わうことがある、というのは実感できます。
昨日のお話の、いじめ問題ですが、いじめる側の人も、人間として生きながらにして修羅道にいるように思えるのです。
さぞ苦しいだろうと思います。
もちろん、被害者の子供は生き地獄を味わうわけですが…。
どちらも苦しいだろうと思うと、胸が痛みます。
子供がそんな状態におかれてしまうのが、社会のせいなのか、教育のせいなのか、よく分からないのですが…。
慈悲の心で解決するしかないのだろう、と思います。
2012年07月09日 07:19
おはようございます。「自分のわからない事は判断保留」という態度は実に理性的で、中部経典チャンキー経にも述べられていますし、僕のブログにもかって紹介致しました(笑)。
なのでNHK初めテレビや読売朝日日経などマスコミ新聞報道をそのまま鵜呑みに肯定する人種は「問題外、全く見込みなし」であるとお釈迦様が現存されていましたらきっとおっしゃると僕は推測致します(^_^;)。
あすか
2012年07月09日 11:08
保留という考え方、衝撃でした。
証拠がない=存在しない
とは言いきれないですものね。

輪廻といっても漫画のように
魂が乗り移るとかではなく、
現代科学でもいずれアプローチできる
心のエネルギーのようなものかな。
などと考えたりもします。
大地も宇宙も変化するとか、
素粒子論のようなことまで
お話されていたブッダですから。

また、文学的詩的センス抜群の
ダンマパダを編纂した皆様のことを
考えると比喩表現かもしれません。

信じない人に対し、頭ごなしに
信じなさいというのでもなく、
信じる人に対し、そんなものは
ありませんというのでもなく、
どんな立場の人にとっても
善行への後押しになる詩句、
素晴らしいですね。
noritarou
2012年07月09日 11:30
輪廻とは、善行為、悪行為のエネルギーが輪廻すると聞いたことがあります。間違っていたら指摘してください。
無我なので、この私が輪廻するわけはないと思います。因縁法則により、「エネルギー」が別次元などで次のものをとり、輪廻するので、私には関係ないように思えますが、今、私が苦しみにあるので、輪廻の恐ろしさを理解できなくとも、当然、輪廻から離れるべきだと思います。

私には、この身体、この感覚、感覚から生まれる嫌悪や渇愛、思い、意思、認識に対する煩悩、執着があります。原因も結果も、すべては生滅変化しているので、執着することは出来ないといわれます。私の好悪の反応は、過去の業により作られ、未来の業を作り、縛られます。束縛から離れられるのは、「いま」しかありません。感情、好悪の根源を見つめ、形成されたものである「私」がいないと理解すること、そして生と滅が滅した所、寂滅した所にいることが最高の善行為で、最も価値あるものだと思います。
ささ
2012年07月09日 22:48
一日のうちに天国と地獄を輪廻しているとの話、実感できます。
『死後はどうなるの?』スマナサーラ長老 著 を読んでいて、元気が出てきました。
今まで知らなかった輪廻についての理解が少し進み、修行や供養の意味も新たに知ることが出来たからかもしれません。

改めて、明るい心で善いことにつとめていきたいと思いました。
こころざし
2015年11月18日 07:22
ブッダの教えだから正しい・・としてしまうと、盲信になってしまうと思います。自分で確かめる大切さを実感しています。
ですが、自分では分からない・体験出来ない事については「保留」にする事、凄く大切に感じました。そして今の日常でも分かるように解説下さったこと、とても分かりやすく思います。
悪行為をせず善行為をして、そして苦しみなく生きて参りたいです。
※余談ですが、今日地元の児童福祉施設にボランティアで出来る事をやらせて頂こうと見学に行きます。善行為を喜んでやらせて頂きたいと思います。