極端な 破戒行為を する人は 自分自身を 地獄に落とす(162)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


ヤッサ  アッチャンタドゥッシーリャン
Yassa   accantadussīlyaṃ,
彼に   極めつけの悪戒があるなら

ムールワー    サーラミウォッタタン
māluvā      sālamivotthataṃ;
蔓草の(ように) サーラ樹のように 覆われた

コローティ ソー  タタッターナン
Karoti    so   tathattānaṃ,
為す    彼は  そのように 自分に

ヤター  ナン  イッチャティ  ディソー
yathā   naṃ   icchatī     diso.
ように  彼に   求める    敵が


○直訳
彼に極めつけの悪戒があるなら
蔓草(つるくさ)に覆われたサーラ樹のように
敵が彼に求めるように
そのように彼は自分に為す


○子供のためのダンマパダ
自分かってでわがままな子は
仲の良い子とけんかして
友だちをなくしている
自分がみじめになるだけなのに


○一口メモ
「極めつけの悪戒」とは、仏教の言う五逆罪を指します。①母を殺すこと、②父を殺すこと、③阿羅漢を殺すこと、④ブッダを負傷させること、⑤サンガの和合を壊し、分離すること、です。

Māluvā :マールワーというつる草。寄生植物。サーラ樹に寄生してサーラ樹をからしてしまう。

この詩では、この「蔓草」が「極めつけの悪戒」で、「サーラ樹」がこの「悪戒を為した彼」です。彼はこの蔓草のために身を滅ぼしてしまうのです。

この詩の因縁物語は、ブッダを負傷させ、サンガの和合を壊し分離させたデーヴァダッタに関するものですが、スマナサーラ長老の解説をお読みください。
http://www.j-theravada.net/howa/howa77.html

「子供のためのダンマパダ」は、なぜ自分のためにならない悪行為をしてしまうのか考えてもらうために、掲載しました。考えて下さい。


「極端な 破戒行為を する人は 自分自身を 地獄に落とす」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200904/article_25.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年08月11日 06:17
おはようございます。

悪い心が種のうちに、素早く気付いて取り除きたいと思いました。それが難しいのですが。
日ごろから五戒を守って、瞑想をして。善い方向に心を向けておくことが大事かな、と思いました。

ウポーサタの真似ごと、実践しました。
空腹との戦いでした(笑)
化粧はノーメイクというわけにはいきませんでしたが、ファンデーションと眉と口紅だけで出勤しました。これだけで十分、という気持ちになりました。毎日これでもいいかな、と思いましたが、せっかく買った化粧品がもったいない、という気持ちがわいてきます。執着してますね。すぐには捨てられなそうです。
noritarou
2012年08月11日 09:03
貪瞋痴の衝動で生きることが、感情で考える原始的な生き方が悪です。それは世間でも、個人の肉体でも余りにも当たり前で、不幸の道だとは考えにくいことです。怒ったり嘆いたりしているまさにその時に、平和に気づくこと。そして日々、心を育て不放逸でいることが、悪に陥らない可能性を育てると思います。
ささ
2012年08月11日 11:37
こんにちは。

自分の心の中の敵(悪種)を育てぬよう、慈悲の瞑想とヴィパッサナー瞑想の実践で、自分の心の環境を整えられるよう励みたいと思います。

夏休みで子供たちがやってきます(図書館で働いています)。家庭環境が複雑な兄弟がいて、昨日も奇声をあげたり、長い竹の棒を持ち込んだりして、責任者が注意を何度もしてもなかなか聞きません。その中にいる一番小さな男の子は、一人でいるととても可愛いいい子なのに、お兄ちゃんたちと一緒になると、すっかり悪のりしてしまいます。
子供のためのダンマパダを読み、心の環境を考えた時に、何か子供たちが変わる対応ができないものかと考えています。

ワンギーサ先生、今朝は朝5時から離れた場所とはいえ、先生と共に瞑想することができました。(^ ^)
ささ
2012年08月11日 11:38
カエルくん。実際に行ってみると、なんだこれでいいじゃないかと思うことがありますよね。私も初めてのウポーサタ以来、ほとんど口紅をつけていません(笑)。

善友交流会でウポーサタの戒について質問をした時、ワンギーサ先生に
「無意識に自分で決めていたこと(化粧をすること)を初めて意識できたことで、余計な重荷を降ろせて身軽になったのではないですか」と言われ、なるほどと思いました。
精舎にいらした方からは、スマナサーラ長老が
「精舎に来るときは自宅に来るような気楽な気持ちで来なさい」と言っていたので、いつもすっぴんです(笑)と聞き、それから私も精舎へはノーメイクで行っていました。
普段の日も、以前より大分化粧に力を入れなくなり、化粧代が浮きそうだと喜んでました(笑)。
ちなみに私は新月と満月の日のみウポーサタという認識でしたので(正しくは分かっていません)次回は18(土)に行う予定でいます。いつも仕事で13時半から休憩でしたので、次回が初の12時までにお昼を食べ終える挑戦です。
カエルくんに続き、本当の空腹との初の闘いになりそうです(笑)。
あすか
2012年08月11日 21:00
悪行為、その時、気持ちが良い
刺激があるからでしょうか?
本能なのでしょうか。
結果がわからない時だけでなく
その後の報いがわかっていてさえ、
やらない、やめる、には、とてつもない
エネルギーを要します。
サティと慈悲を持って
自制するようがんばります。

カエルくん、さささん、
ノーメイク生活、もうなれてきましたよ。^^
夕食なしもありえないと思ってましたが
軽食だけ、フルールだけ、ミルクだけ、
などを経て、大丈夫になってきました。
思い込んでいただけなのですね。

座る瞑想も妄想が怖くてさけていましたが
やってみたら大丈夫でした。
「怖い」ことこそが妄想だったようです。
ワンギーサ先生の仰るように、
お化粧のみならず、いろいろな
思い込みに気づき、手放すことで
どんどん心が軽くなっていきます。

満月、新月に加え、半月の日も
ウポーサタにしています。
週1回くらいのペースになるので
今の私にはちょうどいいみたいです。

では、これから瞑想してから休みます。
明日も五時から礼拝、瞑想します。
離れてはいてもみなさんと共に
過ごせるのは励みになりますし、
とてもあたたかい気持ちです。
皆様に三宝の御加護がありますように。
こころざし
2015年11月29日 06:52
本文の子供のためのダンマパダを拝見し、何か怒れる事や気に入らない事があっても、それで職場や家庭にいられない程の破壊行為をしてしまうと→その職場や家庭にいられなくなり、結局悲惨な思いを自分がする・・に繋がる印象があります。怖い事だと思います。
これも無知から生じるものと見てよいでしょうか。智慧を持って善行為で生きれるように努め、そして自分も幸せになりたいです。