大陸の 王になるより 全宇宙を 支配するより 預流果が上だ(178)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

悟った人ってどんな人?
すべての悩み苦しみがきえた人
それなら、僕と同じだね
ほんとですか?君は泣くことあるよね


○パーリ語原文と訳語

パタビャー  エカラッジェーナ
Pathabyā   ekarajjena,
大地の    一人の王より

サッガッサ  ガマネーナ   ワー
saggassa   gamanena    vā;
天界に    行くことより  或は

サッバローカーディパッチェーナ
Sabbalokādhipaccena,
全世界を支配することより

サターパッティパラン  ワラン
sotāpattiphalaṃ     varaṃ.
預流果が        最勝


○直訳
大地の一人の王より
或は天界に行くことより
全世界を支配することより
預流果が最勝(です)


○一口メモ
仏教では世間の人々がいつも関心あの事柄を八世間法としてまとめています。
①利、②不利、③名誉、④不名誉、⑤非難、⑥称賛、⑦楽、⑧苦
このうち、①、③、⑥、⑦を望み、②、④、⑤、⑧を嫌うのです。

世間の人々が①③⑥⑦の事柄を最高に享受できる状態がこの詩の始めの3行であると考えているのです。

しかし、それ以上のレベルとして、世間の関心より上の勝れた境地すなわち九出世間法を教えています。
①預流道、②預流果、③一来道、④一来果、⑤不還道、⑥不還果、⑦阿羅漢道、⑧阿羅漢果、⑨涅槃
これらはブッダが教える四段階の悟りの入口と結果です。これらに涅槃を加えて9項目であります。これらについては今年の6月28日のブログ記事「一口メモ」で詳しく説明しました。
百年も 真理知らずに 生きるより 真理知って 一日生きよ(115)
http://76263383.at.webry.info/201206/article_29.html

この詩の4行目の預流果は悟りの第一段階を意味しているのです。つまり、世間でどんなに成功しても、出世間の最初のステップには及ばないということです。

ここで、禅定と悟りの違いを説明しておきましょう。
禅定には、色界禅定(第一禅定、第二禅定、第三禅定、第四禅定)と無色界禅定(空無辺処定、識無辺処定、無所有処定、非想非非想処定)とありますが、禅定の最高のレベルと言われている非想非非想処定に到達した人でも悟った人と言わないのです。

悟った人は智慧で無明を破り、涅槃を見る、短時間でも涅槃を体験することが必要なのです。しかし、たとえば預流果に悟って短時間涅槃を体験しただけでは煩悩はすべて消えるわけではないので、いわゆる悟後の修行が必要です。悟った後でも煩悩をすべてなくし、阿羅漢果を得るまで修行しなければなりません。

「瞑想しても何の気づきもないのですが」と言われる方がいますが、それはそれで結構だと思って下さい。悟った後も煩悩をなくす修行をすべきなのですから、悟る前に煩悩をなくす修行をしていると思って下さい。これは冗談で言っている訳でなく本当のことなのです。毎日毎日の慈悲の瞑想とヴィパッサナー修行が確実に煩悩の汚れをなくしているのです。

大陸の 王になるより 全宇宙を 支配するより 預流果が上だ(178)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200806/article_6.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_19.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーをクリックして下さい。
記事内容の改善の参考にしたいと思っています。

この記事へのコメント

あすか
2012年08月27日 12:20
見えたり感じられたりという
具体的な成果がわからなくても
決して無駄ではないのですね。

方向さえ間違ってなければ
たとえわずかでも
前に進んでいるはず。
今日も歩み続けます。
カエルくん
2012年08月27日 22:26
こんばんは。

子供のためのダンマパダを読んで。そういえば最近泣くことが減ってきたなあと思いました。感情の起伏が激しい性格だったのですが、だいぶ穏やかになれた気がします。
泣くことも怒ることと同様に煩悩のひとつなのですね。
少しずつ減らしてこれたのも、仏道のおかげだと思います。もちろん、まだまだこれからですが。
こころざし
2015年12月05日 14:40
自分なりに真剣に修行をしているつもりでいながら、日常で欲や怒りの心が出て体がそれに多少でも伴った時に、自分が悟りとは程遠い状態にいる事を突き付けられる思いを致します。冷や汗の出る心境になります。
そのように確実に悟っていない自分ですが、それでも思考・妄想する機会は以前より減っていると感じます。出来ればスパッと欲や怒りがなくなると良いのですが、徐々に・・ですね。日々精進して参りたいです。