他の人を 躾けることは 難しい 己の躾け 更に困難(159)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


アッターナン  チェー  タター   カイラー
Attānaṃ     ce    tathā    kayirā,
自己を     もし   その如く  為すべきだ

ヤターンニャマヌサーサティ
yathāññamanusāsati;
他者に教誡するように

スダントー     ワタ    ダメータ
Sudanto       vata    dametha,
よく調御した者は   実に   調御するだろう

アッター  ヒ     キラ  ドゥッダモー
attā     hi     kira   duddamo.
自己は   なぜなら  実に  調御し難い(から)


○直訳
他者に教誡するように
自己をその如く為すべきだ
よく調御した者は実に調御するだろう
なぜなら自己は実に調御し難い(から)


○意訳
他人を躾(しつ)けるように
自分も躾けるべきだ
自分を躾けた者が他人を躾けることができる
自分を躾けることは難しいからだ


○一口メモ
この詩は他人に教えるように、自分も実践すべきであることを述べています。
そして、自分で実践した人が、他人を教えることができると言うのです。
その理由は、自分自身を訓練することは、他人を訓練するより難しいからです。難しい自分の訓練ができれば、それよりやさしい他人の訓練はできるのです。

このことですぐ思い出されるのが103番の詩です。
「戦場で 百万人に 勝つよりも 一人の己に 打ち勝ちがたい」
http://76263383.at.webry.info/201206/article_17.html

多くの人は、自分のことは自分が一番知っていると思っていますが、自分のことは自分が一番分かってないようです。スマナサーラ長老の「結局は自分のことは何も知らない」(サンガ)という本があるくらいですから、自分を訓練するのは難しいのです。

では、そのような自分をどのようにして訓練したらよいのでしょうか?
実は、あまり簡単な方法はありません。
一番効果のある方法は瞑想をすることですが、瞑想は知識を覚える勉強とは違いますから始めが難しいのです。
瞑想というと眼を閉じて黙って座っているだけのようにみえますので、それに何か意味があるのかと思ってしまうのです。ですから瞑想を始めようとも思いません。たとえ始めたとしても、すぐに効果は現れませんから、すぐ飽きてやめたくなるのです。ですから、その問題を克服するのが、始めの困難です。

瞑想の方法はいろいろありますが、一つ考えて下さい。眼を閉じて、黙って座るとどのようなことが起きるでしょうか。私たちは眼、耳、鼻、舌などから、色や形、音、香り、味などの外界の情報を受け取っています。そのうち眼からの情報は一番多く、全情報の70%くらいと言われています。ですから眼を閉じると外界からの情報の約70%が遮断されます。そうすると、脳は情報処理を70%しなくて済みますから、心はその分落ち着いてきます。今まで自分の外に向いていた注意が、自分の内側に向くようになります。そのようにして、自分を知ることができるようになります。それから自分を訓練できるようになるのです。

実際には次の二つの瞑想法を推薦します。

一つは、毎回このブログ記事の終わりに記載している人生の万能薬(慈悲の瞑想)を毎日唱えて、自分の心に正しい生き方、慈悲の生き方を言い聞かせるのです。詳しい方法は日本テーラワーダ仏教協会のホームページの次のアドレスの項を参照してください。
http://www.j-theravada.net/3-jihi.html

もう一つは、ヴィパッサナー瞑想に取り組むことです。そのやり方は日本テーラワーダ仏教協会のホームページの下のアドレスの項を参照してください。
http://www.j-theravada.net/4-vipassa.html


「他の人を 躾けることは 難しい 己の躾け 更に困難」


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/201003/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年08月08日 05:14
おはようございます。

慈悲の瞑想は毎日しています。
ヴィパッサナー瞑想は出来たり出来なかったりです。

友人に仏教に興味があるので、瞑想しているところを見たい、と言われましたが断りました。人に見せるものでない気がしたからです。
自分でやってみたい、という風にはならないのかなあと思いますが、やはり人に勧めるのは難しいですね。
それよりも自分自身が精進することだと、今日の詩を読んで思いました。ヴィパッサナー瞑想、頑張ります。
あすか
2012年08月08日 09:48
瞑想実践しています。
慈悲の瞑想ひとつとっても心から
穏やかで幸せになれる時もあれば
「私の嫌いな」や「嫌っている」に
妙にひっかかる時もあります。
ヴィパッサナーも常に行うと
実に多くのことが学べますね。
対処法など疑問もいろいろ
出てくるので、やはり直接指導が
必要かなと感じています
noritaoru
2012年08月08日 17:16
2010年のコメントで1951男さんが、教えるという意味には、気付かせる、思い出させるという意味がある、と仰っていました。まさに、そのように思います。
その人が本来持っているものを引き出すのが教育だと思います。

ヴィパッサナーについて、僭越ですが、経験していることを言います。
<「私が」対象を観察する>から<「何か」が、主語であった「私を」観察する>ようになりました。思考も、呼吸も、行動も、出来事も、全自動的に起こるのでサティが入ります。観察だけがあります。自分の思考から離れて観察していると、ただ因縁のつながりがあるだけで、ただ生滅変化があるだけです。大きな静けさの意識のようなものを感じるだけです。それは紛れもなく私の意識でもあり、誰でも感じているものです。
ヴィパッサナー瞑想は、幸福に至るための、本当に素晴らしい実践方法です。
noritarou
2012年08月08日 18:28
知った風な口をきいてしまい、すみませんでした。不快な気持ちになられた方がいらっしゃるかもしれません。
今の私の見解も邪見かもしれません。精進します。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
こころざし
2015年11月28日 09:59
冥想を実践して、如何に日常で思考・妄想・煩悩で時間を使ってしまっているか、そして心が曇る状況になっているかを実感致します。
サティで気が付いて思考を回転させない冥想実践の重要性を感じます。
また他者に対して容易に怒り・憎しみ・嫉妬当の気持ちが生まれかねません。慈悲の冥想の実践して参りたいです。