一切の 悪を為さずに 善をなせ 心を清めよ これが仏教(183)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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○子供のためのダンマパダ

人に迷惑になることはしないように
人の役に立つことをするように
明るくやさしい心を育てるように
これがお釈迦さまの教えです


○パーリ語原文と訳語

サッバパーパッサ  アカラナン
Sabbapāpassa    akaraṇaṃ,
一切の悪を     為さないこと

クサラッサ  ウパサンパダー
kusalassa   upasampadā ;
善を     達成すること

サチッタ   パリヨーダパナン
Sacitta    pariyodapanaṃ ,
自分の心を  清めること

エータン  ブッダーナ  サーサナン
etaṃ    buddhāna   sāsanaṃ.
これが   諸仏の    教え


○直訳
一切の悪を為さないこと
善を達成すること
自分の心を清めること
これが諸仏の教え(である)


○一口メモ
この詩は、ダンマパダの中でも有名な詩の一つで、テーラワーダ仏教のみなならず、大乗仏教でも七仏通戒「諸悪莫作 衆善奉行 自淨其意 是諸仏教 」(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう じじょうごい ぜしょぶっきょう)として唱えられています。

この詩は、始めの3行で仏教実践のすべてを要約しているといえます。

先ず「一切の悪を為さないこと」これは実に難しいことなのです。私たちは悪いことはいつもしている訳ではないのです。通常は善くも悪くもないことをしています。多くの悪いことは魔が差したように、突然何かの刺激で悪を行ってしまう場合が多いのです。一切の悪を為さないためには、突然やって来る悪を為す衝動を止めなければいけません。そのためには、いつも自分の心に注意を向けて、悪を為さないように気づいていなければいけません。不放逸が必要なのです。八聖道と言えば、正念の実践がなければ、「一切の悪を為さないこと」は実践できないのです。そして、正精進も必要です。その意味で大変難しい課題なのです。

次は、「善を達成すること」、これは八聖道で言えば、正思、正語、正業、正命です。そして、この実践には正精進、正念も必要なのです。これらは戒(道徳)を守り、その実践に努力することです。

最後は、「自分の心を清めること」、とは心からすべての煩悩をなくすことです。正念により、五蓋(貪欲、怒り、昏沈・睡眠、掉挙・後悔、疑)がなくなり、禅定に入ります。そうすると正定の実践になります。正見(智慧)が現れ、無明を破り、解脱、涅槃に達します。

すなわち、この詩は八聖道の実践の分かりやすい要約なのです。

一切の 悪を為さずに 善をなせ 心を清めよ これが仏教(183)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_15.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_24.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年09月01日 07:58
183もぜひパーリ語のまま
おぼえたい偈の一つです。
暗記力だいぶおちていてショック。
一行づつでも楽しく覚えてみます。

一切の悪をなさないを目標に
悪を最小限に、そして
更に減らすようがんばります。
今、清い心ですべきことをする。
それだけ。シンプルですが
続けるには努力が要りますね。

今日も皆様が、すべてのものが
しあわせでありますように。
カエルくん
2012年09月01日 08:02
おはようございます。

多くの悪いことは魔がさしたように、突然何かの刺激で行ってしまう、というお話に納得です。
いつもそうです。善いことをしようと思いながら、ふと自分でも思いもよらなかったような悪い考えが頭をよぎります。
自分で自分の心をコントロールするのは難しいです。
正念が第一歩、と心得て頑張ります。
noritarou
2012年09月01日 08:22
キリスト教では、罪を作らないように言われます。これは、仏教で言う、貪瞋痴の心でサンカーラを作らないようにと言うことでしょう。
あらゆる苦しみは、妄想や思考から生まれると言われます。妄想を止め、自我から離れた瞑想状態、慈悲喜捨の心でいること、が善行為であり清らかな心だと、今は理解しています。
怒りが湧いて来る時には、怒ることで、自分が相手にどうしてもらいたいのかを考えるように出来たらと思います。私は、未熟です。精進します。
精進します。
慈悲と智慧
2012年09月01日 11:23
お釈迦様は、悪いことをすると、悪い結果を招くとおっしゃいます。



そして悪い結果の一つに地獄があります。



私たちは、その悪い結果である地獄がどういうものか、見て見ぬふりをするから、悪いことがやめられない



のだと思います。



いわゆる、臭いものに蓋をしてしまうからです。



原発や地震に対する備えを怠るのも、臭いものに蓋をするからだと思います。



怠けで直視しなければいけない真理にモザイクをかけてしまうからだと思います。



例えば、徹底的にお釈迦様がおっしゃる地獄の現実を徹底的に目の当たりすることなどが、大事だと思います。



それには、こちらがオススメです。





http://gotami.j-theravada.net/2010/08/129dhammacast.html

Mason
2012年09月01日 16:24
随分前に1,2度だけ投稿した者です。

昨日の記事を読み、夜空を眺めたところ、当地カリフォルニアにも綺麗な、まん丸お月さんが出てました。阿倍仲麻呂みたいに日本が恋しいとは別に思わないのですが徒然草第137段 「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」の一節を思い出しコメントしたくなりました。

この段の兼好法師の真意は色々な解釈ができるでしょうが、私は、やはり人間の欲を戒めているのではと感じました。ワンギーサ様も書いておられたように、こうして月を眺めるという風流を一瞬でも味わえるだけで本当はどれだけ涙が出るほど有難いことか。未曾有の災難、身近な人の死、通り魔的な犯罪などに遭ってたら、そんな余裕は普通ありませんからね。

しかし平穏さが続くと、人は六道一切皆苦なのを忘れ、同じ月を見るにしても、一番まん丸の日のを逃すまい、などと欲を出す。さらに、どこどこから見るのが最高だと言われてるから、早く行って場所を取っておかねば、などと本来「誰のものでもない」月だからこそ美しいのに、いつのまにか人と醜い「取り合い」をしている。

そんな人間の浅ましさ、欲望の際限のなさを兼好法師は笑っておられたのではないでしょうか
こころざし
2015年12月06日 13:20
悪い事をせず善行為をして、そして心を清めていく事はなんてシンプルで分かり易くて・深みを感じます。そして実践に繋げるにはこころざしがないと難しいと思います。
日々の今を大事にし、そして実践をして参りたいです。