怨みある 人々の中で 怨みなく 真に気楽に 生きていこうよ(197)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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○子供のためのダンマパダ

子供のように生きてみよう
戦火の下で屈託なく笑い
いがみ合う人々の足元で
うらみなく元気に遊ぼう


○パーリ語原文と訳語

ススカン   ワタ   ジーワーマ、
Susukhaṃ   vata   jīvāma,
真に幸福に  実に   生きよう

ウェーリネース   アウェーリノー
verinesu       averino; 
怨みある者の中で  怨みのない者として

ウェーリネース  マヌッセース 
Verinesu      manussesu,
怨みある     人々の中で

ウィハラーマ  アウェーリノー
viharāma    averino. 
住もう     怨みなく


○直訳
実に真に幸福に生きよう
怨みある者の中で怨みのない者として
怨みある人々の中で
怨みなく住もう


○一口メモ
「第15 幸福の章」の始めの詩の一行目の句は、「実に真に幸福に生きよう」です。これはブッダの全生命へのメッセージです。

「幸福の章」の幸福は、パーリ語はsukha です。sukhaには楽、安楽、幸福などの意味があります。
「真に幸福」はsusukha です。これはsu+sukha でsukha に「よき、善き、良き、妙なる、易き、極めて」などの意味を持つ接頭語suが付いたものです。それで一応、真に幸福という訳にしたのです。ですが、「実に安楽に」や「本当に気楽の」などと訳すことができると思います。以前はそのような訳にしたこともあります。

こころから気楽に生きてみよう
本当に楽に生きてみよう
真に気楽に生きてみよう
真に幸福に生きよう

これらはブッダのメッセージです。いろいろ訳せますが、ブッダの意図が分かると思います。ブッダは「生きることは苦だ」と言っています。しかし、決して「苦しめ」と言っていないのです。この詩のように「楽に、安楽に、幸福に生きよう」と私たちを励ましておられるのです。そして、それができるのです。

今日から3日間同じ形式の詩が続きますが、今日はその一つです。先ず、人間は怨みを持つと、楽に、安楽に、幸福に生きていけないのです。怨みは、単なる怒りとは異なります。怒りがあっても幸福にはなれませんが、怒りは比較的、短時間の感情でるのに対して、怨みは怒りが持続している感情ですから、心はさらに暗くなり、さらに苦しくなり、さらに不幸になってしまうのです。ですから、怨みはなくさなければいけません。怨みがあった状態から怨みがない状態に変わると心は明るくなり、楽になり、安楽になり、幸福になります。

世の中の人々に、怨みは持続する感情ですから、なかなか消えずに残っているのです。しかし、怨みがあれば幸福になれませんから、怨みを捨てるのです。他の人々は怨みを持っていても、自分は怨みを持たないと決心し、覚悟を決めるのです。そうすれば、怨みを捨てることができます。幸福になることができるのです。その時、心は成長し、強くなるのです。

ダンマパダの3番、4番、5番の詩を想い出して下さい。

怨みある 人々の中で 怨みなく 真に気楽に 生きていこうよ(197)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_10.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_23.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_1.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年09月11日 06:02
おはようございます。
怨みある人々の中で、の一文が心に沁みます。
他の人はどうであれ、自分は怨みなく楽に生きようということですね。
怨みのある人のそばにいると、いやな気持になり、自分の心に怒りが生まれるのを感じます。怨みの心も感染するのですね。
すぐに気付いて、自分を取り戻していきたいと思います。
2012年09月11日 08:05
おはようございます。
確かにこの身も世の中も、「苦」でろくでもない弱肉強食社会だと思いますが、その中で「どう個人が生きるか?」という指針を初期仏教は示唆してくれていると思います。

自分自身のわがままな欲や怒り、とめどない妄想をとにかく客観視し、STOPし、

慈悲喜捨の気持ちで周りの人間や動植物に接して行けたらどんなにか自分も周りも救われることかと思います。

が僕にはなかなか出来ません。
出来るだけ精進したいと思います。m(_ _)m
あすか
2012年09月11日 08:30
サッレーカ・スッタを思い出しました。
子供がよく「だってみんなが…」と言いますが
「他の人」を言い訳にしてはいけませんね。

怨みや復讐から善いものは生まれません。
心の洗濯を日々繰り返し、やっとこの汚れも
薄くなって来ました。楽になってきました。

ブッダは欲・怒・執着等のままでは苦だよ
と仰ってるのであり、こうして丁寧に
解決方法までおしえてくれています。
悲観論でなく幸せへの道だと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
長老の法話のページにある
江原通子さんの訳も趣がありますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>カエルくん
怨みが感染しないくらいの抵抗力、
免疫力、つけるようお互い
明るく楽しくがんばりましょう。^^

仕事によってお役に立てる、
しかも、いただくお金で善行ができる。
全くそのとおり。前向きになれそうです。
ありがとうございます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お坊様方への布施に限らず、
良い仕事をしている人の生産物などに
お金を使うことでその方々を
応援することにつながります。
布施の心で賢い消費を考えます。
noritarou
2012年09月11日 12:30
長文失礼します。

>単に無制限に儲けるためにです
このような情報は信じられないかもしれませんが、今や証券市場では、天候さえデリバティブで販売され、それ故に確実に地球環境を破壊しています。たとえば不作に賭けて、干ばつをさせ、儲ける仕組みです。天気を悪用しないようにという文書もありますが、もちろん意味はありません。

>聖書などに書かれているフィクションを現実化するためにです。
日本は聖書圏にないのでわかりにくいですが、これは本当に実感しています。政治、経済状況、それが進む方向を知り、自分が住んでいる世界を改めて見ると、絶望します。私は、人間は仏道を知るべきだと思います。

一秒の間に怨みが存在出来るかというと、出来ません。そのように、思考をやめれば、怒りも怨みも自分でつくりだしたもの(サンカーラ)は消えると言われます。
煩悩の海を渡るのに、仏教はいかだを出してくれました。仏教は、怨みや悩みがあっても、瞬時に幸福になれる教えを説いてくれました。

>怨みある人々の中で怨みなく 真に気楽に生きていこうよ
ワンギーサ先生の訳は、本当に暖かく、素晴らしいです。難しいことを考えないで、「今」気楽に笑えるかどうか、常に、やさしく問われているように感じます。
こころざし
2015年12月10日 07:42
何かをされて怨み的なものを持つと、急に人生は不幸?で仕返しをしなければ・・みたいな流れになってしまう印象があります。身近に「やられたら絶対やりかえす」との発言をされる方がいますが、心は楽でない様子を感じる事があります。
怨みなど持たないと決めて生きて参りたいです。