貪欲と 怒り五蘊が 苦のもとだ 寂静以上の 幸せはない(202)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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○子供のためのダンマパダ

欲しい気持ちが強くなると身体が燃える
何かに怒ると幸運の女神が逃げる
自分の身体と心より厄介なものはない
落ち着いた時より安楽で幸せはない
子供には分からないかな


○パーリ語原文と訳語

ナッティ  ラーガサモー  アッギ
N'atthi    rāgasamo    aggi,
ない    貪欲に等しい  火は

ナッティ  ドーササモー   カリ
n'atthi   dosasamo     kali;
ない    怒りに等しい   不運は

ナッティ  カンダーディサー ドゥッカー
N'atthi    khandhādisā    dukkhā,
ない    蘊に等しい     苦は

ナッティ サンティパラン  スカン
n'atthi   santiparaṃ    sukhaṃ.
ない    寂静に優る   安楽は


○直訳
貪欲に等しい火はない
怒りに等しい不運はない
(五)蘊に等しい苦はない
寂静に優る安楽はない


○一口メモ
「貪欲に等しい火はない」の火は危険なものという意味でしょう。世の中には危険なものはたくさんありますが、この詩でブッダは貪欲が一番危険なものだと言われています。貪欲については何度も述べてきましたので、皆さんが各自で考えてみてください。皆さんが、貪欲以上に危険なものを考えたとします。しかし、私にはそれに対する反論を用意しているのです。それは、貪欲には限界がないことです。皆さんが考えた危険なもの以上に貪欲の危険性を増大できるのです。という訳で、貪欲が一番危険なのです。

「怒りに等しい不運はない」については、「子供のためのダンマパダ」に書いてあることです。「何かに怒ると幸運の女神が逃げる」のです。神々は明るく楽しく喜びのある生活をしていますから、怒りで暗く嫌な所には行きません。当然、幸運の女神は来ません。ですから不運になるのです。これはおとぎ話として表現しているのですが、怒りがあると、人間は能力を発揮できないのです。そすれば、当然すること為すこと、失敗するのです。失敗の連続は不運と言うべきでしょう。

「五蘊に等しい苦はない」、これも「子供のためのダンマパダ」の表現が分かりやすいでしょう。すなわち「自分の身体と心より厄介なものはない」ということです。表現は分かりやすいですが、内容は分かりやすいと言えないかもしれません。歳を取って老人になると、腰が痛い、膝が痛い、また老眼鏡なければ読めないし、耳も聞こえにくくなる。入れ歯の必要な人もいるでしょう。物忘れがひどくなる。この身体と心が厄介なのです。

若者はそうは思えないでしょう。この身体があるから楽しいと思っているでしょう。しかし、実は自分の身体と心で悩んでいるのです。もっと美人であれば、もっと背が高ければ、もっと頭が良ければ、自分の性格が嫌いだとか悩んでいるのです。自分の身体と心でも自分の思う通りにはならないのです。苦しみなのです。

「寂静に優る安楽はない」の「寂静」とは涅槃のことです。つまり涅槃にまさる安楽はないと教えているのです。今回の202番の詩で、貪欲と怒りと身体と心について正しく理解した時、貪欲を捨てることができます。怒りを捨てることができます。身体と心に対する執着がなくなります。そうすると、すべての煩悩がなくなり、解脱して、涅槃を体験します。「寂静に優る安楽はない」が分かるのです。

貪欲と 怒り五蘊が 苦のもとだ 寂静以上の 幸せはない(202)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_13.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_26.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年09月16日 07:00
おはようございます。
このひとつの詩で、すべてを言い表しているのですね。
服を買うときなど、必要最低限にしようと思うと大変時間がかかります。限られた予算や数の中で、少しでも気に入った物を買おうと思うからです。その時間はずっと自分の欲と葛藤しています。とても疲れます。
ひとりウポーサタのおかげで、普段の日もお化粧が簡素になりました。とても楽です。
自分へのこだわりを捨てていくと、楽ですね。
服ももう少し楽に選べるようになるように、努力しようと思います。
noritarou
2012年09月16日 11:52
ワンギーサ先生、皆様、こんにちは。

今、私は、五感が認識したければさせておくようにしている感じでいます。
感情が現れれば、そのように、思考が現れればそのように、自分の心身について起こることは全自動的に、作用しているがままにしておきます。
たとえば、声を荒げようとしている瞬間に、以前は我慢しようともしましたが無駄なので、ただ気付き、なすがままにしておきます。
怒っている途中で落ち着きます。
怒りに、継続してエネルギーを与えません。
私がコントロール出来るものは何もありません。
ただ、気付きヴィパッサナーすることだけです。
思考を使おうとするときは、慈悲の瞑想など、思い出そうとする時です。
うまく集中して出来ているときは、そのように思えるだけかもしれませんね。
「幸福とは、感じるもの」と言われますね。
私は、以前は、幸福を、自分を、追い求めていましたが、今は、そうではないと思うようになりました。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
あすか
2012年09月16日 12:23
今日はまとめのような偈ですね。
おりしも新月。
心新たに精進に励みます。
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
こころざし
2015年12月11日 08:52
昨夜欲からネットサーフィンをしてしまい、貴重な時間を潰しました。定期的にやるこの失敗を振り返ると、自分の心が落ち着いている時ほど修行的になれますが、落ち着いていない程このような状況になります。疲れがあるとの表現も出来ますでしょうか。
ですが疲れは言い訳にしかならないですよね。修行が足りないと思います。
欲や怒りを身が伴った意味で減らし→なくして、そして心が安定し静寂になれように努めたいです。