にがそうな 遠離の味を 味わえば 心は寂静 真理が観える(205)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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○子供のためのダンマパダ

あまえてはいけません
自分のことは自分でやるように
自分で調べ、自分で考える
自立した人間になりましょう


○パーリ語原文と訳語

パウィウェーカラサン ピートゥワー
Pavivekarasaṃ     pītvā,
遠離の味       飲んで

ラサン  ウパサマッサ  チャ
rasaṃ   upasamassa  ca;
味を   静寂の     と

ニッダロー   ホーティ  ニッパーポ
Niddaro     hoti     nippāpo,
恐怖のない者  なる    悪のない者に

ダンマピーティラサン  ピワン
dhammapītirasaṃ    pivaṃ.
法の喜びの味を     飲みつつ


注:遠離(おんり:「あれこれと束縛がないこと」「関わりを持たないこと」と言う意味です。)

○直訳
遠離の味と
静寂の味を飲んで
恐怖のない者、悪のない者になる
法の喜びの味を飲みつつ

○一口メモ
この詩の始めの言葉、Paviveka は遠離(おんり)と訳されます。しかし遠離の意味は分からないと思います。注に書きましたが、「あれこれと束縛がないこと」「関わりを持たないこと」と言う意味です。

遠離についてもう少し説明しましょう。「遠離を楽しむ」の反対の意味は、「大勢で集まって楽しむ」になります。ですから、「遠離を楽しむ」は「一人を楽しむ」ということになります。一人を楽しむとは、あれこれ束縛がないことを楽しむことで、関わりがないことを楽しむことなのです。

世間の人々は一人を楽しむよりは大勢集まっている方が楽しいと思っています。家族が大切だと思っているのも、家族と一緒にいることが楽しいと思っているからなのです。実は、これは家族に依存しているのです。自分の楽しみは家族があるからなのです。しかし、遠離を楽しむ人は家族に依存していません。自立していることに喜びがあるのです。

ですから、「子供のためのダンマパダ」では「自分で調べ、自分で考える自立した人間になりましょう」と表現したのです。

四行目の「法」とは、遠離と静寂を指しています。つまり、四行目の意味は「遠離と静寂の喜びを味わって」と言うことです。

「遠離の喜び」とは何でしょう。「束縛がないことを喜ぶは」は分かりますが、「関わりを持たないことを喜ぶ」はあまりわからないと思います。世間の人々はあれこれ、関わらないでもいいことまで関わりを持ちたがります。この詩の始めの解説記事では私はこれに納得できなかったと書いてありました。しかし、今は少しずつ関わりを持ちたくないと言う気持ちになっています。

瞑想に関して言えば、遠離の心から禅定に入り、禅定の喜びを感じていると言うことでしょう。そして、「寂静を味わって」は涅槃の境地を体験してということでしょう。そのような方は阿羅漢で悪のない、すなわち煩悩のない、恐怖のない方なのです。


にがそうな 遠離の味を 味わえば 心は寂静 真理が観える(205)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_16.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_7.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年09月19日 07:23
おはようございます。
子供のためのダンマパダを読み、「はい」と思いました。
家族や友人に依存しているので、振り回されることもしばしばです。大事に思いつつも、少し離れてつきあえるようになりたいです。
2012年09月19日 08:02
おはようございます。僕は昨日から家でも仕事場でも両方均等に瞑想をしています(笑)。
特に仕事場で自分の今現在の心に、欲、嫉妬などが起こると素早く気づいて、不善な心にならないようにしていました。( 中部経典・二種考相経を参照)

そうすると驚いたことに次から次へと自分でも全く予期しない(心地好い)出来事が自分の目前に現れてきます。

その(心地好い)出来事に対しても欲を持つ事なく、仕事をこなすとまた自然な形で心地好い出来事が現れてきます。

だから僕は、仕事場で仏教に全く関心のない五欲享受の人達に囲まれていても、
自分の心の状態を観察して、常に不善の心の状態にならないように注意しておけば、十分カニカサマーディなどの瞑想体験をして初期仏教に確信を持てるはずだと感じました。

ポイントは一切の期待、欲の妄想を捨て去ろうと覚悟を決めること。ただ目の前のやるべき事をすること。
そうすると自分にとって必要なもののみが自動的に貰えます。
初期仏教の言っている事はやはり本当だったと今朝しみじみと思いました(笑)。
あすか
2012年09月19日 12:23
わいわい騒ぐのとは異なる
穏やかな喜びも感じることが
できるようになってきました。

一人静かにしている時も
たくさんの人や生き物と
つながっているとわかれば
ちっともさみしくありません。

生き物は助けあわなければ
生きていけませんが、過度に
誰かや何かに頼りすぎず、
しっかり自立していたいものです。

>カエルくん
今日の子供のためのダンマパダ
心にひびきますね。ズシッ!

>蒼氓さん
職場で忙しい時でも気づきから
それないよう努力してみます。
様々な環境で精進できるのが
在家の醍醐味ですね。
noritarou
2012年09月19日 16:33
「孤独の味」よりも「遠離の味」の方がより具体的で分かりやすいですね。
そして、先生方お二人が、実践内容について明確に触れていらっしゃいます。

>自立していることに喜びがあるのです。

>世間はなんと言おうとも、自分のため他人のために、役に立つことのみをするべきだ

>カエルくん
私も、家族や友人に対して、一時の感情に振り回されないで、慈しみの心でいられたら、と思います。

>蒼氓さん
蒼氓さんの覚悟が伝わってきます。詳しくレクチャーしていただき、ありがとうございます。

>あすかさん
あすかさんの穏やかな気持ちが伝わってきます。
安らいの味なんですね。

皆様と共に学べることに感謝いたします。
精進します。
ささ
2012年09月19日 22:35
こんばんは。
初めて聞いたときから好きな偈のひとつです。
今回の子どものためのダンマパダ。もう、これひとつで
何もいらないのではと思うほどですね。
蒼氓さん、とても勉強になります。先日の月例講演会にも通ずる内容に感じました。実は日常読誦経典も、近いうちに手に入れたいと思ってました。お給料日が来たら入手します(笑)。ありがとうございます。

過去の解説やコメントもとても勉強になりました。
座る瞑想で、すぐ眠気に負けっぱなしだった頃、ある時、
自分は眼から入る情報にとても頼っているからなのではと思ったことがあります。前回の解説を読んで腑に落ちました。
禅定や寂静の喜びを味わうことができることを大きな目標に、今日も小さな実践からつとめていきたいと思います。






SRKWブッダ
2014年09月21日 22:41
如来は、厭離の味を楽しむ。ゆえに、誰の影響も受けず、かつ誰に影響を与えることもない。如来は、(無相にして)対機の理法を説くだけである。

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こころざし
2015年12月12日 07:55
孤独が寂しい・・的な心を持つと、無理にでも群れようとします→過去にはそれで痛い目に逢いましたし、心の成長には繋がりませんでした。
まず一人で自立して生きれる事、そして心が成長できるように精進出来る事、そのように生きて参りたいと思います。