愚者たちと 共に過ごすは 苦しみだ 賢者とともに 住むのは幸だ(207)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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9月23日(日)ゴータミー精舎 バザーのご案内
来る9月23日(日)、東京・幡ヶ谷のゴータミー精舎にて、有志の方が東日本復興応援バザーを開催します。詳細はこちらをご覧下さい。http://www.geocities.jp/msrwp662/
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○子供のためのダンマパダ

わがままな人といっしょにいると
いつまでも苦しいよ
わがまま人といっしょにいると
敵といっしょにいるようだ
賢い親切な人といっしょなら
家族といっしょにいるようだ


○パーリ語原文と訳語

バーラサンガタチャーリー  ヒ
Bālasaṅgatacārī       hi,
愚者と共に行くこと     実に

ディガマッダーナ  ソーチャティ
dīghamaddhāna   socati;
長い時間の     悲しみだ

ドゥッコー バーレーヒ  サンワーソー
Dukkho   bālehi     saṃvāso,
苦しみ   愚者との   共住は

アミッテーネーワ  サッバダー
amitteneva     sabbadā;
敵 まさに     常に

ディーロー  チャ   スカサンワーソー
Dhīro     ca     sukhasaṃvāso,
賢者との   しかし   安楽 共住は
 
ニャーティーナンワ サマーガモー
ñātīnaṃva      samāgamo.
親族の ようだ   集いの


○直訳
実に愚者と共に行くことは
長い時間の悲しみだ
愚者との共住は苦しみ(だ)
まさに常に敵(共住しているようだ)
しかし賢者との共住は
親族の集いのようだ


○一口メモ
今回の詩は、昨日の詩と逆の意味のことが述べられています。昨日は「聖者と一緒にいるのは幸せだ」ということでしたが、今回が「愚者と一緒にいるのは不幸だ」ということです。

昨日は聖者の説明をしましたから、今回は愚者の説明をします。この場合の愚者を理解するために、一緒にいると、辛い、苦しい、不幸になるような人はどのような人か考えてみましょう。なぜ、このような愚者について考えるのか理解しておく必要があります。それは自分がこのような愚者のような人間かどうか知るためです。自分は慈悲の瞑想を毎日行っているし、五戒を守って、瞑想もしていても、自分が愚者かどうかチェックしておくべきです。自分はとんでもない、嫌われ者かもしれません。

「子供のためのダンマパダ」には、愚者を「わがままな人」と表現してみました。スマナサーラ長老は、嫌われる人は、「自我の強い人」「慈悲の心のない人」と言われていました。

そこで、私自身をチェックしてみました。自分はわがままだろうか、私の考えではわがままな人は、すべてに対してわがままな人だと、自分はすべてに対してわがままではないと思っていました。しかし、現在の私は朝晩の瞑想時間やブログを書く時間を邪魔されるのは嫌だと思っています。他のことについてはわがままではないと思っていました。しかし、これはよく考えると、自分の都合を優先している大変なわがままではないかと思います。修行をしているといいながら、これを「自我が強い」と言うのだと思いました。困った人を助けるといいながら、自分の都合に合わせて、助けると言うのですから、慈悲の心のない人ということになります。慈悲の瞑想は、日常生活の中に行かさなければ、空文句になってしまします。今回の詩に関して、自己チェックし、決定的な自己の問題を再度発見した次第です。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_8.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

2012年09月21日 07:16
おはようございます。
次から次へとサティをしなければならない場面に出くわしますといい加減、投げ出したくなりますが、ふとそんな時、「
もし生まれ変わりがあって、輪廻が永遠と続いていくならば、これからずっとこんな人生をまた生きなければならない」と思いますと、逃げ場がないので、どんな最悪な状態でも諦めずに最善を尽くそうと思い直します。

佛法僧に礼拝致します。
あすか
2012年09月21日 13:35
なるほど自分のことは、
なかなかよく見えません。
欲や怒にふりまわされず、
淡々とすべきことをし、
より一層慈悲の瞑想に
力を入れます。
noritarou
2012年09月21日 14:42
>嫌われる人は、「自我の強い人」
まさしく、私のことだと思いました。
他の人が自分をどう思ってるかはわかりませんが、自分が他人なら、自分を見て「自我が強い」と思うはずです。
コメントさせて頂くのも、ブッダに帰依するしていること、いかにブッダが素晴らしいかを表明したいからです。
でも同時に、人に認めてもらいたいという虚栄心、サンガに参加したいという執着、強い自我があるということです。
精進します。
カエルくん
2012年09月21日 21:11
こんばんは。
自分は自我が強いかどうか、セルフチェックしようと思いましたが、よく分かりませんでした。「分からない」ということが既に愚かさの表れだと思いました。
「負けず嫌い」と言われるときがあります。そういうとき、我を張ってるのだな、と思います。気をつけます。
ささ
2012年09月21日 23:02
こんばんは。
今朝、初期仏教を学んでいる方が、次々と(3人の方でしたが)ゴキブリを手で掴んで脱出させているというお話をされていました。私の感想は「しょえーーー!!」です。
実際に精舎でお世話になっている方からも同じことを伺い、驚いていましたが、これほどまで次々と…。
「蚊もクモも殺さず、外に出してあげたらいいんだよ。」と、「南無妙法蓮華経」と言いながら殺す母に伝えてそれでも驚かれてましたが、今朝は諸先輩方恐るべし☆と、皆さんの慈悲心の大きさに感服いたしておりました。

そして、ワンギーサ先生のご自身のチェックの厳しさ。
今朝はこの二つのお話から、自分の甘さ、愚かさを痛感させられました。
改めて、精進していきたいと思います。
こころざし
2015年12月13日 07:59
本部を拝見し、自分の我儘ぶりを観察してみました。冥想修行したいのにそれを何かで邪魔されると、かなり嫌な気分いなります。また家族など身近な人程、自分の意向・思考を分かってほしくて、それに反すると何度でも言い続けます←嫌われますよね。
何処まで自己主張をして良いのか?と考えてしまう時もありますが、とにかく思考を回すのではなく冥想と慈悲の実践していこうと思います。