愛からは 憂いと恐れが 生まれる 愛から離れ それらをなくせ (212)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

好きな人ができると
心配ごとが増える
好きな人がいないときは
心配ごとはなかったよ


○パーリ語原文と訳語

ピヤトー     ジャーヤティー  ソーコー
Piyato       jāyatī       soko,
愛するものから  生まれる     憂いが
 
ピヤトー     ジャーヤティー  バヤン
piyato       jāyatī       bhayaṃ;
愛するものから  生まれる     恐怖が

ピヤトー    ウィッパムッタッサ
Piyato      vippamuttassa,
愛するものから  解放された者には

ナッティ  ソーコー  クトー   バヤン
natthi    soko    kuto     bhayaṃ.
ない    憂い    どうして  恐怖が


○直訳
愛するものから憂いが生まれる
愛するものから恐怖が生まれる
愛するものから解放された者には
憂いがない、どうして恐怖は(あるだろうか)


○一口メモ
以下は昨日の詩(210番、211番)に対する「カエルくん」のコメントです。
「こんばんは。
今日の詩は私にとって、仏道の入り口となった大事な詩です。
以前勤めていたカソリック系の老人福祉施設で、神への愛(←なんなんでしょうね…。)を強要されてへとへとになっていたときに、たまたま出逢ったのが今日の詩でした。
愛は素晴らしい、愛こそ全て、という雰囲気の職場の中で「愛って何?」と苦しんでいた私に、「愛とは執着のこと。手放すのが正解ですよ」とお釈迦さまが諭してくださったような気持になりました。救われました。
その後、仏教系の本を読みあさり、スマナサーラ長老の本に出逢い、「慈悲喜捨」という言葉を覚えました。大切なのは愛というあいまいな言葉ではなく、慈悲の心、ということを教わり、本当に本当に救われました。
お釈迦様の言葉を読むと、いつもクリアで矛盾がなく、心が楽になります。ありがたいです。」
(以上引用終わり)

このコメントはどうしても皆様に読んで頂きたくて、ここに引用させて頂きました。これは実体験なので、愛の曖昧さから悩みが生まれ、慈悲喜捨からは心が楽になることが実感できます。

さて、今回の詩ですが、「愛するものから憂いが生まれる」ということを経験したことがありませんか。例えば、誰か家族の一人が夜、なかなか帰ってきません。携帯電話もつながりません。そうすると、心配になりますよね。交通事故でもあったのではないかとかいろいろ心配します。最悪、死んでしまったのではないかと言う思いが頭をよぎったたりすると、そうすると、一生懸命その考えを否定しながらも、恐怖に似た気持ちが現れます。憂いとは心の悩みです、それが増大すると恐怖に変わります。

愛するものから喜びも生まれますが、確実に、愛するものから憂いが生まれるのです。そして、その思いが増大すると恐怖になるのです。愛するものから恐怖も生まれるのです。

「愛するものから解放された者」とは、愛するものに対する愛着、執着から離れた人なのです。生命に対するあるべき心「慈悲喜捨の心」で言えば、捨の心を持った人です。この心のある人には、憂いはありません。もちろん、恐怖もないのです。

今日から、言葉は一つ入れ替わるだけの詩が5回続きます。退屈だと思わずに、じっくりそれを味わって下さい。ブッダは、なかなか変わらない私たちの心に、少しずつ繰り返し、繰り返し、教えて下さっておられるのです。


愛からは 憂いと恐れが 生まれる 愛から離れ それらをなくせ (212)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_21.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_5.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_11.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年09月25日 09:55
愛欲ではなく慈悲の心を育み、
清らかな心でおだやかで幸せな日々を。

退屈は癡でしょうか。
繰り返すことで大切なことが
じんわりと心にしみゆくことでしょう。

今日も皆様が生き物全てが
 幸せでありますように。
noritarou
2012年09月25日 13:48
>カエルくん
とても感動しました。ありがとうございます。
仏道という、救済の道に入られたのですね。
私は、離婚も考えましたが、今はパートナーに対して心配と慈悲の気持ちだけです。
ヴィパッサナーと慈悲の瞑想がなければどうなっていたかわかりません。
相手に怒ってしまうのは、私が至らないだけです。
今は、子供を通して、いろいろと勉強する機会を与えられています。
私も、仏道に出会えて救われた一人です。
カエルくん
2012年09月25日 16:25
こんにちは。
拙いコメントを再掲していただいたこと、ありがとうございます。嬉しい気持ち半分、恐縮した気持ち半分です。
>noritarouさん
コメントありがとうございます。一緒に暮らす人と合わないのは辛いことと思います。慈悲の気持ちを実践して乗り越えられたとのこと。見習いたいです。
仏道に入って良かったなあと思うのは、何より毎日が楽しくなったことです。

先生、今日は「捨」の気持ちについての詩ですね。苦手分野です。物を手放すことでちょっとずつ訓練中です。
こころざし
2015年12月14日 07:58
慈しみを持って生きようとすると、憂いや恐れを持つ度合いは減るように感じます。というよりも慈しみからは幸いしか生じない印象を受けます。
慈しみの大切さを分かり、そして実践して参りたいです。