快楽も 憂いと恐れの 原因だ 原因除けば 憂いがなくなる(214)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

麻薬はなぜいけないか
やめられないほど気持ちがいいらしい
やめられない人は
ブレーキの壊れた車のように
暴走して事故にあう


○パーリ語原文と訳語

ラティヤー  ジャーヤティー  ソーコー
Ratiyā     jāyatī       soko,
快楽から   生まれる      憂いが
  
ラティヤー  ジャーヤティー  バヤン
ratiyā     jāyatī       bhayaṃ;
快楽から   生まれる      憂いが

ラティヤー  ウィッパムッタッサ
Ratiyā     vippamuttassa,
快楽から    解放された者は

ナッティ  ソーコー  クトー  バヤン
natthi    soko    kuto    bhayaṃ.
ない    憂い    どうして  恐怖が


○直訳
快楽から憂いが生まれる
快楽から恐怖が生まれる
快楽から解放された者は
憂いがない、どうして恐怖が(あるだろうか)


○一口メモ
「愛するもの」から「愛情」、そして今日は「快楽」に言葉が変わりました。快楽も人間(生命)を魅惑するものです。しかし、これからも憂いが生まれ、恐怖が生まれるのです。

快楽には快楽を誘引するものがあります。それらを使用すると、憂いや恐怖の原因になるばかりでなく、人を堕落や危険に陥れます。ですから、仏教では五戒の一つとして、「放逸の原因となり、(人を)酔わせる酒・麻薬類をしない」という戒めを定めています。

さらに次のような快楽があります。生命を輪廻に結びつける10の煩悩を十結といいます。それらは、①有身見、②疑、③戒禁取(かいごんしゅ)、④欲愛、⑤激怒、⑥色貪、⑦無色貪、⑧慢、⑨掉挙(じょうこ)、⑩無明です。これらの内の⑥色貪とは色界禅定(第一禅定から第四禅定)に対する執着です。色界禅定は快楽とは少し違った感覚でしょうが、人を魅惑するような安らぎがあるのでしょう。ですからそれに執着する修行者がいるのです。ですからブッダはこのような禅定にも執着しないように教えています。同様に⑦無色貪とは、無色界の禅定(空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想)に対する執着です。これらも煩悩であり捨てるべきものなのです。ですから、修行中に現れる快楽にも執着してはいけないのです。

快楽も 憂いと恐れの 原因だ 原因除けば 憂いがなくなる(214)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_22.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_6.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年09月27日 05:50
おはようございます。
麻薬はしたことがないですし、お酒も比較的簡単にやめられましたが、眠ること、食べることも私にとっては快楽のひとつです。必要以上に摂取してしまいます。
お酒のように「完全に断ってしまう」ほうが楽のようです。昨日の詩の人間関係もそうですが、生きている以上人とつきあわないわけにはいかない、眠らないわけにはいかない、食べないわけにはいかない…。そうすると途端に離れるのが難しくなります。
適量を自分でコントロールするのは難しいのだな、と実践をすればするほど感じます。
2012年09月27日 07:43
おはようございます。あれから引き続き、職場で欲、嫉妬が生まれないように自分のこころが汚れないように守っていると、考えられない自分にとってお気に入りの現象が巡ってきます。そしてそのお気に入りに対しても欲を出さないでいると、また別の現象が来ます。

だから僕が思ったのは、こころが周りの物質を変えてしまうという事なんですね。
だからある意味思った事は、ニュース、新聞など一切見聞しなくても、自分のこころさえ、貪欲・怒り・嫉妬から離れていれば、自分のこころが周りの物質を変えてくれるので、自分にとって、自然に
居られるという事。

なので日常生活の中で、こころに欲や怒りが怒ったら、どんどん取り除く訓練をしていくと、自分にとって考えられない現象が起こる事をご自分の日常生活で皆さんに経験して頂きたいと思っています。
あすか
2012年09月27日 08:25
やらない、完全にやめる、より
適度で終わりにする、は難しいです。
何が適度なのか。
調べ、考えてみる。
実践し、結果を観察してみる。
改善、微調整。
この繰り返し。
「食べる」は日々の課題です。

>カエルくん、同感です。^^;

・・・・・・・・・・・
五戒の「放逸の…」の項ですが、
酒など具体的な物だけでなく、
情報など形のないモノについても、
気をつけています。
こういう社会で生きていますから
売らんかなの情報は仕方ありません。
物もサービスもプロによる
広告などを見れば欲しくなります。
欲を刺激する物事になるべく接触しない。
見ても聞いても、欲しいかどうかでなく、
必要かどうかで判断し欲を増大させない。
毎日よい訓練になりますね。
慈悲と智慧
2012年09月27日 09:01
スマナサーラ長老の法話より。

誰でも気にする話題に話を変えます。それは、スマートで美しい身体を持つことです。美容に対する興味になると、男女平等です。健康食品、ダイエット、運動、スポーツなどで皆体形を維持するために結構苦労しています。その結果、ほとんどの人々は美しい体格を持っているのです。それも、人間の楽しみの一つなのです。体重が増えた不健康な身体になると、生きる自信まで衰えていくのです。健康な体形を維持することは必要です。では、健康で美しい体形を保っていることに邪魔をする錆は何でしょうか。すでにお分かりでしょう。

「怠けること」です。

腹いっぱい食べて、運動もしないで、楽なソファに座ってテレビを見る人生なら、スマートな体格にはなれる筈もないのです。健康でいられるわけでもないのです。人は美味しいものを食べたりするのは構いません。お腹が空いているのに無理にダイエットすると、身体も壊れるし、精神的にストレスも溜まる。美味しいものを食べた分、怠けず体力を使うことです。これが仏陀の言葉になるのです。

http://ameblo.jp/jihitotie/entry-11364488011.html
ワンギーサ
2012年09月27日 11:58
Asakuraさんの2012/09/26の質問にお答えします。
お答えしますと書きましたが、不正確なことなので答えではないかもしれません。

出家できることは希なことで、ゴータマ・ブッダと言えでも多数の輪廻の中でも数は多くなく、7、8回であったとどこかで読んだことがありましたが、それが何の本(あるいはお経)だか思い出せん。分かりましたら改めて、お知らせします。
noritarou
2012年09月27日 18:17
快楽は、この身体があるから生まれます。
性欲は、思考にその隙を与えるので生まれます。
感受や、思考から離れたら、そこが安らぎの場所、と仰っているのだと思います。
仏教は、システマチックに、誰にでもその幸福を経験できるように導いてくれます。
仏道は、最高以上に最高の道だと確信しています。
ワンギーサ
2012年09月27日 19:12
Asakuraさんの2012/09/26の質問について。

ブログ読者からのご連絡で、ほぼ正しいと思われるゴータマ・ブッダの過去世での出家回数は9回です。
参考文献:-「こころの清流を求めてーパーリ語仏典ダンマパダ」(中山書房書林)172~173頁
ご連絡下されたブログ読者の方、ありがとうございます。

Asakura
2012年09月28日 06:21
ワンギーサ長老様、教えて下さったブログ読者様、皆様大変どうもありがとうございました。ご迷惑をおかけいたしました。ワンギーサ長老はじめ、一切の生きとし生けるものが幸福でありますように。
こころざし
2015年12月15日 08:06
快楽を得ると、また再び得たいと思う自分がいます。先月義姉の結婚式に家族で参加しましたが、非日常的な着飾った華やかな会の刺激から、また再び・・と欲を持ち、それが満たされない事に憂い的なものをもちそうになります。そのような自分に気が付いてそして、止めれるようにしたいです。