性欲も 憂いと恐れの 原因だ 原因除けば 憂いがなくなる(215)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

男の子は女の子に興味がある
女の子は男の子に興味がある
男の子はスカートめくりが好きで
女の子はキャーと言って逃げる
これは何だろう

○パーリ語原文と訳語

カーマトー  ジャーヤティー  ソーコー
Kāmato    jāyatī       soko,
愛欲から   生まれる      憂いが

カーマトー  ジャーヤティー  バヤン
kāmato    jāyatī       bhayaṃ;
愛欲から   生まれる     恐怖が

カーマトー  ウィッパムッタッサ
Kāmato    vippamuttassa,
愛欲から   解放された者は

ナッティ  ソーコー  クトー  バヤン
natthi    soko    kuto    bhayaṃ.
ない    憂いが   どうして  恐怖が

○直訳
愛欲から憂いが生まれる
愛欲から恐怖は生まれる
愛欲から解放された者は
憂いがない、どうして恐怖が(あるだろうか)


○一口メモ
前回は「快楽」がテーマでした。「愛欲」すなわち「性欲」が今回のテーマです。性欲も快楽を求める欲なのです。最近の生物学の説明では、利己的遺伝子が自分の遺伝子を持続的に増殖できるように、生殖に快楽の遺伝子を組み込んで生命が増殖を怠らないようにしているということです。ですから、増殖のためには快楽はおまけで、実はどうでもいいものなのです。しかし、性欲に価値を置く人々は、性欲を生命の存在にとって必要不可欠な本能だとして、なくせないものだと言うのです。

しかし、本当にそうでしょうか。「性欲だけはなくならないというのは、現代人の、曇った思考の発想なのです。性欲はあくまでも心理的なもの、生理的なものではない。はっきりと思考の産物なのです。」(スナナサーラ著「ブッダの智慧でこたえます」159ページ)と書かれています。食欲は満たされないと死にますが、性欲は満たされなくとも死にません。このことをよく理解しておけば、性欲の妄想も楽に克服できます。性欲だけはなくならないと思い込んでいると性欲を克服するのは無理です。

仏教はなぜ、性欲を肯定せず、性欲を持たないことを推薦するのでしょうか?それは、人間は性欲に依存して性欲の奴隷になるからです。上の詩に述べられているように、性欲から憂いや恐怖が生まれるからです。性欲から離れている、すなわち性欲に依存しなければ、憂いや恐れがないからです。

最近の草食系若者の性欲は少ないらしいと言うことですが、やはり若者には性欲にどのよう対応したらよいかは一つの問題でしょう。
その対策として次のことを推薦します。
①性欲を刺激するような情報は避ける。
②慈悲の瞑想、ヴィパッサナー瞑想を行い、欲の少ない、妄想の少ない心を育てる。
③特に性欲の強い人は、日本テーラワーダ仏教協会「日常読誦経典」46~51頁の「勝利の経」をパーリ語と日本語で朝晩唱える。
http://gotami.j-theravada.net/vijayasuttam.pdf


性欲も 憂いと恐れの 原因だ 原因除けば 憂いがなくなる(215)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_22.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_6.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_12.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年09月28日 07:03
性欲、女性は男性ほどでは
ないのかもしれませんし、
個人差もあるかもしれません。
幸い制御に困ることはありません。

だからいいや、ではなく、
異性を刺激する身なりや振る舞いを
慎む等、できることをして精進します。

愛欲で苦しんでいる人々が
愛欲から離れ幸せでありますように。
2012年09月28日 08:08
おはようございます。今朝の偈の話題からちょっと外れてしまい申し訳ないのですが、

昨日ふと思ったのは、どんなに物質的に楽しかった記憶、思い出も翌日になればどんどん記憶がなくなって行くんですね。(それも個人的主観の記憶ですが…)

なので瞬時に出た閃きが「想(サンニャー)は無常だ」という事。

いくら楽しい事を経験しようとして奮闘しても、すべて結局は過去の主観的朧げな記憶になっていくだけなんですね。

だから何か人生経験積んだとしても、意味ないんですね。消えて行きますから…。
だからその「想は無常」という閃きで、

それから「何か楽しい事をしたい」という執着が減るんですね。

故に五蘊(五取蘊)は無常=苦=無我という図式が成り立つんですね。
慈悲と智慧
2012年09月28日 13:02
http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=theravada&mode=res&log=309&submitlog=309&sub=%u6027%u6B32%u3092%u6291%u3048%u308B%u65B9%u6CD5

また個人的にこちらのご説法がお勧めです。
オリンピック選手が欲を断った出家のような生活をしているのに元気な訳が説明されています。

Q-1

賢者は、蛇の頭を払い避けるように欲の対象から離れて幸福に生きる というようなことをお釈迦様は言ってられます。欲の思いが生じて、願いがかなうと確かに喜びを感じる。
しかし、、それがだめになったら矢に打ち抜かれたようにもがき苦しむ...ということですが、それが自分の生き方のモットーになっていないのです。
欲を避けて避けていく生き方じゃぁなんかつまらないんじゃないかというのが自分の中にあります。
ex>これ食べたら美味しいんじゃないかと思って食べてみたら美味しかった,,,とか
瞬間瞬間、欲の成就を目指して生きているというか...。
とりあえずそれで大変な罪悪感があります。そのために冥想するんですけども、、、その程度の理解でこの先努力していくのか、欲に対して徹底的に理解した方がいいのか悩んでいる。
http://www.voiceblog.jp/najiorepo/445273.html

慈悲と智慧
2012年09月28日 13:04
http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=theravada&mode=res&log=309&submitlog=309&sub=%u6027%u6B32%u3092%u6291%u3048%u308B%u65B9%u6CD5

性欲を野放しにしていると、気づいたら性犯罪者となっていたという事態を招く可能性があります。

その際はあなたは勿論のこと、あなたの大切な人達が悲しむことになります。

今世大丈夫でも来世以降にその業が結果となって現れるかもしれません。

あなた目の前の一秒、精進するか否かは、今世以降のあなたやあなたの大切な人達に影響を及ぶすことになります。

それを理解出来れば、より一層精進出来ると思います。

幸せでありますように。
カエルくん
2012年09月28日 21:53
こんばんは。
今日はコメントをすることが思い浮かばないな…と思っていたのですが、あすかさんのコメントを読んで成る程なあと思いました。
身だしなみ以上の装飾を控えるように、気を付けます。
noritarou
2012年09月28日 22:01
感官を制御するのですね。
欲や怒りに慣れていると、それから離れる方法がわからなくなってしまいます。
情報を選ぶことは、生き方を選ぶことですね。
こころざし
2015年12月15日 08:16
性欲の制御は40代となり若い時より減っているとはいえ、なかなか難しさを感じる事があります。そしてインターネットで容易に動画も見れますので、助長する媒体も困りません。理性がなければ何処までも落ちていく感じがします。
ですが、冷静に自身とその対象を観察すると、性欲に踊り・踊らされる部分に気が付くこともあります。バケツの水をかぶったような印象になります。
そのようなものを減らせるよう・0に出来るようにしたいです。