渇愛は 憂いと恐れの 原因だ 渇愛除けば それらはなくなる(216)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

○子供のためのダンマパダ

おもちゃ屋さんで、アンパンを見つけると
君は欲しい欲しいと言いました。
お父さんに、ここに仮面ライダーがあるよと言われると
アンパンを忘れて、欲しい欲しいと言いました。
見れば欲しくなるんだね。


○パーリ語原文と訳語

タンハーヤ  ジャーヤティ ソーコー
Taṇhāya    jāyatī     soko,
渇愛から   生まれる    憂いが

タンハーヤ  ジャーヤティ バヤン
taṇhāya    jāyatī     bhayaṃ;
渇愛から   生まれる   恐怖が

タンハーヤ  ウィッパムッタッサ
Taṇhāya    vippamuttassa,
渇愛から    解放された者には

ナッティ ソーコー クトー   バヤン
natthi   soko   kuto    bhayaṃ.
ない   憂い   どうして  恐怖が


○直訳
渇愛から憂いが生まれる
渇愛から恐怖が生まれる
渇愛から解放された者には
憂いがない、どうして恐怖が(あろうか)


○一口メモ
この形式の詩は今日で五回目、最終回です。今回のテーマは「渇愛」です。この言葉は仏教以外ではあまり使われない言葉です。しかし、仏教では非常に重要な言葉です。では渇愛とは何でしょうか。

喉が渇いた時に水を欲しがるような気持ちを言います。快い音を聞いた時もっと聞きたいという気持ちです。また、何かを口に入れて、おいしいと感じた時、もっと食べたいという気持ちです。これらの気持ちは快い感覚から生まれます。(ちなみに、不愉快な感覚からは怒りが生まれます。)

この渇愛が生まれると、その感覚を維持し、さらに求める固執するという感情が生まれるのです。しかし、すべての現象は変化するものですから、自分の思うようにはいきません。そうすると、この詩のように、憂いが生まれ、苦しみ、さらには恐怖が生まれるのです。憂いや恐怖が生まれる原因が5回続くと何か分かってくるでしょう。何かを理解するためにも、心を育てるためにも繰り返しが必要です。

なぜ仏教では渇愛が重要な言葉なのでしょうか?
仏教の最重要な二つの教えがあります。
一つは四聖諦(苦集滅道)です。この教えは①苦、②苦の原因、③苦の滅尽、④苦の滅尽に至るための方法です。この②苦の原因が渇愛なのです。これはブッダが悟られた人間では決して発見できない悟りなのです。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi1.html
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi2.html

二つ目の教えは因縁です。通常十二支縁起とまとめられています。①無明、②行、③識、④名色、⑤六処、⑥触、⑦受、⑧渇愛、⑨固執、⑩有、⑪生、⑫老死です。この⑧番目が渇愛です。ここでも渇愛は重要なのです。
http://www.j-theravada.net/kogi/kogi66.html

この十二支縁起のどのつながりでも切断で切れば、輪廻の悪循環を断ち切ることができますが、修行で実際に挑戦する切断は⑦受と⑧渇愛なのです。感じたことを感じたままにしておくことです。決して渇愛が起こらないようにするのです。ダンマパダの101番の因縁物語のバーヒヤ長老はそのことをブッダから説法され、そのまま最短時間で阿羅漢になられた方です。
http://76263383.at.webry.info/201206/article_14.html


渇愛は 憂いと恐れの 原因だ 渇愛除けば それらはなくなる(216)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_23.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_7.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_13.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年09月29日 06:27
おはようございます。
子供のためのダンパダ、本当に分かりやすいです。

もっともっとと思うから、手に入らないことが憂鬱に感じるし、生きていたいと思うから、死ぬのが怖いのですね。
少欲知足の生活から一歩進んで、渇愛から離れた生活が送れますように。
あすか
2012年09月29日 07:14
避けられる刺激は避けていますが
刺激を全て断つことは不可能です。
もし欲が生まれてしまっても
ああ、欲が生まれたな、と自覚し、
都合のいい状態は続かないのを
思い出し、執着しないよう練習します。
気づき手放すことを繰り返せば
なんとかなっていくでしょうか。

今日も皆様が、全てのものが
幸せでありますように。
こころざし
2015年12月16日 08:01
何度かコメントに出させて頂いている事ですが、僕の車は製造後十数年経過している義母に頂いた軽自動車です。体裁的なものを気にすると即買い替えという事になるかと思います。ですが体裁を元に買い替えようとすると→目移りして車を決めれず・またかなりの資金も必要になります。
今の車が走る事には全く問題がない事を思いますと、渇愛的な不毛さを実感する機会です。
今の現状に満足して、そんな事より修行をして参ります。