金が降っても 満足しない 欲望は 少楽にして 苦痛だけだよ(186)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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9月23日(日)ゴータミー精舎 バザーのご案内
来る9月23日(日)、東京・幡ヶ谷のゴータミー精舎にて、有志の方が東日本復興応援バザーを開催します。詳細はこちらをご覧下さい。http://www.geocities.jp/msrwp662/
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○子供のためのダンマパダ

いくつおもちゃがほしいのか
一つでいいかな、二つかな
三つは多いから
ともだちにあげましょう


○パーリ語原文と読みと訳語

ナ  カハーパナワッセーナ
Na   kahāpaṇavassena,
ない  金貨の雨によって

ティッティ  カーメース  ウィッジャティ
titti      kāmesu    vijjati;
満足は    欲望において 見出され

アッパッサーダー  ドゥカー  カーマー
Appassādā      dukhā   kāmā,
楽が少ない      苦    欲望は

イティ  ウィンニャーヤ  パンディトー
iti     viññāya      paṇḍito.
と    よく知って     賢者は


○直訳
金貨の雨によって
欲望において満足は見出されない
欲望は楽の少ない苦と
賢者はよく知って


○一口メモ
レベカ・コスタ著「文明はなぜ崩壊するのか」(原書房)という本がありました。まだ全部読んでいませんので、詳しくは紹介できませんが、例えば、マヤ文明は雨頼みの危うい構造でした。指導者たちがそれに正しく対応できなかったことが書かれていました。それでも都市の人口が増加して水不足がさらに深刻になりました。そのため、疫病なども蔓延して、解決不可能な問題が発生したと述べられています。

しかし、その真の原因はマヤ文明の人々が、欲望には限界がなく、欲望は制限しなければならないことを知らなかったからだと思います。この186番の詩はそのことを教えているのです。

文明に限らず国家も企業も個人も無常ですから、必ず最後は滅びます。しかし特に人間が関わる組織の崩壊は、人間の欲望の暴走によるものが多いのです。ですから欲望を制限して、「欲しいかどうかより、必要かどうか」という観点で組織を運営すれは、その組織は健全に成長し、維持し、無意味は崩壊を避けることができます。

現在、世界には崩壊寸前の国家がいくつかあります。それらの国々は、かつての日本のように欲望をあおるバブルの時期がありました。それが今崩壊しようとしているのです。世界的な経済危機は市場原理主義の影響によるものです。経済のことは市場に任せておけばよいという見解です。これは欲望を制限せずに、欲望に任せておけと言う考え方なのです。欲望に任せておけば経済は破滅・崩壊するのです。このことをよく知って、「欲しいかどうかより、必要かどうか」を考えて、行動することが必要なのです。

今までの経済学は、人間の欲望を肯定する立場から体系づけられてきました。これからの経済学は欲望を制限して、必要性と平等という立場から、すべての人々が幸福に暮らせる経済学を作り、それを指導できる政治家を選び、それを実践できる政府を作れたらよいと思います。

しかし、欲望を制限することは、人間(生命)にとって一番嫌うことなので、これは困難な仕事です。欲望を制限できる政府でなければ、ほんの少数の強者のみの欲望を無制限に増大させることになり、圧倒的多数の弱者は欲望を制限されるどころか、生存までも奪われるというのが現実です。ですから、弱者は智慧を出し、自分たちの欲望を制限することによって、強者の欲望を制限するとしなければ、幸福には生きていけません。

実は、なかなか理解できないことですが、自分の欲望を制限することは、自分の生活を守るのみならず、自分の悩み苦しみをなくし、真の幸福道、解脱、涅槃につながる道なのです。

186番の詩の解説はhttp://76263383.at.webry.info/201003/article_27.html
を参考にしてください。

尚、この詩の最後の行「賢者はよく知って」は次の187番につながるという文体です。

金が降っても 満足しない 欲望は 少楽にして 苦痛だけだよ(186)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_4.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_27.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年09月04日 07:25
よく観察すると「得る快感」は一瞬、
すぐに「もっと」の苦に変わります。
今に満足する方が穏やかです。^^

個人でも難しいことですが
社会となるとなおさら。
欲を煽っての経済成長をというのは
もう限界かもしれません。
といって形だけ平等に与えても
じゃあ働かなくても、などと…。
試練の時?いや昔からずっと?

一人でも多くの人が気づき、目覚め、
よい方向に向かえばいいのですが。
まず自分のできることからでしょうか。
今日も皆の幸せを願い、
その為にできることを実践します。

全てのものが幸せでありますように
noritarou
2012年09月04日 11:35
ヒマラヤほどの金塊があっても満足できないと言われます。
子供向けの番組、仮面ライダーでは「太陽さえ、欲望が昇らせている」と幼時期から「洗脳」しています。
欲望は、生きている限りなくすことは出来ず、なくそうと思うこと自体矛盾しています。なくすのではなく、欲しがる気持ち、執着を、自然な離貪の気持ちから消すべきでしょう。欲は、大欲(生きとし生けるものが幸せでありますように)が望ましく、人間の在るべき姿だと思います。ただ、蚊に刺されるのさえ嫌がり、概念で無制限にものを考える人間には、個人や組織で欲望を制御することが出来ても、世界で最も権力がある組織では、制御することはあえてしていないでしょう。欲望こそ、力だという認識でしょう。原発1つ止められない今ある現実として、そのように動いているように見えます。地球にとって人間が癌だと理解したとき、人間が持つその驕りを罰したくて、大洪水など天変地異をひそかに願ってしまうこともありました。そうした妄想は、内に向かう単なる怒りですね。
世界がどうあろうとも、欲望(肉体)に振り回されず、事実を知り、恐怖から離れ、平和で穏やかな心を持ちたいと思います。
すべての衆生に幸さちあれと安穏あれと願うなり
この肉の身は不浄にて骨の髄までおぞましき
生命あるものは崩れ果てわれも確かに死に至らん
Mason
2012年09月04日 14:18
「人間に 生まれることは 稀なこと ブッダ出現は 奇蹟のようだ(182)」

この詩に先日コメントさせていただいた折、一番書きたかったことを忘れていました。

「あなたがどんなに、落ち込んでも、どんなに元気をなくしても、この詩を読めば、元気を取り戻せるでしょう。」

とありますが。私も数ヶ月前、夜空をふと見上げ同様な感想を抱いたことがありました。もし同等か、自分より優れた友がいなければ「犀の角のように独り歩め」という、お釈迦様の有名な言葉があります。しかし実践してみればすぐわかりますが、現実には凡夫にとって、独りで歩むのは大変なことです。かといって安易に妥協し、不道徳な人間と傷を舐めあうような関係に留まっていては進歩はありません。

そんな折ふと夜空の星を眺め突然、気付いたことがあります。それはこの無数の星の中には2千5百光年の彼方から光っている星もきっとあるはずだと。ということはお釈迦様が説法されている瞬間、ぴかっと光ったその光が今この瞬間にやっと私の目に届いたかもしれない。そう思うと、なんだか時間と空間を越えお釈迦様とつながっているような安心感を覚え精進を続ける活力が得られた次第です。

況やインターネットを通し共時的にワンギーサ様から仏道を学べる皆様と励ましあえば、孤独感などとは無縁なのではと思います。これからもどうぞご指導お願いします
カエルくん
2012年09月04日 15:14
こんにちは。

自分を振り返ってみて。
欲望と不安感は表裏一体の気がします。
いつか死んでしまうことへの漠然とした不安感が、お金や知識や人脈など自分の身体を守ってくれそうなものへの欲望にすり替わっている気がします。
どれだけたくさんのものを手に入れても、いつか死ぬことには変わりない、と自分を戒めて少欲で暮らすのは、相当な理性が必要です(だって死ぬのは怖いから)。

それでもお釈迦様の教えに出会って、少欲知足を覚えてから、ずいぶんと生きるのが楽になりました。
ありがたいです。

高齢者福祉に関わる仕事をしています。
お年寄りと接していて、生きるってなんだろう、死ぬってなんだろう、と考える機会が多いです。
最期のときが来て慌てないように、日ごろから死ぬことについて、その反対の生きることについて、もっと語り合える世の中だったら、もうちょっと欲望をコントロールしやすくなるのじゃないかなあと、そんな気がします。
たかし
2012年09月05日 20:20
世界一の大金持ちが、あふれんばかりの富を持っていても、その富に価値を見いださない人からすれば、宝の持ち腐れですもんね。結局は欲を捨てた人が一番幸せ、というのは何となくわかる気がします。でも、ほんとに難しいです。
SRKWブッダ
2014年09月08日 09:05
莫大な財産があっても、できることは限られている。それどころか、厭うべきことが多くなる。人に妬まれ、悪人が近づき、善き友は去る。珍味や冒険を求めて毒を口にする危険を生じる。盗賊に狙われ、疑心暗鬼となって心が休まる時がない。

その一方で、無量の智慧を得た人はあらゆることがらを大団円の中に為し遂げる。こころある人々に尊敬され、善き友が集い、悪人は去る。真実の味わいが最上の美味だと知り、つねにその真実に安住することを得る。驚くべきことに、この無量の智慧を狙う盗賊は存在しない。悪しき者には、智慧は宝には見えないからである。日々安楽に臥し、苦悩は終滅し、憂いもない。すでに死を超えているので、来世を願うこともなく、地獄に堕ちる心配もなく、最後の人生を楽しむ。

***
こころざし
2015年12月07日 07:53
私事ですが、収入については考える時があります。今同僚が複数退職した状況からハード勤務が日常化していますが、その分収入は増えており、お陰様で多少の寄付等も出来る状態でいます。お金の大切さを感じるような機会です。
ですが、さらに儲けよう・・とは思いません。今の環境で出来る修行を実践したいと思います。
生活が出来る収入を得られるように努めながらでも執着せず、心穏やかに過ごせるようにしたいです。