天界の 楽といえども 及ばない 渇愛の滅の 楽に比べれば(187)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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9月23日(日)ゴータミー精舎 バザーのご案内
来る9月23日(日)、東京・幡ヶ谷のゴータミー精舎にて、有志の方が東日本復興応援バザーを開催します。詳細はこちらをご覧下さい。http://www.geocities.jp/msrwp662/
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○子供のためのダンマパダ

欲張らず
おもちゃあげれば
喜ばれ
友だち増えて
楽しいな


○パーリ語原文と訳語

アピ    ディッベース  カーメース
Api     dibbesu     kāmesu,
いえども  天界の     欲における

ラティン  ソー  ナーディガッチャティ
ratiṃ    so    nādhigacchati;
楽に    彼は   到達しない

タンハッカヤラトー    ホーティ
Taṇhakkhayarato      hoti,
渇愛の滅尽を楽しむ者で  ある

サンマーサンブッダサーワコー
sammāsambuddhasāvako.
正自覚者の弟子は


○直訳
天界の欲望における楽といえども
彼は到達しない(求めようとはしない)
正自覚者の弟子は
渇愛の滅尽を楽しむ者である


○一口メモ
昨日述べましたように、この詩は186番の続きです。
賢者は、欲望は楽の少ない苦とよく知って、
それは天界の欲望における楽でも、地上の欲望における楽でも本質は変わりなく、楽の少ない苦であることを賢者はよく知って、それを求めようとはしないのだと述べています。

Sammāsambuddhasāvakoは正自覚者の弟子、すなわちブッダの弟子は、渇愛(欲望)の滅尽、すなわち欲望がなくなること、それが本当の楽であることを知って、それを楽しむだと教えています。

世間の人々は欲望の滅尽が本当の楽だとは思いません。しかし、少し瞑想に慣れてくれば、身体も心もリラックスして、欲望から離れて、心が落ち着いた、穏やかの心の状態が楽の状態だと感じられると思います。慣れないうちは座る瞑想をすれば、足の痛みなどがあり、そのような気分になれない場合もありますが、すぐなれます。是非欲望から離れた楽の状態を体験してみて下さい。

天界の 楽といえども 及ばない 渇愛の滅の 楽に比べれば(187)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_5.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_27.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年09月05日 07:43
満足できない欲に苦しむ。
欲はあるのに我慢する。
ではなく、欲のない状態を
「楽しむ」のですね。^^
座る瞑想、まだ長く出来ません。
歩く瞑想などより難しいです。
・・・・・・・・・・
子供のためのダンマパダ、
五七調がおぼえやすいので
下記のようにちょっと入れ替えて
暗記しました。

欲張らず
おもちゃをあげれば
喜ばれ
友だち増えて
楽しいな
・・・・・・・・・・
>Masonさん
2千5百光年の彼方、
お釈迦様が説法されている瞬間の光。
なんだか力が湧いて来ました。

2千5百年後には
どうでもいいようなことで
悩んでる時間はありませんね。
ありがとうございます。
・・・・・・・・・・
>カエルくん
誰かの役に立つ、
すばらしいお仕事ですね。
・・・・・・・・・・
今日も皆様が幸せでありますように。
2012年09月05日 10:10
あすかさん、おはようございます。

今回も「子供のためのダンマパダ」をあなたの案を採用させて頂き、修正しました。ありがとうございます。

この場合の音数は57575で57577ではありませんが、
リズムは悪くないように思います。
57575の詩もありかなと余計なことを考えました。

三宝のご加護がありますように
幸せでありますように

noritarou
2012年09月05日 10:14
私の瞑想のやり方が間違っていたのかもしれませんが、瞑想中は楽になっても、時間がたつと思考や出来事や、対象に欲望してしまうことに、やりきれなさを感じていたことがあります。五感の対象は消えません。認識は消えません。何度これを繰り返すのだろうと、幾劫の間繰り返してきたのだろうと、前後裁断とばかりに思考を斬ろうとしていたことがあります。でも、求めている限り、同じことです。
今は、常住坐臥、日常生活を瞑想対象に出来る、ヴィパッサナー瞑想と、慈悲の瞑想に助けられています。有難いです。
生きとし生けるものが幸せでありますように。最近になってようやく、この言葉を唱えるたびに、自我が薄れ、喜びがやってくるのがわかるようになりました。本当に有難い教えです。
カエルくん
2012年09月05日 19:14
こんばんは。

子供のためのダンマパダから始まる今の形式、分かりやすくていいですね。いつも一番最初に読んで、にっこりしてから本文を読み始めます。

欲にはきりがなくて、振り回されてばかりです。
以前は心なんてなければいいのに、と思ったこともしばしばです。でもそれって、怠け心の一種では?と考えるようになって、自分の心と向き合うように気をつけています。サティが最初の一歩、と知りつつも、忘れてしまうことが多いのですが…。

あすかさんへ
高齢者相手の仕事は、辛くて、実は二度ほど逃げ出しました。他の仕事をしてみたらもっと辛くて(笑)、福祉職に戻ってきました。楽な仕事はないですね。
いまは、ほかに出来ることもないし、頑張ろうと思って続けています。
年をとる、ということは「明日は我が身」です。「悲」の心が育つのが、この仕事のメリットかなあと思っています。
こころざし
2015年12月08日 07:47
何かを得よう得ようとする姿勢ではない、捨てる・落とす方に気が付いて実践する事で得られる楽さは、言葉にできにくい位貴重な印象を感じます。
日常では何かを買う・得るような流れが普通にありますが、そのようなものでない捨てる世界・実践して参りたいです。