三宝に 帰依する人は 四からなる 聖なる真理 智慧で発見(190)四聖諦 苦諦集諦 滅諦と 苦の征服

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

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三宝に 帰依する人は 四からなる 聖なる真理 智慧で発見(190)
四聖諦 苦諦集諦 滅諦と 苦の征服に 至る八の道(191)
四聖諦 心の帰依所 帰依者は 苦しみから 解放される (192)


○子供のためのダンマパダ

お釈迦さまの教えを心の支えとする人は
四つの真理を正しく理解する。それは

生きることは楽ではないこと
楽でないのは欲張るからで
欲張らなければ楽になる
お釈迦さまは正しい生き方を教えています

お釈迦さまの教えで安心できる
お釈迦さまの教えは最高の心の支え
お釈迦さまの教えによって幸福になれる


○パーリ語原文と訳語

ヨー   チャ   ブッダンチャ    ダンマンチャ    
Yo   ca   buddhañca   dhammañca,
人は しかし 仏を と    法を  と

サンガンチャ    サラナン     ガトー
saṅghañca   saraṇaṃ   gato;  
僧を と   帰依所に   した

チャッターリ    アリヤサッカーニ    
Cattāri   ariyasaccāni,
四つの   聖なる真理を  

サンマッパンニャーヤ      パッサティ
Sammappaññāya   passati.
正しい智慧で     見る(190)

ドゥッカン     ドゥッカサムッパーダン     
Dukkhaṃ   dukkhasamuppādaṃ,
苦      苦の生起

ドゥッカッサ    チャ    アティッカマン
dukkhassa   ca   atikkamaṃ;       
苦の     と   超越

アーリヤン    チャッタンギカン    マッガン      
Ariyaṃ   caṭṭhaṅgikaṃ   maggaṃ,
聖なる   八の部分の    道

ドゥックーパサマガーミナン
dukkhūpasamagāminaṃ.
苦を寂止に導く(191)


エータン   コー    サラナン     ケーマン        
Etaṃ   kho   saraṇaṃ   khemaṃ,
この   実に  帰依所は  安穏である    

エータン   サラナムッタマン
etaṃ   saraṇamuttamaṃ;
この   帰依所は 最上の

エータン   サラナマーガンマ       
Etaṃ   saraṇamāgamma,
この   帰依所によって  

サッバドゥッカー    パムッチャティ
sabbadukkhā   pamuccati.
一切の苦から   解放される(192)


○直訳
しかし仏と法と
僧とを帰依所にした人は
四つの真理を
正しい智慧で見る(190)

(それらは)苦、苦の生起
そして苦の超越
苦を寂止に導く
聖なる八の部分の道(です)(191)

実にこの帰依所は安穏である
この帰依所は最上である
この帰依所によって
一切の苦から解放される(192)


○一口メモ
帰依所とは心のより所、頼りにするもの、守ってもらおうとするものです。その帰依所に関する五つの詩の内、昨日は頼りにならない、帰依所にしない方がよいものについて述べました。

今日の三つの詩は、頼りになる帰依所について語ることになります。頼りになる帰依所は、仏、法、僧の三宝です。

仏とは、四つの聖なる真理(四聖諦)を自ら悟り、自己の悟った道を世間に悟らせる者(ブッダ)の意味です。
法とは、ブッダの教え、聖典(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵)、道・果・涅槃をいいます。
僧とは、聖者のサンガ(僧団)で、ブッダの教えを完全に守って、ブッダの道を伝える者をいいます。

なぜ仏法僧が頼りになる帰依所であるかという理由は、「四つの真理を正しい智慧で見る」ことになるからです。「見る」とは「分かる」という意味です。仏法僧の定義で分かるように、仏法僧に帰依することで、四聖諦が理解できるようになるのです。

四聖諦の内容について191番に示されています。
すなわち、①苦、②苦の生起、③苦の超越、④苦を寂止に導く聖なる八の部分の道。
それぞれ、①苦聖諦、②苦集正諦、③苦滅聖諦、④苦滅道聖諦、とも言います。
その内容の説明は、日本テーラワーダ仏教協会ホームページ内またはこのブログ内検索で調べて下さい。

192番で、この帰依所は安穏、安全であること、最上であること、そしてこの帰依所に帰依するならば、一切の苦から解放されると述べています。すなわち、これらに帰依する者は、すべての煩悩を捨てて解脱して涅槃に至ると歌われているのです。

最後に、昨日問題提起した帰依と依存と自立の関係について説明します。簡単に言えば、迷信による帰依は依存ですが、理性による帰依は自立であるということです。
例えば、眼の見えない人も、眼の見える人も、歩くためには足場が必要です。眼の見えない人の歩く場所は不安定です。眼の見える人の足場は眼で確認しているから安定しているということですが、いずれにせよ歩くためには足場が必要です。この例は歩くとは生きること、足場とは帰依です。仏教徒の三宝帰依は理性に基づいた帰依、この帰依は自立していて、依存ではありません。生きるための、理性的な自立した足場なのです。

三宝に 帰依する人は 四からなる 聖なる真理 智慧で発見(190)
四聖諦 苦諦集諦 滅諦と 苦の征服に 至る八の道(191)
四聖諦 心の帰依所 帰依者は 苦しみから 解放される (192)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/201003/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_19.html
http://76263383.at.webry.info/200807/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

noritarou
2012年09月07日 09:42
>楽でないのは欲張るからで

ワンギーサ先生の言葉はとてもわかりやすいです。ありがとうございます。
この言葉で行くと、老いや病いに苦しむのは、ずっと健康で元気でありたいと欲張っているから。
死に苦しむのは、痛みを避けたい、五感を楽しんでやめたくないと欲張っているから。
自分が好きなものとだけ出会いたい、嫌いなものは避けたいと欲張っているから、苦しい。となりそうですね。

>欲張らなければ楽になる

生きて行くのに必要なだけあれば十分だ、と納得したいものです。
あすか
2012年09月07日 12:18
頭ごなしに「信じなさい」と言われての信仰や、罰や地獄怖さに守る戒律はどこか心もとないです。対して、理解・納得し、自ら選んだ道であれば多少厳しくとも歩んで行けます。

今日も生きとし生けるものが幸せでありますように。
慈悲と智慧
2012年09月07日 13:58
昨日の記事を読んで、不安の中どう過ごせば良いのだろうと思われた方が、いらっしゃると思います。
今回の記事を読んで、納得された方は、それで良いのですが、まだ不安が残る場合は、こちらのスマナサーラ長老の音声法話をお聞きになることをオススメします。

http://www.voiceblog.jp/najiorepo/1646203.html

私が、ブログを再開しようと思ったのは、この法話を聞いて学んだことが多かったからです。
なので、あくまで私個人としてはオススメです。
真剣に実践されている方には、一つ大きな壁を突破できるきっかけになるかもしれないくらいの智慧のある法話だと思います。
特に今、逆境にある方にはオススメしたいです。
聞いていただけると、何故、私が、以前このコメントでお釈迦様が説かれた地獄について解説した長老の音声法話を紹介したのか?
その真意を分かっていただけるかもしれません。

こころざし
2015年12月08日 07:54
仏、法、僧の三宝に帰依致します。そしてこちらで学ばせて頂いているお陰様で、度合いは私レベルですが足場は眼で確認していれていると思います。自分なりに心の安定を感じます。
真の意味での心の安定が得られるように精進したいです。