正覚者 どこでも生まれる わけはない 彼が生まれた 世界は幸福(193)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

=================================================================
9月23日(日)ゴータミー精舎 バザーのご案内
来る9月23日(日)、東京・幡ヶ谷のゴータミー精舎にて、有志の方が東日本復興応援バザーを開催します。詳細はこちらをご覧下さい。http://www.geocities.jp/msrwp662/
=================================================================

○子供のためのダンマパダ

人間の幸せを教えてくれるお釈迦さまは
どこにでも生まれるわけじゃないよ
お釈迦さまの教えを知って
学べる人々は幸せになれますよ


○パーリ語原文と訳語

ドゥッラボー  プリサージャンニョー
Dullabho    purisājañño,
得がたい    高貴な人は

ナ  ソー   サッバッタ  ジャーヤティ
na   so    sabbattha   jāyati;
ない  彼は  どこでも   生まれ

ヤッタ  ソー  ジャーヤティ  ディーロー
Yattha   so   jāyati      dhīro,
場所は  彼   生まれる    賢者が

タン  クラン   スカメーダティ
taṃ   kulaṃ   sukhamedhati.
その  家は    安楽に栄える


○直訳
高貴な人は得がたい
彼はどこでも生まれない
彼賢者が生まれる場所は
その家は安楽に栄える


○一口メモ
この詩の因縁物語は次の通りです。ブッダのお世話をしていたアーナンダ長老がある時「ブッダのような高貴な方はどのような所に生まれるのであろうか?」と考えましたが、答えが見つからず、ブッダにたずねました。ブッダは「アーナンダよ、聖者を見つけることは困難なことです。聖者はどこにでも生まれるわけではありません。そのような聖者が生まれた家は安楽に栄えるのです。」と答えられ、この詩を語りました。

ここでは、一行目のpurisājaññoを「高貴な人」と訳しましたが、「駿馬のような人」と言う和訳もあります。どちらの訳も可能なのです。しかし、いずれにしても、因縁物語から分かるように、その言葉はブッダを意味しているのです。

四行目の「その家は安楽に栄える」は、実際のブッダが生まれた王家を指すと言うよりは、広大な宇宙的時間と空間の中では、ブッダが生まれてその影響力がある時代と地域ととらえてもいいのではないかと考えています。なぜならブッダの教えに従って生き、修行している人々は安楽に栄えていると言えるからです。

正覚者 どこでも生まれる わけはない 彼が生まれた 世界は幸福(193)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_7.html
http://76263383.at.webry.info/200905/article_20.html
http://76263383.at.webry.info/201003/article_29.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーをクリックして下さい。
記事内容の改善の参考にしたいと思っています。

この記事へのコメント

慈悲と智慧
2012年09月08日 11:05
スリランカには、スマナサーラ長老のようなお坊様がたくさんいらっしゃるのではないのだろうかと、思われている方は、結構いらっしゃるようです。

しかし、それは、誤解でスリランカといえでもスマナサーラ長老のように智慧のあるお坊様は少ないのです。

これについては、長老が、法話の中で示唆されています。

何が言いたいのかというと、私たちにとっては、長い輪廻というマクロの視点からみても、相当なチャンスが目の前に転がっている状態にあるということです。

これを生かさない(精進しない)ということは、私たちが理解できる範囲を超える損失であるということです。

チャンスを生かすために必要なこと、それは【怠けないこと】だと思います。
あすか
2012年09月08日 11:19
ブッダの教えに出会えた奇蹟に感謝します。

写経というものがあるようですが
偈を書いてみるのもいいですね。
暗記の為パーリ語も書いています。
テキストのコピー・ペーストとは
違う良さがあります。
カエルくん
2012年09月08日 16:37
こんにちは。

暑さと忙しさを言い訳にして、いろいろなことをさぼってしまいました。
反省です。
人身受けがたく、いますでに受く
仏法聞きがたく、いますでに聞く
(大乗仏教のお経の開経偈です)
ですね。
せっかくのチャンスを無駄にしないように…。
気付いた時からまた精進です。
ささ
2012年09月08日 21:41
こんばんは。

お釈迦さまの本来の教えを知って学べること。
本当に幸せなことだなと思います。
心底信頼できるものというのは、とても得難いものだと思うからです。これが、足場なのですね。
あとは打ち克ち難い自己との闘いです^^;




SRKWブッダ
2014年09月08日 10:13
立派な修行者は、征服した国を捨てた王のように世間を出離し、ついに一切の苦悩から解脱する。このとき、彼がいてもいなくてもその家(国)は安泰であり、後顧の憂いがない状況にある。そうであるゆえに、彼は心おき無く出家することが出来るのである。ブッダになるような人が、後先考えずに出家することなどあり得ない。これが安楽な栄えの中に出家するという意味である。もちろん、もろもろのブッダはそのように出家し、心おき無く自らの修行を為し、完成し、ブッダとなったのである。

目の前の苦悩から抜け出すことを目論んで、逃げ出すように修行生活に入っても、その修行は完成しない。後顧の憂い無く、誰も悲しませることなく、真実の真相を知ろうと熱望して修行してこそ、その修行は完成を見る。

***
こころざし
2015年12月09日 07:19
自己啓発系の先生がお釈迦様の教えを元にアドバイスをされていたり等から、お釈迦様の教えを元にすれば間違いはないと、その偉大さを感じます。
そして、お釈迦様が教えて下さった事をサンガが教えて下さるので、今があると思います。
お釈迦様・サンガに心より敬意を持ち、そして教えて頂いた事を実践して参りたいです。