賢者らが 欠点がない 無駄ないと 賞賛するならば 智慧ある人だ(229)及び(230)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。

賢者らが 欠点がない 無駄ないと 賞賛するならば 智慧ある人だ(229)
そのような 智慧ある人を 神々も 梵天さえも 賞賛するよ(230)


○子供のためのダンマパダ

よく勉強し
道徳守る子供を
親や先生がよく見ていて
誉めるならば

誰もその子を
非難できない
神々も神々の王も
彼を誉めるだろう


○パーリ語原文と訳語

ヤン   チャー  ウィンニュー  パッサンサンティ
Yaṃ    ce    viññū      pasaṃsanti,
その人を  もし   識者が     賞賛する
 
アヌウィッチャ  スウェー
anuvicca      suve suve;
よく知って    日に日に

アッチッダウッティン  メーダーウィン
Acchiddavuttiṃ     medhāviṃ,
無疵の生活の      智慧者を

パンニャースィーラサマーヒタン
paññāsīlasamāhitaṃ.
智慧と戒を具えた禅定者を(229)


ネッカン  ジャンボーナダッセーワ
Nekkhaṃ  jambonadasseva,
金貨を   ジャンブー河産の ような

コー  タン   ニンディトゥマラハティ
ko   taṃ    ninditumarahati;
誰が  彼を   非難することができるか

デーワーピ  ナン  パサンサンティ
Devāpi    naṃ   pasaṃsanti,
神々でも   彼を   賞賛する

ブラフムナーピ  パサンスィトー
brahmunāpi    pasaṃsito.
梵天よっても   賞賛される者(230)


○直訳
無疵の生活の智慧者を
智慧と戒を具えた禅定者を
その人をもし日に日によく知って
識者が賞賛する(ならば)(229)

ジャンブー河産の金貨のような
彼を誰が非難することができるか
神々でも彼を賞賛する
梵天よっても賞賛される者(230)


○意訳
もし賢者たちが彼を
毎日毎日よく見て
彼の行為には欠点がなく無駄がない
智慧と戒ある禅定者だと賞賛するならば

ジャンブー河産の金貨のような阿羅漢聖者を
だれが非難できようか
神々さえ彼を賞賛する
梵天さえも賞賛するというのに


○一口メモ
今回の二つの詩は昨日の二つ詩の続きになります。世間の人々はどんな人でも非難するものです。それは過去も将来も現在も変わらないことだとブッダは仰いました。ですから、他人に非難されとも気にする必要はないのです。

しかし、この詩には書いてないのですが、識者や賢者たちに批判されたら、自分の行動を注意する必要があります。だれが識者や賢者なのかよくわからないと言う問題点はあります。また識者や賢者はあまり非難したり、批判しませんから、非難する人は賢者だと思わなくてもいいのです。もしその人たちが批判してくれれば、本当は大変ありがたいものなのです。

誰が識者か賢者か分かりませんから、自分で決めておけばいいと思います。例えば、両親あるは結婚している人であれば配偶者(これらの人々の批判は多いですが)、先生、兄弟、親友あるいは自分の尊敬する人、これらの人々の非難や批判はまじめに聞いて反省材料にすべきです。これらの人々はあなたのためを考えているのです。

今回の二つの詩では、非難でなく、賢者が賞賛する人について述べられています。賢者はすぐに賞賛しません。毎日よく見ていて、欠点がなく、よく道徳も守って、智慧もあり、心が落ち着いている人だと確かめてから賞賛します。ですから、賢者らに賞賛される人はジャンブー河産の金貨のように素晴らしいと言うのです。ジャンブー河産の金貨とはジャンブー河で取れた混じりけのない品質のよい金貨を言うようです。

まとめて言えば、人々は賞賛を喜び、非難を嫌います。非難も賞賛も自分を知り、智慧を育てる重要な材料です。落ち込んだり舞い上がったりすることなく、冷静にそれらを検討してみて下さい。非難は今まで自分の気が付かなかった欠点を教えてくれる場合があります。また賞賛には自分の長所を知りそこに自信を持って精進することができます。

智慧を育てることに関しては、先日のスマナサーラ長老の講演会で「預流果に至る条件」という施本が配られました。(次回のパティパダーと一緒に発送されます。)その本の25ページに「智慧によって心を育てる」ことが書いてあります。「智慧というのは、真理の目で物事を見ることで、真理とは『無常、苦、無我』です。・・・(中略)・・・いわゆる物事を評価するとき、『無常、苦、無我』という基準で評価し、自分の生き方を変えていくのです。」と書かれています。非難も賞賛も「無常、苦、無我」で評価することで、智慧を育てることができるのです。具体的には長くなりすぎますから、次の機会に書きますが、各自考えて下さい。そうすれば智慧が育ちます。


賢者らが 欠点がない 無駄ないと 賞賛するならば 智慧ある人だ(229)

そのような 智慧ある人を 神々も 梵天さえも 賞賛するよ(230)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_17.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_23.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

ワンギーサ
2012年10月10日 07:43
皆様、おはようございます。

昨日は多くの方が私の提案にお答えくださいまして大変ありがとうございます。もくママまでコメントしてくれるとは思いませんでした。これからもよろしくお願いします。
怒っている人に効果があるかどうかは別にして、私は結構笑えました。
ユーモアのセンスも練習すれば上達するものです。
これからも機会あるごとに、考えて下さい。
自分もまわりの人々も明るくなります。
明るくなれば、幸せになります。

三宝のご加護がありますように
幸せでありますように


あすか
2012年10月10日 08:14
賞賛は嬉しいものですが
舞い上がって慢が増えないよう、
またほめられたいという欲が
強くなり過ぎないよう
気をつけないといけません。
他の人への賞賛は共に喜び
嫉妬などにならないように。

どんな言葉も、一度チェック。
どうでもいいものはスルー。
反省や自信の材料になるものは
上手にいかしていく。
人との関わりもまたよい訓練ですね。

施本『預流果に至る条件』楽しみです。
私でも預流果になれるかしら。^^

今日も皆が幸せでありますように。
カエルくん
2012年10月10日 19:27
こんばんは。
ユーモアはかけらもなくて、昨日は課題をスルーしてしまいました。すみません。
でも笑うことは大好きです。

身近にいる、目上の人の言うことを聞こうと思うのですが、ちかしい間柄の人の言うことほど守りにくいです。甘えがあるからでしょうか。
特に私は思い込みが激しいところがあるので、「ほどほどにね」と止めてくれる人は貴重です。
身の回りにいる人の忠告を大事にしようと思います。
もくぎょ(汗)
2012年10月10日 21:24
>もくママまでコメントしてくれるとは思いませ
んでした。これからもよろしくお願いします。

せ、せっ、先生~!、みなさま、こんばんは。
もくママ=もくぎょでございますー(^^;;

ジョークのつもりだったんですが、信用した人い
るのかな~?
もくぎょの母は健在ですが、インターネットはや
らないので、書き込みしませんので・・トホホ

そ、それとも、ワンギーサ先生のユーモア??

~禅寺本堂にて~

法話

「じ、住職さまぁ~。お、お話が、長いので、ござ
いますがぁぁ~・・」足がしびれるもくぎょ。

「ジロリ・・もくぎょ。このコップの水と、海の水
ではどちらが多いですか?」

「そ、そんなの比べようがございません。コップの
水はほ~んの僅かで、それに比べ海の水は量ること
ができないほど、大量でございますぅ~」

「ここまでの話はこのコップです。これから本題です」

プチッ。しびれが切れる、もくぎょなのでした・・。
こころざし
2015年12月19日 07:59
自分では判断つかない時、尊敬する長老ならなんていわれるか考えると、ヒントになる事があります。そして究極に分からない事は質問させて頂く事も出来ます。
長老に肯定して頂けます様な生きる姿勢、培って参りたいです。