心での 怒りを押さえ 心での 悪行捨てて 善行を為せ(233)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

他の子をたたいたり
悪口を言ってもだめですが
イライラするのもいけません
これはけこうむずかしい


○パーリ語原文と訳語

マノーパコーパン ラッケッヤ
Manopakopaṃ   rakkheyya,
意の激怒を    護るように

マナサー  サンウトー  スィヤー
manasā   saṃvuto    siyā;
意により  制御されて  あるように

マノードゥッチャリタン  ヒトゥワー
Manoduccaritaṃ      hitvā,
意の悪行を         捨てて

マナサー  スチャリタン チャレー
manasā   sucaritaṃ   care.
意により  善行を    行うように


○直訳
意の激怒を護るように
意により制御されてあるように
意の悪行を捨てて
意により善行を行うように


○意訳
心での怒りを押さえるように
心を制御するように
心の悪行をしないように
心によって善行を行うように


○一口メモ
今回は真理「無常・苦・無我」の「無我」の観点からこの詩について考察します。

話しを具体的にしましょう。AさんがBさんに10万円貸しました。BさんはAさんに10万円を返しません。そこで、AさんはBさんに「私が貸したお金を返さない」と言って怒っているのです。

世間の常識から考えれば、Aさんの怒りは当然で、誰でも怒ると思うでしょう。しかし、ブッダは「心での怒りを押さえるように/心を制御するように/心の悪行をしないように」と教えておられるのです。

なぜならば、ブッダはダンマパダ62番で次のように教えているからです。

私の子がいる、私の財産がある
と愚か者は悩まされる。
自分さえ自分のものでない
どうして子か、どうして財産か。(62)

自分さえ自分でないのならば、その10万円も自分のものだったのでしょうか。たまたま、ある縁でAさんの財布の中に入っていたものではないでしょうか。Aさんはその時、その10万円しかなかったとしても、貸した後それなりに生活できたのではないでしょうか。その時、AさんはBさんにお金を貸してあげられてよかったのではないでしょうか。Bさんはとても喜んだのではないでしょうか。Aさんは功徳を積んだのではないでしょうか。そのように考えると、Aさんは心での怒りを押さえることができます。

ここでポイントは、自分も自分のものでないということです。このことが理解できないと話が通じません。自分も自分のものではないのでしょうか? 仏教では、自分を色(身体)、受(感覚)、想(概念)、行(意思)、識(認識)と分けて考えます。色は身体で、受想行識は心と言っているものです。そして次のように調べるのです。

身体は私か、私のものか、私の本体(自我)か?
感覚は私か、私のものか、私の本体(自我)か?
概念は私か、私のものか、私の本体(自我)か?
意思は私か、私のものか、私の本体(自我)か?
認識は私か、私のものか、私の本体(自我)か?

身体は自分のものでしょうか?身体は始め両親からもらい、その後は食べ物からできたもので、かつ固定した身体はありません。いつも変わっていますから、これが自分の身体と言えるものはないのです。感覚は常に変化し、これが自分の感覚と言えるものはありません。概念、意思、認識についても同様です。自分をいろいろ調べても自分のものと言えるものはないのです。ですから、自分も自分のものではないと言うのです。そのようにして、自分が無我であると理解して、無我の立場で生活するのです。それが智慧のある生き方です。

しかし、この理論はいろいろな仏典に繰り返し述べられていますが、なかなか納得できないものです。繰り返し学んだり、瞑想の体験などで実感できるものなのです。今すぐに納得できなくとも、ブッダに与えられた課題だと思って、繰り返し学んで下さい。

無我の全般についてはスマナサーラ長老著「無我の見方」(副題「私」から自由になる生き方)をお読みください。

心での 怒りを押さえ 心での 悪行捨てて 善行を為せ(233)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_2.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_18.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_24.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年10月13日 06:40
おはようございます。
当然の怒りなどない、ということですね。

イライラすることが減ってきました。イラ、くらいで気がつけるようになった気がします。
でも突然の激怒はいつおこるか分からないので、用心します。
2012年10月13日 06:40
おはようございます。
この偈で思い出しますのは、長部経典30相好経です。ここで述べられているのは偉大な人が身口意の三善業をすると、生まれ変わりの時にどんな容姿で生まれるのか?が述べられています。

例として、
如来が先の生存において人間の時、四摂事つまり布施・愛語・利行・同事によって、人々を愛護→
死後他の神々を凌駕する神に生まれる→人間界に生まれた時、柔らかい、しなやかな、網目のような手足をそなえ、在家で暮らすなら転輪王になって恵まれるか、出家すれば阿羅漢云々になると述べられています。

例えば、悪口を捨て悪口から離れると→天神→人間の時、広長な舌、梵天のような妙声をそなえる者になるそうです。

つまりまとめていうならば、その人の行いが結局は容姿に顕れるという事です。

戒めとして活用したいと思いました。

他にもいろいろ具体例が書かれていますのでオススメです。

佛法僧に帰依致します。
あすか
2012年10月13日 07:39
無我、理屈ではなるほどと理解できても
自我の思い込みは強力です。
少しずつでも薄まっていけば。
『無我の見方』再読してみます。
新発見があるかもしれません。

先日、50円玉を見つけました。
スタッフの方にお伝えしましたが
一瞬、このまま…という心が。
自分で驚き、怖いなと思いました。
欲だけではありません。怒も無知も。
日々心の鍛錬をしていても
すぐ貪瞋癡は湧き出てくるのですね。
今日も精進、精進。^^;
てくてく
2012年10月13日 11:07
○パーリ語原文と訳語について質問させてください。

マナサー  スチャリタン ヒトゥワー
manasā   sucaritaṃ   care.
意により  善行を    行うように

と、なっていますが、careの読み方は、ヒトゥワーではないと思ったので質問いたしました。
私は、パーリ語初心者なので、発音に自信はありませんが、「チャーレー」みたいな感じかなあと思います。



ワンギーサ
2012年10月13日 13:15
てくてくさん。こんにちは。

パーリ語の読み方に関する御指摘ありがとうございます。
あなたの御指摘の通りですので、早速訂正します。

三宝のご加護がありますように
bb
2012年10月13日 13:38
女性から男性に生まれ変わりたい場合、男性の心を身につければよいとブッダはおっしゃってますか?男性のようにふるまい、男性のように物事を考えて生活すれば、男性に生まれ変わりますか?

逆に男性から女性に生まれ変わりたい場合、女性の心を身につければよいのでしょうか?女性のようにふるまい、女性のように物事を考えて生活すれば、女性に生まれ変わりますか?

おかしな質問ですみません。
てくてく
2012年10月13日 17:26
ワンギーサさま、こんにちは。
正しい読み方を教えて下さり、ありがとうございます。
パーリ語をまたひとつ覚えることが出来ました。
スマナサーラ長老の著書を持っていないので、早速、探しに行きます。
もくぎょ
2012年10月13日 20:54
もしも、貸したお金が返ってこなかったら・・
やっぱり気になる~自我満載;;

オーバーな話をつくってみました。
  (原案 ワンギーサ先生)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
冷え込む早朝の広場に立つ、一人の小学生。

「おやっ?どうしました」通勤途中の大人。

「いっしょに学校に行くお友達が少し遅れてる
みたい・・」ブルブル

「これで暖を取りなさい。ここは広場だからいい
でしょう」

おもむろに鞄から500万円ほどの札束を出し、
火をつける・・。

「あったかいね~~」

「もう少し、くべておきましょう」
今日の食費分だけ残し、5000万円分追加で燃
やし、その場を去る。

「おじさん誰なのー?」

「・・わたしは、テーラワーダの在家です・・」

「おじさんかっこいい~~~」

ほ、ほんとか~~(^^;;真似しないでね。
ワンギーサ
2012年10月14日 12:39
bbさん。こんにちは。

そのことはわかりませんからその質問にはこたえられません。

三宝のご加護がありますように
幸せでありますように

bb
2012年10月14日 12:47
わざわざありがとうございました。お手数取らせてしまいすみません。
もくぎょ
2012年10月16日 19:56
う~~~ん、答えになるかどうか解らないのですが・・

いまスマ長老さまの「死後はどうなるの?(角川文庫)」を読んでいまして、
ある仲良し夫婦が、今世で添い遂げ、来世もまた出逢いたいと願っているのですが?とお釈迦様にたずねる経典の話が出てきます(増支部三集五七)。この部分をものすご~~く拡大解釈するならば、旦那さん(男性)が→男、奥さん(女性)→女、に同性で生まれ変わるとも言えるわけです。む、無理かな(^^;;

で、お釈迦様のお答えは、「・・二人とも同じく信を確かにして、同じく道徳を守って、同じく執着をなくし、同じく智慧をみがくなら、二人は現世でも添い遂げて、また来世でも出逢うことができますよ」とのことで、相手に執着する気持ちをなくし、こころを清らかにする善行為に励むことらしいです。

もし、bbさんが女性で、男性に生まれ変わりたいのであれば、男性に生まれ変わりたいと言う執着があると、逆の結果が出るとも言えるのかも?それなら、女性のままでいたい執着があるなら、男性になれる??

ただ、少し後のページに、人間に生まれ変わるのは宝くじに当たるのと同じような確率ですごく難しい、とも長老さまがおっしゃっていて、bbさんが運よく男性に生まれ変われても、その時には願いが叶ったことさえ忘れているのでは、と思うのですが・・。困ったことだピョン。
こころざし
2015年12月20日 11:00
本文を拝見し、以前名古屋市地下鉄駅の自動切符売り場に子供といた時に「お金を下さい」と行って来た壮年の男性の事を思い出しました。
切符を買う金が無かったのでしょうか?その時僕の小銭入れはコインで一杯でしたが、関わるものではないと判断し、謝罪して場を離れました。ですがその対応で良かったのか?と考えてしまいました。
智慧に繋がるのか分かりませんが、次は違う対応をしようと思います。