怒るなよ 身も心も こわれるぞ 慢心捨てれば 心配ないぞ(221)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

悩みはいろいろあるでしょう
悩みをなくす練習をしましょう
まず、怒らないことが
悩みをなくす第一歩です


○パーリ語原文と訳語

コーダン  ジャヘー   ウィッパジャヘッヤ  マーナン
Kodhaṃ   jahe      vippajaheyya     mānaṃ,
怒りを   捨てるように  放棄するように   慢心を

サンヨージャナン  サッバマティッカメッヤ
saṃyojanaṃ     sabbamatikkameyya;
束縛に       一切の 打ち勝つように

タン  ナーマルーパスミマサッジャマーナン
Taṃ   nāmarūpasmimasajjamānaṃ,
者に   心と身体に執着しない

アキンチャナン  ナーヌパタンティ  ドゥッカー
akiñcanaṃ     nānupatanti    dukkhā.
無一物の者に   付き添わない    苦は


○直訳
怒りを捨てるように、慢心を放棄するように
一切の束縛に打ち勝つように
心と身体に執着しない者に
無一物の者に、苦は付き添わない


○一口メモ
この詩から、「第17 怒りの章」が始まります。前章の「愛」は欲に属すことがらですから、その次の章としては「怒り」がテーマになるのです。仏教では欲と怒りと愚かさをなくすことが重要なテーマですから。

脳科学的には、怒りは次のように考えています。大脳の下の中心付近にアーモンド状の、そのために扁桃体と呼ばれる部分があります。扁桃体は非常に短時間に対象を敵か味方か(あるいは好きか嫌いか)を判断するのです。短時間に判断しますから、時々間違えます。ロープを蛇と間違えたり、枯れ尾花を幽霊に間違えたりするのです。大脳前頭葉での理性的判断は少し時間がかかるのです。しかし、敵か味方を判断するのは生存のために短時間で行う必要があるのです。扁桃体が敵と判断した時、怒りの感情が現れます。敵が強い時は恐怖ですが、その時も怒りの感情があるのです。敵が弱い時は攻撃態勢です。もちろん怒りの感情があります。

仏教では次のように考えます。感覚には三つの種類があります。快の感覚、不快な感覚、快でも不快でもない感覚です。快の感覚があるとき、欲の感情が現れます。不快の感覚があるとき、怒りの感情が現れます。快でも不快でもないときは、無関心か迷いの感情が現れるのです。この現象はブッダが発見したことだと思います。ヴィパッサナー瞑想で観察すべき重要なポイントです。

怒りは単に、感覚で不快に感じただけのことで起きることなのです。怒る正当な理由などないのです。いわんや正義の怒りなどもありません。怒りは他の人々を不愉快させ、多くの場合、他の人の怒りを誘発させる大変迷惑な感情です。ある場合には国と国を戦争させ、人々を不幸にするのです。怒りを持った人は自業自得といえ自分の怒りのために苦しい思いをします。身体も破壊することになるのです。

ですから、怒りはやめるべきなのです。慢心からも不快な感覚が生まれ、怒りになります。ですから、慢心も捨てるように述べています。

慢心がないということは、心(自分の思い)に執着してないということです。心に執着のない人は当然自分の身体にも執着しません。人は身体より心への執着が強いのです。例えば、死が恐ろしくて、自分の主義をすてる人もいますが、自分の主義のために死ぬ場合も多いのです。自分の主義を捨てると言っても本心から捨てているわけではないと思います。

「saṃyojanaṃ」(結)は「束縛を」と訳しましたが、9月27日のブログに書いた生命を輪廻に結びつける10の煩悩を十結といいます。それらは、①有身見、②疑、③戒禁取(かいごんしゅ)、④欲愛、⑤激怒、⑥色貪、⑦無色貪、⑧慢、⑨掉挙(じょうこ)、⑩無明です。さらに、この詩ではこれらすべての煩悩に打ち勝つようにと述べています。

これらすべての煩悩に打ち勝った者は「心と身体に執着しない者に、無一物の者に、苦は付き添わない」、すなわち苦しみはないということです。


怒るなよ 身も心も こわれるぞ 慢心捨てれば 心配ないぞ(221)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_27.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_11.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_17.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年10月03日 07:06
最近、脳科学についても学んでいます。
時々、脳科学がブッダの言葉に
近づいてきたと思うことがあります。^^

よく観察すると、なるほど先に
不快、怒があり、正当化するような
理由を後から作っている気がします。

慢心、束縛、心と体への執着、
今日の内容は盛りだくさん。
やるべきことはいくらでもあり、
悩み苦しむ暇はないですね。^^;
今日から17章、怒の章のはじまり。
焦らず、学んでいきます。
駄目爺
2013年02月06日 06:44
高齢者施設でボランテイアを実践中の高齢者ですが、自分では十分奉仕活動をしていた積りでしたが、ある職員から「遊び半分にやっている」と注意を受けました。よくよく考えると「私はこれだけのことをしている」と言う自惚れ(慢心)心があることに気づきました。今は猛省と再勉強のため、このボランテイア活動を一時休憩です。
こころざし
2015年12月17日 07:56
今職場の新人の精神的フォローをする時があるのですが、自ら自身を追い詰めてそして自死に繋がっていくような発言をする事があります。そこで思うのは、怒りが自分に向いているなということです。
幸い冥想に少し興味を持っていますので、自分のそんな心に気が付くといいなと願っています。こちらの事も少しずつ紹介させて頂いています。