多弁者を 賢者と言わない 穏やかで 怨み恐れない 人こそ賢者(258)

○子供のためのダンマパダ。
芸人は面白ことを
たくさん話すけど、
ほとんど役に立たない。
お釈迦さまのお話は
すべて役に立つ。


○パーリ語原文と訳語

ナ   テーナ  パンディトー  ホーティ
Na   tena    paṇḍito     hoti,
ない  それで   賢者      では

ヤーワター   バフ  バーサティ
yāvatā     bahu   bhāsati;
それだけで   多く   語る

ケーミー  アウェーリー  アバヨー
Khemī    averī     abhayo,
安穏な   怨みない   恐れのない人は

パンディトーティ  パウッチャティ
paṇḍito’ti     pavuccati.
賢者と       呼ばれる


○直訳
多く語るそれだけで
それで賢者ではない
安穏な怨みない恐れのない人は
賢者と呼ばれる


○一口メモ
この詩で賢者とは、法住者(真理、道理、法則に従って生きる人)であります。「多く語る」ことに関して、すでに19番、20番で学びました。

たとえ多くの教えを語っても、
実践しないで、放逸な人には
他人の牛を数える牧童のように
修行者の成果はない(19)

たとえ少しか教えを語らなくとも
法を法に従って行い
貪欲と怒りと無智を捨てて
正しく知って、よく解脱した心があり
この世にもあの世にも執着しない人には
修行者の成果がある(20)

世間では、多くを語る人は評価され、多くを語らない人はあまり評価されない傾向にあります。出しゃばりで、おしゃべりの人が面白がられ、人気があるのです。しかし、ブッダの評価はちがいます。そうではなくて、今回の詩では「穏やかで恨みない恐れない人こそ」賢者、法住者であると言っているのです。

19番、20番でも、多くの教えを語っても実践しない修行者は成果がない。少ししか教えを語らなくとも貪欲と怒りと無智を捨てて、解脱した心のある修行者には成果があると述べてありました。

話しは変わりますが、多弁と関連して、言葉について問題提起をしておきます。言葉は人間にとって思考とコミュニケーションの大切な道具です。道具は正しく使えば非常に有益ですが、間違って使うと危険なものになります。ですから言葉の使用に当たっては注意が必要です。人がものを考える時、言葉を使わないイメージなどで考えることもありますが、実際には言葉を使って考えることが多いのです。その際、八正道の正思惟で考えるのです。すなわち、欲のない、怒りのない、害意のない心で言葉を使って考えて下さい。その逆はいけません。

また正語の実践も言葉の使用に関わる問題です。その際は、妄語(うそ)から離れること、両舌(二枚舌)から離れること、悪口から離れること、綺語(無駄話)から離れることが必要です。

言葉については、スマナサーラ長老の説法を参考にしてください。
http://www.j-theravada.net/howa/howa150.html


多弁者を 賢者と言わない 穏やかで 怨み恐れない 人こそ賢者(258)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_16.html
http://76263383.at.webry.info/200907/article_1.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_7.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年10月29日 19:09
こんばんは。
言葉についての戒めが出てくるたびに、自分は不綺語が苦手だな、ということを思い出します。
ということは、いつもは忘れていて、無駄話をし続けている、ということです(>_<)
せめて何が無駄話で何がそうでないか、気づきながら話そうと思います。
あすか
2012年10月29日 21:36
気をつけるようにしていますが、
油断は禁物ですね。
話す言葉だけではなく、書く言葉、
そして、頭の中のおしゃべりも。
直接すぐ周りに迷惑をかけなくても
脳内が悪い言葉の「放射能」で
汚染されては大変です。^^;
てくてく
2012年10月29日 23:07
こんばんは。今日は一口メモのリンクより、過去の記事に習い中部経典の4番は恐怖教にトライしました。ラストのお釈迦様が今日も森の茂みのはずれの臥坐所を用いる理由に感動しました。
お釈迦様の憐れみに、とにかく感動、感動です。
今ある命はすべての生命のおかげです。
生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
すべての生命が安らかに眠れますように。おやすみなさいませ…。
m(_ _)m

MK
2012年10月30日 00:11
こんばんは。
こういった句を読むと、口下手であってもちょっと安心します。
ですが、安穏な怨みない恐れない人であってこその法住者。口下手であることを恐れていては、例え口数が少なくとも、多弁者と変わらないですよね。

欲なく怒りなく害意ない言葉であると思ったなら、例えうまく説明できずとも、勇気をもって話さなくてはいけないんじゃないかと思いました。
こころざし
2015年12月26日 07:38
私事ですが、昨日夕食の片づけをしていた時、小4娘がテレビを見ていました。娘は大笑いしていましたが、心の成長につながるような内容ではないと感じ、早めに家事を終わらせその場を離れました。
テレビはコミニケーションとは言わないかもしれませんが、以前は僕もそのような受けを狙ってバカなことを言ってました。そこには注目してほしいとの欲があったと思います。
今は、必要な事を話すのみの姿勢になれるよう、正語の実践が少しでも出来るように努めたいです。