怒りには 慈悲の心で 勝つように 不善は善で 貪には布施で(223)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

相手が憎くなり、からだが熱くなったら
あなたは怒っているのです。
気持ちを自分に向けて
「ぼくは幸せでありますように」と
何回もとなえてみよう


○パーリ語原文と訳語

アッコーデーナ  ジネー    コーダン
Akkodhena    jine      kodhaṃ,
怒らないことで  勝つように  怒りに

アサードゥン  サードゥナー  ジネー
asādhuṃ    sādhunā     jine;
不善に     善で      勝つように

ジネー   カダリヤン   ダーネーナ
Jine     kadariyaṃ   dānena,
勝つように  物惜しみに  布施で

サッチェーナーリカワーディナン
saccenālikavādinaṃ.
真実で妄語に


○直訳
怒らないことで怒りに勝つように 
不善に善で勝つように
物惜しみに布施で勝つように  
真実で妄語に(勝つように)


○一口メモ
「怒らないことで怒りに勝つように」の解釈は、「怒らない人」と「怒りを持った人」を別の人とも、同じ人とも考えられます。つまり、怒ってないAさんが怒っているBさんに勝つと解釈する場合と、怒っているAさんが、怒りを止めて自分の怒りに勝つと言う場合です。どちらの解釈も成り立つと思います。

このことは、不善と善、物惜しみと布施、真実と妄語についても言えることです。

どちらの解釈も成り立ちますが、私は「怒らないことで怒りに勝つように」の解釈は怒っているAさんが、怒りを止めることで、自分の怒りに勝つ」と言う解釈を取りたいと思っています。

なぜならば、昨日の222番の詩では「怒りを制御する人が本物の御者だ」と述べられていましたが、どのようにして怒りを制御するかは述べられていませんでした。怒っている人と、怒っている人を制御する人が同一ならば、この詩は怒りの制御法について語られていることになります。また、不善行為、物惜しみ、妄語の改善方法について述べられていることになります。

つまり、怒りには怒らないことで止めるのです。同様のことはダンマパダ
3番http://76263383.at.webry.info/201203/article_3.html
4番http://76263383.at.webry.info/201203/article_4.html
5番http://76263383.at.webry.info/201203/article_5.html
に述べられています。

しかし、皆さんは納得いかないかもしれません。どのようにして怒りを止めるのかと思うでしょう。実は皆さんは変なことを考えているのです。怒るも怒らないもあなたの心が決めているのです。あなたの心が怒らないと決めれば怒らないのです。

たしかに、怒らない心は持ちにくいと言うことはありますから、少しアドバイスをすれば、怒り心の反対は慈しみの心です。ですから、慈しみの心を持てばいいのです。具体的には、「私は幸せでありますように、相手の人も幸せでありますように」と繰り返し唱えることで怒りの心を怒りのない心に変えることができます。

不善行為には善行為をすることです。物惜しみの心のある人は布施をすることです。嘘をつく人は、真実を話すようにするのです。


怒りには 慈悲の心で 勝つように 不善は善で 貪には布施で(223)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_29.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_13.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_19.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年10月05日 06:48
怒りの章ではありますが、
223は他についての対処法も
大変すっきりまとまっていて
覚えておくといざというとき
重宝します。
ちょっとくらいなら、
誰にもわからないし、
などの誘惑に負けぬよう、
不善、物惜しみ、妄語にも
注意しなければならないので。

では、早速、慈悲の瞑想。
皆様が生きとし生けるものが
今日も幸せでありますように。
2012年10月05日 12:59
こんにちは。
怒りには「怒らないこと」で勝つというのが感心しました。

折しも今「怒らないこと」というスマナサーラ長老のサンガ新書を読んでいますが、全く仏教に関心ない人にも確かに抵抗なく読めると思いました。

その続編の「怒らないこと2」はもっと人間の苦について突っ込んだ内容で書かれており、仏教そのものの内容ですが是非、どんな方にでも読んで頂きたい新書です。

慈悲と智慧
2012年10月05日 15:56
アーチャン・チャーの言葉

苦しみには二種類のものがある。一つ目は、より多くの苦しみをもたらす苦しみじゃ。そして、二つ目のものは、苦しみを終らせるための苦しみじゃ。もし、おまえさんが二番目の苦しみに自ら直面しようとしないのなら、一番目の苦しみをずっと経験し続けることになるじゃろう
カエルくん
2012年10月05日 20:55
こんばんは。
仏教を知ってから、誰かを憎い、と思うことがなくなりました。それだけでも随分と楽です。
また怒っている人に慈悲の心で接していると、いつの間にか仲良くなれることも、分かってきました。
慈悲の瞑想は、ありがたいです。
ささ
2012年10月05日 23:22
こんばんは。
「怒らないことで怒りに勝つように。」
日常生活の中で、怒りに気づいたら観察する。慈悲の瞑想をする。怒りを手放す。執着しないなどを心がけた結果、被害?は必要最小限で済むな~と実感しました。
気になることがあって、繰り返しその想いに捉われてしまった時、長老の「好きだから」という言葉が浮かび、本当にこんなにイヤだと思うことを思い出してばかりいる自分は、そんなことを考えるのが好きなんだな~。なんだかな~…と改めて確かめているうちに自らの愚かさに呆れて、その想いから離れるコトが叶う事がありました。
確かめるほど、お釈迦さまの教えの有難さを実感する毎日です。
ありがとうございました。
こころざし
2015年12月18日 05:59
自分の実体験から、怒る事は損にしかならないと実感しています。そして心から怒らない方が自分が得で幸せに繋がると感じでいます。そして怒らない事は相手にも周囲の方にも幸せになる事に繋がりますよね。
怒らない事、そして悪行為をしない事、欲深くエゴに生きない事を自分の幸せ・相手・皆さんの幸せに繋がるという意味で実践して参りたいです。