真実を 述べ怒らない 少しでも 求められれば 施すように(224)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

うそを言わないこと
怒らないこと
困っている人は助けること
そうすると神様になれますよ


○パーリ語原文と訳語

サッチャン バネー    ナ   クッジェッヤ
Saccaṃ   bhaṇe     na   kujjheyya,
真実を   語るように  ない  怒ら(ない)ように

ダッジャッパスミンピ   ヤーチトー
dajjā’ppasmimpi     yācito;
少しでも与えるように   乞われたら

エテーヒ  ティーヒ   ターネーヒ
Etehi    tīhi      ṭhānehi,
この    三つの     理由で

ガッチェー  デーワーナ  サンティケー
gacche    devāna     santike.
行くだろう  神々の    面前に


○直訳
真実を語るように、怒らないように
乞われたら少しでも与えるように 
この三つの理由で
神々の面前に行くだろう


○一口メモ
この詩ができた因縁物語も面白いので、私はよく子供たちに神様になる方法としてお話しします。その内容は、以前のブログ記事に書きました。
http://76263383.at.webry.info/201004/article_20.html
結論を言えば、①うそを言わないこと。②怒らないこと(これがこの章のテーマ)。③困った人は助けてあげることです。

これは神々に聞いて分かったことですが、神々は自分でもたいしたことはしてないと謙遜していました。上の三つのことを一回することはたいしたことではないかもしれません。しかし、あの神々は、それを一回だけしたのではないでしょう。うそを言わない神は、いつもうそは言わないのでしょう。怒らない神はいつも怒らないのでしょう。一回だけ怒らないという訳でなく、怒らない神はいつも怒らないことができたのでしょう。また困った人に乞われた神はいつも何か差し上げていたのではないかと思います。

このように考えると大きな課題のように思いますが、一回できれば、二回もできます。二回できれば三回できます。このように善行為を何回もできるようになるのです。そして、何回も繰り返して行うことで、信じられないほどの力になります。心はどんどん成長して、悟りの光りが現れるようになるのです。

私たちがなくすべき三つの煩悩は貪欲と怒りと愚かさ(無知や迷い)ですが、①うそを言わないことで、愚かさが克服できます。②怒らないことで、怒りを克服できます。③困っている人に施しをすることで、貪欲な心を克服できるのです。

この三つの課題を一つだけ行えば、神様になれますが、三つ行えばすべての煩悩を克服することになり、涅槃に至ることができるでしょう。


真実を 述べ怒らない 少しでも 求められれば 施すように(224)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_30.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_14.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_20.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年10月06日 06:31
どれもやろうと思えばできること、
体力や経済力、能力にかかわらず、
それぞれにあわせてすればいいこと。
たしかに継続するには根気がいります。
それでも、いつでもどこでもできる、
一生涯できる、する価値のある、
目標に出会えたことに感謝しています。

今日も生きとし生けるものが
しあわせでありますように。
noritarou
2012年10月06日 09:23
ワンギーサ先生、
みなさま、おはようございます。

真理を言うのは、気持ちがいい。
嘘を言うのは、気持ちが悪い。

智慧があれば、怒れません。
智慧を使って笑っちゃおう。

与えた分だけ幸せになります。
助けたあなたは神様ですよ。
あすか
2012年10月06日 09:30
どれもやろうと思えばできること、
体力や経済力、能力にかかわらず、
それぞれにあわせてすればいいこと。
たしかに継続するには根気がいります。
それでも、いつでもどこでもできる、
一生涯できる、する価値のある、
目標に出会えたことに感謝しています。

今日も生きとし生けるものが
しあわせでありますように。

追記:朝から不具合のため、
コメントできませんでした。
以前はこのようなどうしようもない
ことに対してさえ怒りでイライラし
別のことまでうまくいかなかったり、
他の方に迷惑をかけたりして
苦しみを増やしていたものです。
貪瞋癡を減らし、よりおだやかで
幸せな毎日を目指し努力します。
カエルくん
2012年10月06日 09:44
おはようございます。
求められれば施すように、という言葉が染みます。
たくさん持っているときはいいのですが、自分もわずかなものしか持たないときに、果たしてわけあうことができるだろうか…。と自問自答しました。普段から、わけあうことを習慣にしておくことが大切かな、と思いました。
ささ
2012年10月06日 22:17
こんばんは。
怒らないこと、嘘をつかないことで、ちょっとした問題を乗り越える事が出来た時、少し後で感じた喜びがありました。この喜びはかつての興奮を伴う喜びとはちょっと違う感覚。仏教を学び実践しなければ出逢えなかった感覚に思います。改めて仏教って凄いなと感じました。
二度三度と重ねていけるように、そして施しについても少しずつでも心掛けて広げていく事ができるようにつとめたいと思います。
仏法僧に帰依いたします。
ありがとうございました。
Mason
2012年10月06日 23:12
今日のダンマパダにちなんで、ぜひこの詩を紹介させてください

人の世の苦しみに泣いたおかげで
人の世の楽しみにも心から笑える
打たれて踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分る
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持ってないと人が嘲っても
みんな知っている、もっと美しい本当に美しい尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんの少しのパンがあれば上機嫌でニコニコ歩きたい

それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いつもつらくても決してひるまずに

どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてして上げられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう

朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて座っていたい

心にいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったらふるい詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけりたい

幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に今日もまたあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静かに微笑めるように
(以上、上野千里氏の遺言)
こころざし
2015年12月18日 06:09
職場でその場の雰囲気を和ませようとして、冗談の嘘を言って→それを訂正する漫才の様な事をする時があります。ですが嘘をいう事に変わりはないので、止めようと思います。
また、職場で助けを求められることが少なからずあります。その時に相手が楽をしたい・サボる姿勢が見える事があります。私が代行すればその相手の希望は叶える事が出来ます。ですがその方が体調不良という訳でもないのにさぼってしまう事は職業倫理に外れる印象を持つこともあります。
さぼらない事は地道で安定した状況をえられる道に繋がると思いますので、そのような意味で「仕事をちゃんとしようよ」と指摘する時もあります。それは(広い意味で)施しになるでしょうか。恐れ入りますが、宜しければ教えて頂けましたら幸いです。
ワンギーサ
2015年12月18日 17:56
こころざしさん、毎日コメントありがとうございます、
私は、皆さんのコメントに対して、コメントをしないようにしています。しかし、今回は質問ですから、私の考え方えを一応述べます。しかし、これが正解だと思わないでください。
参考意見として受け止めて下さい。

質問:「さぼらない事は地道で安定した状況をえられる道に繋がると思いますので、そのような意味で「仕事をちゃんとしようよ」と指摘する時もあります。それは(広い意味で)施しになるでしょうか。恐れ入りますが、宜しければ教えて頂けましたら幸いです。」

私の見解:「仕事をちゃんとしようよ」ということは、一般論として相手の人も分かっていることだと思います。改めて言う必要がないでしょう。そのように言いたい自分を観察してください。その時のあなたに怒りはありませんか。何故あなたはそのように言いたいのですか。「仕事をちゃんとしようよ」という考えにあなたは執着しているようにも思えます。最近多いうつ病の人はそのような考え方にとらわれていると言われています。必要な時は、仕事はちゃんとしなくてもよいのです。そのように注意することは広い意味でも布施になるというよりは、相手に怒りをぶつけているのではないでしょうか。