昼よるに 念を忘れず 学習し 涅槃を目指し 煩悩落とす(226)

阿羅漢であり、正自覚者であり、福運に満ちた世尊に、私は敬礼いたします。


○子供のためのダンマパダ

やる気がある時も
やる気がない時もあるために
良いことを続けることは難しい
続けるならば山をも移す


○パーリ語原文と訳語

サダー  ジャーガラマーナーナン
Sadā   jāgaramānānaṃ,
常に   目覚めている者の

アホーラッターヌスィッキナン
ahorattānusikkhinaṃ;
日夜学習する者の

ニッバーナン アディムッターナン
Nibbānaṃ   adhimuttānaṃ,
涅槃に    心を向ける者の

アッタン  ガッチャンティ アーサワー
atthaṃ   gacchanti     āsavā.
消失に   行く      煩悩は


○直訳
常に目覚めている者の
日夜学習する者の
涅槃に心を向ける者の
煩悩は消失に行く


○一口メモ
「常に目覚めている者」とは、夜も眠らないということではないのです。私たちの心は非常に速い速度で生まれては消えているのだと仏教では教えています。一つの心は一つの仕事をして消えますが、その心が消えたことを縁として次の心が生まれるのです。そうすると、昼間でも目覚めている心ばかりでなく、寝ている心があるのです。ですから、ぼんやりしている人は、眼はあいていても心は眠った心の比率が多いのです。ここで言う「常に目覚めている者」とは、起きているときは常に目覚めた心でいる人です。このような人は225番の詩でも述べたように、常に自分の行為をチェックして、他人に迷惑にならないように注意しているのです。

「日夜学習する者」とは、繰り返し、繰り返し、修行をする者という意味です。最近「繰り返す」ということを少しくどいように強調していますが、これが心を変化させる、心を成長させる重要な要因だからです。無常を理解するとはこのことを抜きに語れないと思っています。変化は繰り返しの積み重ねによって現れるのが実態なのです。無常を理解するためには自分の心の変化を観察し理解する必要がありますが、その時繰り返しの意義が分かってくるはずなのです。

自分の心を観察すれば悟れますかと言う問いに対しては、観察を休みなく繰り返せば分かるはずなのです。説明をここで止めないで続けます。心は外部刺激を受ける度に汚れますが、心を観察する度に汚れは落ちていくのです。初めは汚れと洗濯の根競べのようですが、いずれ汚れない心になるのです。

「涅槃に心を向ける者」とは、四聖諦を理解している人なのです。四聖諦を理解すということは涅槃に心を向けるということです。四聖諦を理解すれば八聖道を実践します。八聖道を実践する人は煩悩が消えていくのです。


昼よるに 念を忘れず 学習し 涅槃を目指し 煩悩落とす(226)


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200807/article_32.html
http://76263383.at.webry.info/200906/article_16.html
http://76263383.at.webry.info/201004/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


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この記事へのコメント

あすか
2012年10月08日 07:13
観察を続けると醜い心がこんなにも
あるのかとげんなりしますが、
「心を観察する度に汚れは落ちていく」
と聞いて前向きになれました。
せっかく心のおけいこをはじめたのに
怠けのために汚れてしまった状態で
死んでしまってはもったいない。

とはいえ、ちょっと焦り気味。
「強迫観念でがんばるより、
楽しくやる方が、心は早く成長する」
とスマナサーラ長老も仰っています。
明るく楽しく休みなく精進します。

いきとしいけるものが
今日もしあわせでありますように。
カエルくん
2012年10月08日 08:20
おはようございます。
最近、ちょっと怠け気味です。
そうすると、心があっという間に後退するのが分かります。
良かれとと思ってしたことが裏目に出たりするのは、精進が足りないせいかな、と思います。
ブログを読むことで気持ちを引き締めて、初心にかえりたいと思います。
noritarou
2012年10月08日 09:56
おはようございます。私なりの理解です。

今は、煩悩まみれでもいいじゃないか
自分のやりたいことが
生命みんなの望むことで
それをがんばれたなら
心を煩わせる悩みは消えているよ
てくてく
2012年10月08日 10:38
おはようございます。
今日も一口メモに勇気を頂きました。
繰り返し、繰り返し・・・。
私にとっては、この言葉は、勇気になります!
ありがとうございます。
過去の記事からも学ぶことができました。
ありがとうございます。
この喜びをすべての生命に回向いたします。
この功徳によって生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
慈悲の瞑想
2012年10月08日 14:22
怠けないためには
①きちんと理性的な不安を持つこと。
…癒しに逃げても、現実を思い知るだけです。
②瞬間を頑張ること
…まとまった時間頑張ろうとすると、妄想だけが回転して身動きが取れなくなります。
というか、まとめてやってしまおうと、欲張るからなまけてしまうのでしょう。
細分化が肝要です。
2012年10月08日 20:41
こんばんは。
涅槃に至る為に貪瞋痴を克服するにあたり、貪り・欲の克服を扱った「欲ばらないこと」スマナサーラ長老著 サンガ新書は大変参考になりました。欲の克服解決策として
①必要なもの・生きるために必要不可欠なもの

②欲しいもの・必要不可欠でないもの

に分けるというアドバイスがとても勉強になりました。

早速活用させて頂き、何か欲が起こった時に、①か②かを判断して、「少欲知足」・少ないニーズで満足するよう心をしつけたいと思います。

ささ
2012年10月08日 23:00
こんばんは。

「心は外部刺激を受ける度に汚れますが、心を観察する度に汚れは落ちていくのです。初めは汚れと洗濯の根競べのようですが、いずれ汚れない心になるのです。」

この解説に、とても励まされました。
外部刺激を受ける度に心が汚れているのを痛感していたからです。

めげずに、繰り返し繰り返し、精進していきたいと思います。
ありがとうございました。
仏法僧に帰依いたします。
こころざし
2015年12月19日 07:53
気持ちはありますが、日々立派(?)に実践出来ているかと思いますと、とてもはいとは言えないです。ですが、どのような形でも志を持って、毎日やる事は維持しています。その時の今の状況で思考・妄想が回転する度合いが違うように感じていますが、その度合いが少ない時は、やや行けているように感じる事もあります。
そして、これを続けていれば思考・妄想が出る度合いがどんどん減っていくよな印象も感じています。
出来れば「立派にやれています」と言える域までいきたいです。