釈迦牟尼は 八正道の 教示のみ 実践するのは 仏弟子たちだ(276)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
教えるのは
先生の仕事。
理解して、賢くなるのは
生徒の仕事。


○パーリ語原文と訳語

トゥンヘーヒ  キッカマータッパン
Tumhehi     kiccamātappaṃ,
汝らは実に   為すべきことを熱く為せ

アッカーターロー  タターガター
akkhātāro      tathāgatā;
教示者       如来は

パティパンナー  パモッカンティ
Paṭipannā     pamokkhanti,
実践する      解脱する

ジャーイノー  マーラバンダナー
jhāyino     mārabandhanā.
瞑想者は    悪魔の束縛から


○直訳
汝らは実に為すべきことを熱く為せ
如来は教示者
実践する瞑想者は
悪魔の束縛から解脱する


○意訳
汝らはなすべきことを熱く為せ
仏陀は八正道を教えるだけ
八正道を歩む瞑想者は
悪魔の束縛から解脱する


○一口メモ
宗教は神を信仰し、神から苦しみから救済してもらいたいと言うものです。しかし、仏教はそうではないのです。

ブッダは、苦しみをなくす方法、八正道を教えるだけなのです。苦しみをなくせるかどうかは、その方法を実践するかどうかにかかっているのです。実践しなければ苦しみはなくせません。実践すれば苦しみはなくせます。苦しみがなくならないと言っても、それはブッダの責任ではないのです。実践しない人の責任なのです。その点によく理解する必要があります。他人の責任にはできないことを自覚してください。

話しは変わりますが、自力か他力かという議論があります。宗教は一般的には神に助けてもらうというものですから、他力思想ですが、仏教はそれとは異なりました。初めから、神に助けてもらうというものではなかったのです。自分で苦しみをなくす方法を理解して、それを実践する必要があるのです。しかし、自分で理解し、実践することは怠け者にはできません。有るか無いか分からない神にでも助けてもらいたいと言う怠け者は多いのです。仏教はその影響を受けて、ブッダの死後、神のようなものに頼る大乗仏教が現れました。(しかし、禅仏教だけは少しそのあり方は少し異なります。)

そこで、仏教は自力かというと正確には少し異なるのです。なぜならば、仏教は無我を教えているからです。自我はないのですから、自力と言うものがあるのかと言うことです。それならばどういうことでしょうか?

仏教はこの問題を、苦はどのようにしてできたかとして考えます。「苦は自ら作ったものか?苦は他者が作ったものか?」ブッダに質問した人がいました。ブッダはどちらでもないと答えます。苦は原因があって生じます。原因を取り除けば苦は消えるのです。つまり自力・他力ではなく、原因・結果の関係なのです。このことに関する経典は幾つかありますが、現在口語訳されている経典を一つ紹介します。アチェーラ(経)(原始仏典Ⅱ相応部経典【第二巻】)(春秋社)56頁から60頁です。


釈迦牟尼は 八正道の 教示のみ 実践するのは 仏弟子たちだ(276)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*正しく生きる道は一つしかない ~微笑みが絶えない八正道~
 Select perfect way of living against all nonsense
http://www.j-theravada.net/howa/howa160.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_28.html
http://76263383.at.webry.info/200907/article_12.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_17.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。
そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。現在2位す。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年11月13日 09:06
おはようございます。
仏教は自力の教え、と思っていました。無我の教えなので、自力も他力もないのですね。なるほど、と思いました。
原因と結果を繰返し観察していくことが大切なのですね。

あまり良い生徒ではありませんが、自分のためと思って頑張ります。
MK
2012年11月13日 17:24
こんばんは。
結果がすぐにでないと、指導者のせいにすことはよくあります。何か悪い結果になったとき、僕も悪かったけど、あなたもあれこれして努力すべきだった、といった具合に責任のなすりあいがあることもざらです。
ですが、この詩を知った以上、悪い(幸福になれない)結果の責任は自分にある事を自覚しないとけません。かなり厳しいです(汗)。とにかく、悪い結果を生まない為にも、しっかり観察して、苦の原因を取り除く事に馴れないといけないなと思います。
才木広之
2012年11月13日 17:44
東京での移動
トイレがあれば、行っておいたほうが良い。
今は大丈夫と思うと、次はなかなかない。
今このときは、ダンマパダ、を理解するとき
二度とない時と思い、他にどう見られているか気にするよりも、自分の心に、汚れの感情が発芽しないよう、少しの変化も見逃さないぞ
あすか
2012年11月13日 21:52
こうしていくら学んでいても、
実践しないとダメ。
厳しいなと感じたこともありますが、
よく考えると当然かも。
スポーツの本をいくら読んでも
練習しなければいつまでたっても
できるようにはなりません。
心の訓練も体とおなじですね。
陸伝
2012年11月13日 22:32
皆様こんばんは。



サテ、ぼくは、
お釈迦様の説かれた実践方法を行って、一生の内に、何かを一つも得ることが出来なかったとしても、
「まあいいです」
という風に気楽に考えるようにしています(笑)


でも、三宝への親しみによって、
めちゃくちゃ信じちゃっています(笑)


あ…でもこれは、実証による確信「サッダー」ではないですよね…

サッダゥー、サッダゥー、サッダゥー_(._.)_
こころざし
2015年12月30日 07:51
おはようございます。
仏教を知る事が出来るだけでも幸いと思いますが、知ればよいというものではないと実感しています。また、護符を飾ったり加持祈祷をしてもらえば良い、という訳でもないですよね。そのような意味で真摯な方にはヒットしますが、楽を求める人には受けにくい要素があるのかなと思います(結局それでは本当の幸せは得られないと思いますが・・)
日々の中で実践をして参りたいです。
平成27年も年の瀬の今日ですが、ワンギーサ長老の厚意のお陰様で今年・私は随分と邪見が減ったように感じています。至福な事と心より感謝致します。
来年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
ワンギーサ長老・皆様の今日も素晴らしい一日となりますように。