一切の 形あるもの 無常だと 知れば心は 清らかになる(277)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
どんなに好きなペットでも、
生まれたものは
必ず死にますよ。
それは覚悟してくださいね。


○パーリ語原文と訳語

サッベー  サンカーラー  アニッチャーティ
Sabbe    saṅkhārā    aniccāti,
一切の   現象は     無常で(ある)と

ヤダー  パンニャーヤ  パッサティ
yadā    paññāya    passati;
の時    智慧で    見る

アタ   ニッビンダティ  ドゥッケー
Atha    nibbindati    dukkhe,
その時   厭う       苦を

エーサ  マッゴー  ウィスッディヤー
esa    maggo    visuddhiyā.
これが  道      浄化のため


○直訳
一切の現象は無常で(ある)と
智慧で見る時
その時苦を厭う
この道が浄化のため


○意訳
すべての現象は無常であると
智慧によって見る時
苦から厭い離れる
これは清浄への道である


○一口メモ
今日、明日、明後日で、一つの真理の無常・苦・無我という三つの様相を説明することになります。一つの真理を三方向から説明するのですが、一つの真理の説明ですから、真理を一方からからでも理解できれば、他の方向からも理解できるようになります。しかし、この真理は言葉だけでは理解できないという特徴がありますので、言葉で理解できる所まで、言葉で理解して、あとは自分の内外の現象を詳しく観察して、真理を体験すると言う実践が必要なのです。

経典に無常については多く述べられています。また、その解説も少なくないのです。スマナサーラ長老の「無常の見方」(サンガ)その圧巻です。読まれた方も多いとは思いますが、読まれてない方は是非お読みください。読後感はこれで悟れると思うほどです。また、この詩のスマナサーラ長老の説法で無常について解説されていますので、そちらも参照してください。過去三回のこの詩についてのブログ記事に、私なりの無常の説明をしました。

「すべての現象は無常である」とは、すべてのものは変化し、変化しないものはないと言うことです。しかし、変化するとはどういうことでしょうか? そのようなことはすぐ分からなければ、無常が分かると思ってはいけません。変化とは何か分からずに、見た目がすべて変わっているではないかでは理解したことにはなりません。すべてのものは変化しているのですから、ある一瞬も変化してないものはないのです。と言うことはどんな一瞬も何か固定したものがないのです。何かがあると言えるものがないのです。ということは、無常、変化するものは存在しないということです。すべてのものは無常というのならば、すべてのものは存在しないと言うことになります。どうでしょうか? 

これにすぐ答えられなければ、無常が分かったとは言えません。言葉の遊びのようになりますが、存在しているとは無常だと言うことなのです。無常だから存在しているとも言えます。ですから、すべての現象は「有る」と「無い」の矛盾として存在している、あるいは無常しているのです。頭で考えれば矛盾のように思えますが、この矛盾が真実なのです。このようなことが、言葉の遊びでなく、実感として、瞑想の中で切実にまざまざと感得した時、無常が分かったと言えるのではないでしょうか。

上述の「無常の見方」の最後にある、六感と五蘊の無常を瞑想する「無常随念」の言葉を引用しておきます。座る瞑想の終わりに何度か念じて心に刻みこむとよいと思います。

眼は無常です。
眼に触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
眼識は無常です。

耳は無常です。
耳に触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
耳識は無常です。

鼻は無常です。
鼻に触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
鼻識は無常です。

舌は無常です。
舌に触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
舌識は無常です。

身は無常です。
身に触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
身識は無常です。

意無常です。
意触れること(蝕)は無常です。
触れることにより生じる感覚(受)は無常です。
意識は無常です。

色蘊は無常です。
受蘊は無常です。
想蘊は無常です。
行蘊は無常です。
識蘊は無常です。


一切の 形あるもの 無常だと 知れば心は 清らかになる(277)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*無常とは最高の福音 ~無常に逆らうことが悩み苦しみの原因です~
 Discovery of impermanence is the key to happiness
http://www.j-theravada.net/howa/howa161.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_29.html
http://76263383.at.webry.info/200907/article_13.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_18.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

才木広之
2012年11月14日 10:10
以下のようなことでしょうか。
この文字が。無常で生滅変化しているから、こうして認識できている。
この私も生滅変化しているから、認識能力がある。
いつも違う自分が、いつも違うものを認識している。
一人静かなところで、まずは、冥想で、自分の生滅変化に気づくことがある。ということなのでしょうか。
あすか
2012年11月14日 11:54
無常随念、ありがとうございます。
早速となえてみます。
てくてく
2012年11月14日 15:43
苦しみを生むこころの働き無くそうと
四聖諦あり
八聖道あり
今日こそ努め励むなり
タッタ タッタ ヴィパッサティ

字余り…。

m(_ _)m

カエルくん
2012年11月14日 19:29
こんばんは。
十代のころ絶対に変わらない確かな物を探していたことを思い出しました。
そんなものはないのですから見つかるはずはなく、そうこうしているうちにいっしょに住んでいた祖母が亡くなり、人は「絶対」最後に死ぬんだ、確かなことはそれだけだ、ということに気付き愕然としました。
死んだらあの世で祖母に会おうと思っていたので、テーラワーダ仏教に出逢い、そんな「あの世」なんてないと学んだときはショックでしたが(^^;
一瞬一瞬、変化消滅し続ける現象をヴィパッサナーによって洞察し、無常を理解できるようになりたいです。
ささ
2012年11月14日 23:47
こんばんは。
改めて「無常の見方」を読んでみます。

MK
2012年11月15日 00:01
こんばんは。
自然の物事なら、なんとなく変化している事を理屈で納得できます。一分一秒、身体は老化し、物質は劣化すると納得できます。ですが、人工的な、機械的な物事の場合、無常を感じることが中々出来ません。パソコンから流れる音楽はいつでも同じだし、映像も、物理的には同じなんじゃないかと思ってしまいます。無常だから聞けるし見れる訳ですが…。でも、データが劣化するとは考えにくいのです。物質的にパソコンが壊れたりスピーカーが壊れたとしても、データ自体は理屈的には永久に保存できてしまうのではないでしょうか。
これは諸法無我ということに当てはまるのでしょうか?それとも、単に観察不足・理解不足なのでしょうか?
もっと観察眼を磨いて、真理に近づきたいです。
こころざし
2015年12月30日 13:17
常に変化していく事、大事にしている長老の本や、肉体を見れば実感する面があります。特に大切に保管していても経年劣化は避けられない事は自分にとっては衝撃な事実でした。
本を並べればよいと言う訳ではありませんので、大切にしながらもしっかりと学び精進し、そして成長して参りたいです