一切の 現象が苦と 知るならば 苦から離れて 心清らか(278)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
子供でも生きることは
楽しいことばかりだと
思わないように
苦しいことも多いよ


○パーリ語原文と訳語

サッベー  サンカーラー ドゥッカーティ
Sabbe    saṅkhārā   dukkhāti,
一切の   現象は    苦で(ある)と

ヤダー  パンニャーヤ  パッサティ
yadā   paññāya     passati;
の時   智慧で     見る

アタ    ニッビンダティ  ドゥッケー
Atha    nibbindati     dukkhe,
その時   厭(いと)う   苦を

エーサ  マッゴー  ウィスッディヤー
esa    maggo    visuddhiyā.
これが  道     浄化のための


○直訳
一切の現象は苦で(ある)と
智慧で見る時
その時苦を厭(いと)う
これが浄化のための道


○意訳
すべての現象は苦だと
智慧によって見る時
苦を厭(いと)い離れる
これは清浄への道である


○一口メモ
今日は、無常・苦・無我の「苦」について述べることになります。

苦とは無常であるもの、変化するもののある一点での状態であります。そこには「存在するものがある」と「存在するものがない」という矛盾(対立)があります。それが変化すると言うことです。この矛盾(対立)が苦なのです。ですから無常があるとき苦があるのです。すべての現象は無常ならば、すべての現象は苦なのです。もう少し具体的に述べれば、そうあってほしいものが変われば苦なのです。若さが老いれば苦です。健康な体が病気になれば苦です。生が死に変われば苦です。

矛盾とは相反するものの対立です。対立が苦なのです。例を挙げましょう。生命は細胞から構成されています。細胞は吸収と排泄をして生きています。吸収と排泄という対立した存在として生きているのです。吸収がなければ死にますし、排泄がなければ死にます。

また、細胞は細胞分裂をし、新しい細胞が生まれ、一方古い細胞は死んでいるのです。ですから生命が生きているということは生まれながら、死んでいるのです。ですから、私は生きていると言ってもよいですが、私は死につつあると言ってもいいのです。死が苦あるというのならば、生も苦なのです。生老病死は苦であるというのは、それぞれが矛盾(対立)した存在だからです。

ただ、この事実をよく理解して受け入れられれば、特に苦しいことではないのです。反対にこの事実を理解できずに、反発するとそれだけで、苦しみは増大します。また、八正道という存在の矛盾を根本から滅尽する道があることも知る必要があります。それはすべての苦(矛盾)の滅尽の道です。その到達点は涅槃です。涅槃に至れば矛盾はありません。苦はありません。すべての苦をなくすためには涅槃を目指すべきなのです。

苦についていろいろ解説書はありますが、スマナサーラ長老著「苦しみなくすこと」(サンガ新書)があります。この本は「苦の見方」についていろいろ書いてあります。また「自分に合った見方一つだけ選べばいい」とも書いてありますから、この本を参考に自分に合った苦の見方を一つ選べばよいと思います。私の今日書いた苦は一つの見方です。


一切の 現象が苦と 知るならば 苦から離れて 心清らか(278)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する説法
*生命の創造者は苦である ~苦を知る人こそ苦を乗り越えられる~
 Suffering is the producer and administrator of life.
http://www.j-theravada.net/howa/howa162.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
http://76263383.at.webry.info/200808/article_30.html
http://76263383.at.webry.info/200907/article_14.html
http://76263383.at.webry.info/201005/article_19.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎本日11月15日(木)の夜の自主瞑想会はお休みです。

◎11月17日(土)の夜、および11月18日(日)の朝の自主瞑想会はお休みです。
ワンギーサが八王子市の正山寺のカティナ衣法要に参加するため。

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、自主瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。
そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。現在2位す。

この記事へのコメント

才木広之
2012年11月15日 08:54
苦が消えていくとき喜びを感ます。
苦が段階的に増え続ければ、嫌になります。
依存、執着、固執、と言うのでしょうか。

善に至れば、苦が消えていくときの喜びの方ばかりに、気が行っているのでしょうか。

善であろうが、悪であろうが、何も関係なく。すべては消え行くもの、しかも瞬間に、

それを本当に体験、実感したなら、初めて苦しみの原因を理解したことになるのでしょうか。
あすか
2012年11月15日 15:39
日々常に気づきを忘れずにいると、
同じ現象でも時に苦と感じたり、
そうでなかったり、
その現象もまた変化していく。
からくりは面白いものです。

仏道、初心者マークながら、
それなりにいろいろ発見もあり、
苦をも含めて興味深く
観察を楽しんでいます。
こころざし
2015年12月30日 13:22
日常を少し冷静にみれば、苦の連続でそれを避けるために次の行動を起こしていると感じます。是非その苦を乗り越えた、涅槃を目指したいです。ですが現時点ではそれはまだまだ・・ですので、まずは今目の前の事が苦しくても改めてそれに吃驚しないように、しっかりサティを行っていきたいです。