欲の森 恐怖の森を 切り倒し 欲望のない涅槃者であれ(283)及び(284)

子供のためのダンマパダ。
・・・
心には欲という木が生えています。
木は何本もありますから森です。
心を畑にするには木を切って
広い空き地を作ります。

どんな木でしょう?
男の木は女好き。
でもあんまり好きになると、
離れられなくなるよ。


○パーリ語原文と訳語

ワナン    チンダタ   マー  ルッカン
Vanaṃ    chindatha  mā    rukkhaṃ,
森(欲)を  切れ    ではない  木を

ワナトー  ジャーヤテー  バヤン
vanato    jāyate      bhayaṃ;
欲から  生まれる     恐怖が

チェートゥワー  ワナンチャ  ワナタンチャ
Chetvā      vanañca    vanathañca,
切って      森(欲)も  草むら(欲)も

ニッバナー    ホータ  ビッカヴォー
nibbanā      hotha  bhikkhavo.
欲のない(涅槃) あれ  比丘たちよ(283)


ヤーワ  ヒ   ワナトー     ナ   チッジャティ
Yāva   hi    vanatho     na    chijjati,
限り   実に   草むら(欲)が ない  切られ

アヌマットーピ   ナラッサ   ナーリス
aṇumattopi     narassa    nārisu;
微量 でも     男の     女に対する

パティバッダマノーワ    ターワ    ソー
Paṭibaddhamanova      tāva     so,
心が束縛された者のようで  それだけで  彼は

ワッチョー  キーラパコーワ  マータリ
vaccho     khīrapakova   mātari.
子牛が    乳を飲むように  母において(284)


○直訳
森(欲)を切れ、木をではない
森(欲)から恐怖が生まれる
森(欲)も草むら(微欲)も切って
欲のない(涅槃)者あれ、比丘たちよ(283)

男の女に対する(欲)が微量でも
実に草むら(欲)が切られない限り
子牛がははにおいて乳をのむように
それだけで彼は心が束縛された者のようで(ある)(284)


○意訳
森(欲)を切り倒せ、木ではない
森(欲)から恐怖が生まれる
森(欲)も草むら(微欲)も切り倒し
比丘たちよ、欲のない(涅槃)者であれ(283)

欲の草むらが切り取られない限り
女への男の欲が少しでもあれば
乳を飲む子牛が母を慕うように
男は女に執着する (284)


○一口メモ
考えることの嫌いな人は面白くないかもしれませんが、この詩はいろいろ考えることのある面白いのです。

283番の始めの一行目は、「森を切り倒せ、木ではない」です。木を切らないで、どうやって森を切り倒せるのかと思うでしょう。お釈迦様は何を言っているのか思うでしょう。お釈迦様は無駄話しはしませんから、人間が幸福になる道、修行について語っているのです。森は例えです。森とはいろいろな欲のかたまりを意味しているのです。そのように考えなくてはいけません。ところが面白いことに、パーリ語の森(vana)には欲という意味もあるのです。森と木で例え話しで話しているようで、例え話ではないような話なのです。もう少し深読みすれば、一本の切るだけではいけない、すべての木を切って森を切り倒すように、すべての欲望をなくせと言っているようにも思えます。

二行目の「森から恐怖が生まれる」は、実際に森は恐ろしい所なのです。そのように欲は人間を不幸に導く恐ろしいものであることを述べています。

三行目、四行目「森(欲)も草むら(微欲)も切り倒し、比丘たちよ、欲のない(涅槃)者であれ」は大きな煩悩も小さな煩悩もすべてなくせば、煩悩のない、涅槃に達したものとなる。そのようになれ」ブッダは言われています。

次の284番の詩は、森の草むらのように煩悩が少しでも残っていれば執着が残ることを教えています。それを母牛の乳にしたう子牛を例えて、男に女に対する性欲が少しでもあれば、執着が残ることを示しています。煩悩は完全にすべてなくさなければ涅槃には至らないのです。


欲の森 恐怖の森を 切り倒し 欲望のない 涅槃者であれ(283)

少しでも 性欲あれば 男らは 母牛慕う 子牛のようだ (284) 


○この詩に関するスマナサーラ長老の説法
*樹を残し森を伐る方法 ~組合をつくるから煩悩は怖い~
http://www.j-theravada.net/howa/howa167.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*283,284乳を飲む子牛が母をしたうように男は女に執着する
http://76263383.at.webry.info/201005/article_24.html

*欲の森恐怖の森を切り倒し欲望のない涅槃者であれ(283、284)
http://76263383.at.webry.info/200907/article_19.html

* 恐怖が生まれる欲望の森ニッバーナのため切り倒せ(283)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_4.html
 
* 解脱するまで性欲あれば男は女に御執着(284)
http://76263383.at.webry.info/200809/article_5.html



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

あすか
2012年11月20日 11:36
まだまだジャングルです。
しかも、ツタも巻きつき、
下草もぼ~ぼ~。
とっても、切っても、次々と
のびてきますががんばります。^^;
noritarou
2012年11月20日 22:52
一本の木を切ろうとすると、執着になりそうな気がします。
森を切ろうとするのは、清らかな心ですね。
才木広之
2012年11月21日 11:58
私の一番の執着は、
タバコ(愚かな私の存在を正当化する行為)
異性に対する甘えです。(私の愚かさも認めてほしい)
この二本の木が隣り合わせで生えていて
片方劣れば、もう一方が強くなります

理由はまったく思いつきませんが、
両方切り倒してやるぞといつも願っていますが
なかなかかないません。自分なりには真剣まじめなつもりでいます。

まったくに情けないです

このような行為を行うぞと決意した記憶はなく、
いつしか執着、固執にまで至りそうです。

自分で決意するしかないと思います

幸せでありますように



SRKWブッダ
2014年08月17日 00:47
おそらく意外だろうが、女性はしばしば善知識(化身)となる。釈尊が覚ったときもそうだったし、私(=SRKWブッダ)が発心したときもそうであった。

この事実は、女性が覚り易いと主張するものとはならないが、──むしろその反対なのだが──ある場合には女性の発する言葉に注視するべきことを示唆している。

したがって、女性を情欲の対象と見ている間は、時として女性の口から発せられる言葉に法の句(善知識)が含まれ得ることを承知することは難しいだろう。

修行者は、女性が発する言葉を軽んじるな。ただし、女性を安直に信用してはならない。女性は、しばしば死の先触れとなるからである。

***
こころざし
2016年01月01日 06:59
魅力的な異性を見ると、容易に性欲的なものが出ます。ですが先月よりそれを助長するような媒体との接点を立っている事と、この魅力的な女性も老衰しその後・・とみると、性欲に踊らされる自分を感じ、欲が抑えられる面があります。
煩悩を根こそぎ断つ域とは程遠い自分ですが、その域になれるように目指したいです。