恥ずべきを 恥じることなく 恥なきを 恥とする者 地獄に相当(316)及び(317)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
悪いことをすることを恥と思わず、
善いことをすることを恥だと思う人は
悪いことをするようになり、
善いことをしないようになります。
この人はきっと不幸になるでしょう。
・・・
悪いことをすることを危険だと思わず、
善いことをすることを危険だと思う人は
悪いことをするようになり、
善いことをしないようになります。
この人はきっと不幸になるでしょう。


○パーリ語原文と訳語

アラッジターイェー    ラッジャンティ
Alajjitāye         lajjanti,
恥じるべきでないことで  恥じる

ラッジターイェー  ナ   ラッジャレー
lajjitāye       na   lajjare;
恥じるべきことで  ない  恥じ

ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する

サッター    ガッチャンティ  ドゥッガティン
sattā      gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは   行く       地獄に(316)

アバイェー        バヤダッスィノー
Abhaye          bhayadassino,
恐れるべきでないことで  恐れと見る

バイェー      チャーバヤダッスィノー
bhaye        cābhayadassino;
恐れるべきことで  そして 恐れと見ない

ミッチャーディッティサマーダーナー
Micchādiṭṭhisamādānā,
邪見を   保持する

サッター   ガッチャンティ  ドゥッガティン
sattā     gacchanti     duggatiṃ.
衆生たちは  行く       地獄に(317)


○直訳
恥じるべきでないことで恥じる。
恥じるべきことで恥じない
邪見を保持する
衆生たちは地獄に行く(316)。        

恐れるべきでないことで恐れと見る。
そして恐れるべきことで恐れと見ない
邪見を保持する
衆生たちは地獄に行く(317)。        


○意訳
恥じるべきでないことを恥じ、
恥じるべきことを恥じない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く(316)

恐れるべきでないことを恐れ
恐れるべきことを恐れない
この邪見を持つことによって
これらの衆生は地獄に行く(317)


○一口メモ
今回のテーマは「恥じ」と「恐れ」です。この二つは私には苦手なテーマです。

人はそれぞれ、明確ではなくても主義主張と言うものがあります。私は若い頃そして長い間、恥ずかしいという気持ちで自分の主義主張を曲げてはいけない。恐れで主義主張を下してはいけない。それは卑怯者だと思っていたのです。ですから、恥じや恐れは私にとっては克服すべき課題だったのです。

論語や孟子にある次のような言葉の影響だと思います。「内に省みてやましからざれば、それ何をか憂え何をかおそれん。」あるいは孟子の「自ら省みてやましからざれば、千万人と雖も吾行かん」などの言葉によっていたのだと思います。恥じてはいけない、恐れてはいけないと思っていたのでした。実はこの言葉の誤解もあったと思います。この言葉では「内に省みてやましからざれば」という部分が大切なのです。恥じてはいけない、恐れてはいけないと言っているわけではありません。

仏教では、恥じ(慚:ざん=悪を恥じること)と恐れ(愧:き=悪を恐れること)を道徳を守り、社会の秩序を守る二つの大切な心の要素であると教えています。

ですから、何を恥じるのか、何を恐れるのかは重大な問題なのです。恥じる対象、恐れる対象を間違えると大変なことになるのです。

恥じるべきこと、恐れるべきことは、悪行為です。悪行為をすることは恥ずかしい、自分の善い意味でプライドが許さないということです。また悪行為をすることは、他人から非難されるのが恐ろしい、法律で罰せられるだろうと恐ろしくなる、或は悪行為の結果として地獄に行くだろうと恐ろしくなるということです。このような心の要素が悪行為をさせないのです。そして、社会の秩序を守るのです。

ですから、悪を恥じる、悪を恐れるということは大切なことであり、そのような心は育てなければいけないのです。悪を恥じない、悪を恐れないという態度は羞恥心のない、無智、無明の野蛮人の態度であり、智慧のある人々の態度ではないと思わなければいけません。
若い時、厚顔無恥な無鉄砲な態度に憧れたりする時期があってもそれは、すぐ卒業すべきなのです。

追伸:言い足りないことがありますので付け加えます。若い時の恥じと恐れを無視する態度によって、私は自我を守っていたのです。回りの人々を気にして、自我が押しつぶされるのを嫌がっていたのです。悪を恥じる、悪を恐れる生き方は、自我を捨てる生き方なのですが、当時の私はそれを受け入れることはできなかったのです。自我の主張が我がままで、他人の迷惑であるならば、自我の主張を止めることが進むべき方向です。それは嫌だったのです。今も恥じと恐れに対する苦手意識はその考え方の残りかすでしょう。


恥ずべきを 恥じることなく 恥なきを 恥とする者 地獄に相当(316)

恐れなきを 恐れありとし 恐れありを 恐れなしとは 地獄に相当(317)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*恥と恐れ ~世界の平和を保つ二つの心理~
http://www.j-theravada.net/howa/howa190.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*316.317.恥ずべきでないことを恥じ、恥ずべきものに恥じない
http://76263383.at.webry.info/201006/article_18.html

*恥ずべきを恥じることなく恥なきを恥とする者地獄に相当
http://76263383.at.webry.info/200908/article_11.html

*恥じるべきこと恥なしと思う邪見の人は地獄行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_2.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

あすか
2012年12月19日 19:30
恐れるのは弱い者の臆病さ、
と以前はひとからげに考えていましたが、
恐れる対象、内容によるのですね。
悪を恥じること、恐れることは
否定するようなことではないとのこと。
ちょっと安心しました。
Mason
2012年12月20日 17:53
こんにちは
以前に掲載された「金が降っても 満足しない 欲望は 少楽にして 苦痛だけだよ(186)」を当方のブログ記事に引用させていただきました。先月、忙しい時期だったので下書きのままを掲載してたのですが、今日、編集しましたのでお礼とお知らせ申上げます

http://americanobotsuraku.blog132.fc2.com/blog-entry-69.html
『拝啓 ギャングストーカー犯罪者の皆様』
~カリフォルニアからの伝言 "Dear COINTELPRO Criminals"

なお上記に掲載の句「恥ずべきを 恥じることなく 恥なきを 恥とする者 地獄」は同じく当方の最新記事「Emotions and Wisdom」でも採り上げましたので、よかったら見てやってください
http://americanobotsuraku.blog132.fc2.com/blog-entry-75.html
こころざし
2016年01月10日 20:36
自我・エゴを元に生きていると、悪行為という事に気づかない・無明の状態で過ちを犯す可能性を感じます。
悪行為をする事を恥ずかしいと心から思い、そして悪を恐れ・決してやらない自分になれるように精進したいです。