戦場で 弓で打たれた 象のよう 誹謗する人 私は耐える(320)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
ぞうさんは大きいね。
やさしい目をしているね。
だけど、がまんつよいだね。
だから泣かないんだね。


○パーリ語原文と訳語

アハン  ナーゴーワ   サンガーメー
Ahaṃ   nāgova     saṅgāme,
私は   象のように   戦場で

チャーパトー  パティタン   サラン
cāpato      patitaṃ    saraṃ;
弓から     放たれた    矢に

アティワーキャン   ティティッキッサン
Ativākyaṃ      titikkhissaṃ,
非難を        耐え忍ぶ

ドゥッスィーロー  ヒ    バフッジャノー
dussīlo       hi     bahujjano.
不道徳      なぜなら  多くの人々は


○直訳
私は象が戦場で
弓から放たれた矢に
耐え忍ぶように非難を
なぜなら、多くの人々は不道徳(だから)


○意訳
私は象が戦場で
弓から放たれた矢を耐えるように
非難を耐え忍ぶ
多くの人々は不道徳だから


○一口メモ
この詩から「第23 象の章」になります。この章は象に象徴される忍耐などの事柄がテーマになります。

さて、この詩の因縁物語は、絶世の美女マーガンディヤーの父親がブッダに会ったとき、その人柄と清らかさに感動して、娘と結婚してくださいと頼みました。しかし、ブッダは、結婚する意志はないと断りました。この時のブッダの説法によりこの両親は不還果に悟りました。しかし、娘マーガンディヤーは自分の美貌が侮辱されたと怒り、ブッダに復讐を誓ったのでした。その後彼女は王の寵愛を受ける王妃になりました。

ある日、ブッダがこの町に来ることを知った彼女は、多くの人々を金で雇い、ブッダの一行に「泥棒」「馬鹿」「地獄に行け」などのひどい罵声、誹謗を浴びせかけさせました。連日の誹謗に閉口したお供のアーナンダはブッダに別の町に行くことを進言しました。しかし、ブッダは別の町に行っても同じように誹謗されるだろう。この町に留まり、ここで問題を解決した方がよいと答えられ、今回の詩「私は象が戦場で、弓から放たれた矢を耐えるように、非難を耐え忍ぶ。多くの人々は不道徳だから。」と説かれました。

この詩の因縁物語では、ある出来事に対するブッダの態度すなわち「私は、非難を耐え忍ぶ。多くの人々は不道徳だから。」を示していますが、今回は掲載できないスマナサーラ長老の解説によると、当時のインドでは、ブッダの教えは革命的な教えであり、障害だらけの伝道活動であり、凶暴なライバルたちとの孤独な戦いだったと述べられています。

これは、スマナサーラ長老が、日本に来て初期仏教の伝道活動始められた時の状況と似ているのではないかとも思いました。日本は仏教国と言われていますが、実際には仏教はあまり受け入れてはなく、さらに本物の仏教、本物の真理は受け入れたくない人々、「多くの人々は不道徳だから、真理の伝道は避難されると言うのが実情のように思います。ですから本物を教える人は、当時のインドと同じように、非難を耐え忍ばなければならないのです。

そのことは別に、仏教の実践にとって、忍耐ということは非常に重要な要素です。忍耐することなしには修行はできません。仏教の修行は中道(八正道)で、苦行は否定していますが、無明、渇愛を克服する道は、簡単なものではなく、ある意味苦行をする以上に困難な道なのです。忍耐つよい自己(自我)との戦いを続けなければならないのです。

また、忍耐の意味について、「幸せに生きる~ブッダの智慧から学ぶ」と言うあんさんのブログの記事を参考にしてください。但しパーリ語がこの詩ではtitikkhissaṃ ですが、あんさんの記事ではkhanti です。あんさん宜しくお願いします。
http://77713696.at.webry.info/201207/article_6.html


戦場で 弓で打たれた 象のよう 誹謗する人 私は耐える(320)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
残念ながらまだ、この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにアップされていません。
2011年3月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。

○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*320.~322.あたかも象が戦場で矢より放つ矢に耐える如く
http://76263383.at.webry.info/201006/article_20.html

*戦場で弓で打たれた象のよう誹謗する人私は耐える(320)
http://76263383.at.webry.info/200908/article_13.html

* 誹謗する人道徳ない人私は象のように耐え忍ぶ(320)
http://76263383.at.webry.info/200810/article_4.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

◎このブログ記事に共感された方は右上の仏教バナーを一日一回クリックして下さい。
そうすると、仏教ブログのランキングが上昇します。現在2位す。

この記事へのコメント

カエルくん
2012年12月21日 18:40
こんばんは。
職場に陰口を言う人がいて、陰湿だなあと思っていましたが、人は悪口を言うもの、と割り切ってしまうのが正解ということでしょうか。
ぞうのように優しく、かつ、忍耐強くなりたいのですが、なかなかむずかしいです(^^;
苦手な人にはひょうきんなあだ名をつけて、心の中でこそっと呼びます。そうすると、ちょっとだけ楽しくなります。
あすか
2012年12月21日 21:21
「忍耐」の意味の再確認、
よい機会になりました。
あんさんのブログもまた
大変参考になりました。
ありがとうございます。

我慢我慢の苦行ではなく、
常に穏やかな心で忍耐。
前向きに精進できそうです。^^
ぱん
2012年12月22日 09:27
長老の弟子は多くても、
出家を許された弟子はそれほど多くはありません。
そのスマナサーラ長老から出家を許されたワンギーサ師は、
長老が初期仏教の伝道活動をはじめられた時の苦労、
私は知りませんが、その仕事に助太刀をしようと
馳せ参じた人々の中でも、筆頭格だと思います。

そういう方が書くと、初期仏教の伝来が、
歴史的な、鑑真和上の来日のように
歴史の教科書に乗るような、
そういうくらいの出来事だったのだろうなと、
感じることができました。

先人たちの苦労のおかげで、
日本で初期仏教を学べることに、
感謝いたします。

生きとし生けるものが幸せでありますように
こころざし
2016年01月11日 20:04
本文の「無明、渇愛を克服する道は、簡単なものではなく・・困難な道なのです」を拝見し、その状態で凝り固まっている様な自分ですので、心より共感致しました。
そして、こちらで学ばせて頂いているお陰様で、それに気が付く機会を頂けています。心より感謝に思います。
忍耐強く自己(自我)を減らせるように・無くせるように精進したいです。