なぜならば それに乗っても 涅槃には いけないけれど 自制で行ける(323)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
涅槃はどこにあるの?
新幹線でも飛行機でも行けないところ。
こころの汚れを落として、
智慧ができれば行けるところです。


○パーリ語原文と訳語

ナ   ヒ     エーテーヒ   ヤーネーヒ
Na   hi      etehi      yānehi,
ない なぜなら   これらの    乗物によって

ガッチェッヤ  アガタン  ディサン
gaccheyya    agataṃ   disaṃ;
行け      未踏の   地方に

ヤター タナー    スダンテーナ
Yathā'  ttanā    sudantena,
ように 自分を   よく訓練して

ダントー    ダンテーナ  ガッチャティ
danto      dantena    gacchati.
訓練した人が  訓練で    到達する


○直訳
なぜならこれらの乗り物によって
未踏の地方(涅槃)に行けない(から)
自分をよく訓練して
訓練で訓練し人が到達するように


○意訳
なぜならこれらの乗り物では
未到の涅槃には行けない(が)、
自分をよく訓練した人は
涅槃に到達するからです。


○一口メモ
今回は、昨日の宿題に答えることになります。

訓練されたラバたちは優れている
シンドゥ産の馬たちも優れている
象や巨象たちも優れている
それよりも自分を訓練した人は優れている

なぜ訓練されたラバ、馬、象よりも「自分を訓練した人」は優れているのか?
その答えは「なぜならこれらの乗り物では未到の涅槃には行けないが、自分をよく訓練した人は涅槃に到達するからです。」ということになります。

仏教の最高の目的は涅槃です。ですから涅槃に行けない乗り物よりも、涅槃に行ける乗り物(方法)は優れていると言うのです。

ここで「涅槃」と「自分をよく訓練すること」について少し説明します。

涅槃については言葉で表せない境地ですが、ブッダが涅槃について言葉で表現したぎりぎり所が述べられた四つのお経があります。柴田さんのブログ「パーリ経典」からの引用です。意味内容は理解しにくいのですが、何度も読めばなんとなく概略が分かると思います。
http://d.hatena.ne.jp/pali/21111115/p1

1.第一の「涅槃に関係したお経」 : 「比丘たちよ、このような状態があります、そこには地も、水も、火も、風も、空無辺処も、識無辺処も、無所有処も、非想非非想処も、この世も、あの世も、月と太陽の両者もありません。さらに、また、比丘たちよ、私は[誰かが、そこから]来ることを、[そこへ]行くことを、[そこに]住むことを、[そこで]死ぬことを、生まれ変わることを説きません。これ(涅槃)は、[何ものにも]依存せず、[何ものにも]作用せず、[つまり縁起の]対象になりません。これ(涅槃)こそが苦の終り(滅)です」と。

2.第二の「涅槃に関係したお経」 : 「向かう方向のないもの(涅槃)は見難いということで、実に真理は見易くないのです。しかし、知者であり見者である者にとって、渇愛は見通され、[無明など]何ものも残っていないのです」と。

3.第三の「涅槃に関係したお経」 : 「比丘たちよ、[そこでは、新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法も受けません。比丘たちよ、もし、[新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法を受けないということが無いならば、この世で、[新しく]生まれるもの、[すでに]存在しているもの、働き(活動)、縁起の法から解脱するということは分からないでしょう。比丘たちよ、実に、[そこでは、新しく]生まれるものがなく、[すでに]存在しているものもなく、働き(活動)なく、縁起の法も受けることもないので、それを体験すれば、[この世で、新しく]生まれるもの、[すでに]存在しているもの、働き(活動)、縁起の法から解脱したということが分かるのです」と。

4.第四の「涅槃に関係したお経」 : 「依存する者に動揺があり、依存しない者に動揺はない。動揺のないところに軽安があり、軽安のあるところに縛り付け(定め)はない。縛り付け(定め)のないところに行き来はなく、行き来のないところに死生はない。死生のないところにこの世もなくあの世もなく両者の中間もない。これ(涅槃)こそが苦の終り(滅)です」と。

「自分をよく訓練すること」については、仏教では7種類37項目の修行方法があります。三十七菩提分法と言います。これらはすべて涅槃に導く修行方法なのです。ここでは項目のみを挙げておきます。仏教辞典を調べれば分かりますし、このブログでも幾つか説明してあります。ブログ内検索で調べれば分かります。

1.四念処:身念処、受念処、心念処、法念処
2.四正勤:律儀勤、断勤、修勤、随護勤
3.四如意足:欲如意足、精進如意足、心如意足、思惟如意足
4.五根:信、精進、念、定、慧(五力と同じ表現だが、五つの能力という意味)
5.五力:信、精進、念、定、慧(五根と同じ表現だが、五つの高度の力という意味)
6.七覚支:念覚支、択法覚支、精進覚支、喜覚支、軽安覚支、定覚支、捨覚支
7.八正道:正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定


なぜならば それに乗っても 涅槃には いけないけれど 自制で行ける(323)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
残念ながらまだ、この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにアップされていません。
2011年4月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*323.実にこれらの乗り物では未踏の涅槃には行けないから
http://76263383.at.webry.info/201006/article_21.html

*なぜならばそれに乗っても涅槃にいけない自制で行ける
http://76263383.at.webry.info/200908/article_15.html

* 乗り物でなく、自己の訓練が未到の涅槃に連れて行く
http://76263383.at.webry.info/200810/article_6.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

カエルくん
2012年12月24日 20:33
こんばんは。
どんなによく調教された象に乗っても、涅槃には行けない。
答えを聞けばなるほど、と思うのに昨日は一日考えても分かりませんでした。しかも、今日の詩は過去に読んだことがあるのにです(^^;

ところで今日はクリスマスイヴですね。町を歩いたら神様の宣伝をしている人たちに会いました。一昨日見た映画、レ・ミゼラブルは神様の愛に関するお話でしたし…。(神の愛を慈悲という言葉に置き換えてみると、なかなか良い映画でした)。親友はクリスチャンで、教会に行くんだとはりきっているし。
仏教文化もこんなふうに浸透して盛り上がったらいいのになあ、と思いました。花祭りよ、甘茶飲まなくちゃ、とか?成道会よ、何着ようかしら、とか?うーん、想像しにくい。
そんなことを考えながら、帰宅しました。
てくてく
2012年12月25日 08:18
おはようございます。今日は、一口メモに習い、過去のブログ記事やリンク先のブログを拝見しました。三十七項目すべてを学びきれておりませんが、最初の記事から順番に記事とコメントを拝見することで、とても勉強になりました。たくさんの先生方、先輩方から学ぶことが出来てとてもありがたいです。学びきれなかった残りも諦めずに勉強します。
今ある命はすべての生命のおかげです。
生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
あすか
2012年12月25日 10:11
涅槃、言葉にできないもどかしさ。
おだやかそうな感じはします。^^;

>カエルくん
仰るとおりですね。祖母がいた頃は
花祭り等も普通に行事の一つだったのに。

最近は様々なお坊様方の積極的な
活動もあるようで期待しています。
仏教のイベントも浸透して
みんなが幸せになれるといいですね。
^^
こころざし
2016年01月12日 06:21
涅槃の実際は知らない訳ですが、涅槃を目指すと良い理由的なものは、本文から少しつかめたように感じます。
智慧を持てるように努めながら、実際に涅槃に至れるように気持ちをもって精進したいです。