賢明な 友を得るなら それにより 心にかなう 生き方できる(328)及び(329)(330)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
友だちや動物に親切で、
うそをつかない友ならば、
大切な友として、
仲良くするように。
・・・
友だちや動物をいじめ、
うそをつく友ならば、
さける友として、
付き合わないように。
・・・
いじわるでうそをつく友と
付き合うよりは、
独りで遊び、
独りで勉強する方がよい。


○パーリ語原文と訳語

328.
サチェー  ラベータ  ニパカン   サハーヤン
Sace    labhetha   nipakaṃ   sahāyaṃ,
もし    得るなら  賢い     友を

サッディン  チャラン  サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ    caraṃ    sādhuvihāridhīraṃ;
共に     歩む    正しく生活する賢者を

アビブッヤ   サッバーニ  パリッサヤーニ
Abhibhuyya   sabbāni    parissayāni,
克服する    一切の    困難を

チャレッヤ   テーナッタマノー  サティーマー
careyya     tenattamano     satīmā.
歩むように   心にかなう     念のある者として


329.
ノー  チェー  ラベータ   ニパカン  サハーヤン
No   ce     labhetha   nipakaṃ   sahāyaṃ,
ない  もし   得 なら     賢い    友を

サッディン  チャラン  サードゥヴィハーリディーラン
saddhiṃ    caraṃ    sādhuvihāridhīraṃ;
共に     歩む    正しい生活する賢者を

ラージャーワ  ラッタン  ヴィジタン パハーヤ
Rājāva     raṭṭhaṃ   vijitaṃ    pahāya,
王のように   王国を   征服した  捨てた

エーコー  チャレー  マータンガランニェーワ  ナーゴー
eko     care     mātaṅgaraññeva      nāgo.
独り    行け    林中の象 ように      象

330.
エーカッサ  チャリタン  セッヨー
Ekassa    caritaṃ    seyyo,
独りの    歩みが  より善い
   
ナッティ  バーレー  サハーヤター
natthi    bāle      sahāyatā;
ない    愚者の中に   親交は

エーコー  チャレー  ナ  チャ  パーパーニ  カイラー
Eko     care    na   ca    pāpāni     kayirā,
独り    行け    な  そして  諸悪を     なす

アッポッスッコー  マータンガランニェーワ  ナーゴー
appossukko     mātaṅgaraññeva      nāgo.
少欲の      林中の象 ように     象


○直訳
もし賢い友を
共に歩む、正しく生活する賢者を得るなら
一切の困難を克服する
心にかなう念のある者として歩むように(328)

もし賢い友を
共に歩む、正しく生活する賢者を得ないなら
征服した王国を捨てた王のように
林中の象のように独り行け(329)

独りの歩みがより善い
愚者の中に親交はない
独り行け、そして諸悪をなすな
林中の象ように、少欲の象(ように)(330)


○意訳
もしも正しい生活している賢明な
友を得るならば共に歩め
それで一切の困難を克服して
心にかなう気付きある生活ができる(328)

もしも正しい生活している賢明な
友を得られないならば
征服した王国を捨てる王のように
林中の象のように一人歩め(329)

愚か者と付き合うよりは
独り歩む方が良い
林中の象のように悪をすることなく
求めること少なく独り歩め(330)


○一口メモ
これらの詩も本当に大切なことが述べられているのです。「一口メモ」では書き切れないのですが、その要旨を書いて見ましょう。既に述べましたブッダの教える智慧を増やす方法は次の四つです。1.善友に親しむ。2.正法を学ぶ。3.正しく考える。4.正しく実践する。

智慧を増やす目的は幸福になるためです。ですから幸福なることと智慧を増やすこととは同じことです。そで始めに善友と親しむと言うことが挙げられます。ブッダは善友と親しむことは仏道のすべてだとだとも言われています。なぜ、それほどに善友と親しむことが大切なのでしょうか?

人間はそれぞれ自分の見解に基づいて生きています。しかし、そうすると不幸になるのです。それらの見解は幸福を求めながらも、不幸になる生き方を選択する見解だからです。それらは自分の欲望を満足させようとする生き方だからです。自分の欲望が自分を不幸にするのだと人間は考えられません。それはブッダの智慧を学んだ人々だけが解かることなのです。ブッダの智慧を教えられる人が善友なのです。ですから、善友なしには人間は幸福になれないのです。

また、これらの詩では、親しむ人間はどのような人間であるべきか述べられています。「朱に交われば赤くなる」という諺にある通り、人間は付き合う人々の影響を受けるのです。ですから、付き合う人間を選択することは自分の生き方を決めることなのです。愚かな人々と付き合えば愚かな人間になります。賢い人々と付き合えば賢い人間になるのです。冗談ではありません。真剣な問題なのです。幸福になりたければ、賢い人々と付き合うべきなのです。ですから、329番の詩では「征服した王国を捨てる王のように」、そこまで愚かな人々を捨てるようにと述べているのです。

次に、この詩では、「愚か者と付き合うよりは独り歩む方が良い」と述べられていますが、この趣旨は「独り歩むことが良い」わけではありません。独り歩むのは最悪の場合です。愚か者と親しむよりは独りがよいということです。独り歩むのを恰好がいいと思わないでください。ブッダの智慧を教えてくれる善友がいない場合なのです。そのような善友がいなければ、幸福への道は発見できないのですから、それは望まれることではありません。幸い現代ではその気になれば、仏教のサンガは世界にあります。探せば善友は見つかります。インターネットでも探せます。このブログも道を求める人々の善友であろうとしています。このブログの読者はフランスにもアメリカにもスリランカにもいます。それらの人々の少しで役に立ちたいと思っています。

尚、これら328、329、330番の詩は3,4,5番の詩と共に、中部経典の第128付随煩悩経に掲載されています。ブッダがこの詩を述べた時の状況がわかります。


賢明な 友を得るなら それにより 心にかなう 生き方できる(328)

賢明な 友が得られぬ その時は 独りで歩め 孤象のように(329)

愚者たちと 付き合うよりは 悪をせず  求めることなく独り歩め(330)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにアップされていません。
2011年10月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*328~330.林中の象のように悪をすることなく求めること少なく独り歩め
http://76263383.at.webry.info/201006/article_26.html

*賢明な友を得るならそれにより心にかなう生き方できる
http://76263383.at.webry.info/200908/article_20.html

*賢い友が得られないならば独りで歩め象のように
http://76263383.at.webry.info/200810/article_11.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎年末年始も、ゴータミー精舎での自主瞑想会は常通り行います。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

カエルくん
2012年12月29日 04:56
おはようございます。
毎日ブログが楽しみです。
私にとって、正しい道に導いてくれる善友です。

一方で、私は良い生徒だろうか…、と自問します。
全然…というのがこたえです。
もっと真剣にならなくては、と思いました。
とも
2012年12月29日 11:08
おはようございます
ワンギーサ先生に質問いたします。
「朱に交われば赤くなる」家族同じ家に暮らしていればお互い受ける影響は大きいと思います。
もし、家族が愚か者であり一緒に暮らさなければならない状況の場合どうすればよいでしょうか?
ワンギーサ
2012年12月29日 14:30
ともさん。こんにちは。
お答えします。
家族の皆さんの状況が具体的にわかりませんから、
はっきりしたことは言えませんが、一般的に言えることは、
なんとか、家族と離れて生活する方法を考えた方がよいということです。
あすか
2012年12月29日 20:25
少し前だったら一人で
歩まねばならなかったでしょうに。
こうして世界中の皆様とともに歩める
機会に恵まれた奇跡に感謝です。

パーリ語、漢訳、各種日本語訳、
それぞれで読み比べるといろいろ
学びがあります。

世界各国語でというのは難しいですが
せめて英訳でダンマパダ読みたいなと
いいサイトを探していますが
残念ながらまだ見つけられません。
とも
2012年12月29日 21:33
ご回答ありがとうございました
なかなか難しそうですが、仏教で得た智慧を使って挑戦します。
ワンギーサ
2012年12月29日 23:48
あすかさん、こんばんは。
次のアドレスで英訳のダンマパダとパーリ語のダンマパダを読むことができます。
http://ccbs.ntu.edu.tw/new/lesson/pali/reading/gatha1.htm 

アドレスのgatha1.の1を2.に変えれば2番の詩になります。
うまく行かなければ、メールで質問して下さい。
こころざし
2016年01月14日 07:56
法友とご縁を持てる幸いを実感しています。その方(先生)の姿勢から学ばせて頂き、そして日ごろの実践に生かしています。
また道を求めている方に標識のようにガイド出来るようなそんな生き方が出来るように努めたいです。