出家者も 在家の人も 生き難い 輪廻を離れ 涅槃に向かえ(302)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
生徒は勉強や部活で大変ですが、
先生も授業や生徒指導で大変ですよ。
嫌いな友とも付き合わなければ、
生きている限り苦労は付き物だ。
この苦労から抜け出す道はただ一つ、
悟ってしまうことですよ。


○パーリ語原文と訳語

ドゥッパッバッジャン ドゥラビラマン
Duppabbajjaṃ     durabhiramaṃ,
出家し難い      悦楽し難い

ドゥラーワーサー  ガラー  ドゥカー
durāvāsā      gharā   dukhā;
住し難い      在家は  苦

ドゥッコーサマーナサンワーソー
Dukkho'    samānasaṃvāso,
苦       共住することは

ドゥッカーヌパティタッダグー
dukkhānupatit'  addhagū;
苦に陥る     旅人は

タスマー ナ    チャッダグー  スィヤー
Tasmā   na    c'addhagū    siyā,
それ故  ない   また 旅人で  ように
 
ナ  チャ  ドゥッカーヌパティトー  スィヤー
na   ca   dukkhānupatito      siyā .
ない また  苦に陥ること       ように


○直訳
出家し難い、悦楽し難い
住し難い、在家は苦
共住することは苦
旅人は苦に陥る
またそれ故、旅人でないように
また苦に陥ることのないように


○スマナサーラ長老 訳
出家は難しく好めない
しかし在家も同じく難しい
心合わぬ共棲(ともずみ)も苦しい
輪廻の遍歴もまた苦なり
されば苦の遍歴たる
輪廻の旅人にはならぬこと


○意訳
出家は困難で、楽しむこともむずかしい
在家の生活も困難で、苦しみです
共同生活は困難です
輪廻の旅人は苦難にあう
故に輪廻の旅人にならないように
苦難にあわないように


○一口メモ
「出家は困難で」です。私はテーラワーダ仏教の比丘(僧侶)として出家することはそれほど難しいことではないと思っていましたが、私が出家してから10年近くなるのですが、日本人の出家者はあまりふえません。初めはもっと増えると思っていたのです。結果的にも「出家は困難」だと言えるのです。理由はいろいろあります。自分の問題や家族などの環境の問題なのです。そして最後は決心ができないと言う問題もあります。具体的には、あまり書けません。

「(出家生活を)楽しむこともむずかし」とありますが、幸いなことに私は結構、出家生活を楽しんでいます。皆様のおかげです。

「在家の生活も困難で、苦しみです」、これについてはここに書く必要がないほど皆様は毎日経験していると思います。

「共同生活は困難です」、スマナサーラ長老の訳「心合わぬ共棲(ともずみ)も苦しい」の方が分かりやすいのです。これは出家も在家も同じですが、心合わない人々との共同生活は苦しいのです。多くの人々は自我のかたまりですから、心合う人は少なく、合わない人が多いのです。だから生きることは苦しみだと言えるのです。これは他人のせいではなく、自分の自我のせいで、他人も苦しめ、自分も苦しむのです。これを理解することは難しく、また理解できても自我をなくすことは難しいのです。

私は出家生活を楽しんでいると言っても、心合わない、考え方の異なる人々との共同生活は苦しいものです。ですから、このような時は、これは自我を捨てる修行だと覚悟を決めます。そうすれば、少しはましになります。しかし、本当に自我を捨て去らなければ、苦しみは消えないでしょう。

この詩の後半に「旅人」という言葉がでてきます。直訳では次の通りです。
「旅人は苦に陥る
またそれ故、旅人でないように
また苦に陥ることのないように」

この旅人は実際の旅人のことではありません。ですから「旅に出るな」と言っているわけではないのです。
生まれ変わり、輪廻を繰り返すことを「旅」と言っているのです。つまり「輪廻を繰り返すな」と言うことです。
輪廻を繰り返すことは苦しみであるから、輪廻から解脱しなさいと言っているのです。それはすべての煩悩捨てて、涅槃に至ることです。


出家者も 在家の人も 生き難い 輪廻を離れ 涅槃に向かえ(302)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
*隣の芝生は確かに青い ~不満を増やす妄想の悪循環を破る~
http://www.j-theravada.net/howa/howa178.html


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*出家は困難で楽しむことも難しい、在家の生活も困難で苦しみです。
http://76263383.at.webry.info/201006/article_7.html

*出家者も在家の人も困難だ 輪廻を離れ涅槃に向かえ
http://76263383.at.webry.info/200907/article_31.html

*出家は困難在家も困難輪廻苦痛脱輪廻
http://76263383.at.webry.info/200809/article_20.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎10月30日雨安居は終了しましたが、ワンギーサがゴータミー精舎に滞在中は
朝5時から7時まで及び夜7時から9時までのゴータミー精舎での自主瞑想会は
毎日行います。ふるって参加して下さい。但し木曜の夜は、瞑想会は休みます。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。

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この記事へのコメント

才木広之
2012年12月06日 05:26
望みは、執着をなくすこと。これだけです。どの道でも良いです。執着をなくす道を歩むのです。世間は僧侶になるのか?仕事はしないのか?僧侶に本当になれるのか?と聞いてきます。はっきり私から言えば、そういう事ではない。執着をなくす道を歩んでいたいだけです。完成させたいのです。しばらく辛抱してください。
あすか
2012年12月06日 09:59
たしかに在家生活も困難です。
この輪廻から早く卒業したいものです。
それまではワンギーサ先生が
出家生活を楽しまれているように
在家生活をよき修行の場として
精一杯エンジョイします。
カエルくん
2012年12月06日 18:07
こんばんは。
気のあわない人との共棲みは苦しいことを、実感しているところです。
私に我の強さがあるのがいけないんだ、と思います。
なるべく薄めていく努力をします。
ぱん
2012年12月06日 19:25
今日ひさびさに人生の万能薬、慈悲の瞑想を行いました。多くの在家、出家のおかげで、なんとか仏教を学ぶことができました。

現在、出家しようと考えているので、今日の一口メモは参考になります。縁あって出家できましたら、ワンギーサ師の力を借りる場面も多々あると思います。その時はどうかよろしくお願いいたします。生きとし生けるものが幸せでありますように。
もくぎょ
2012年12月06日 19:39
ここ最近、「さんげ」と言うのが大切なんだなと
もくぎょは、思うようになったのございます。

長老さまの法話にありますように「日々、気づか
ないうちに何か悪いことを必ずしていると思って
生活したほうがよいと思います。」グサッ

「必ずしている」と言うことにもくぎょは、気づ
かず過ごしていたのです。グサッグサッ・・・
イタタ、

それで今日はてくてくさんを見習い、懺悔するで
ございますぅ~。

天にまします我れらの・・あ、違ったピョン

「とんじんちに、おおわれて~~」

もくぎょの懺悔は、続く
MK
2012年12月06日 22:57
こんばんは。
スマナサーラ長老の解説では、不満を軸にしてこの詩を解説されているのだと思いました。
時々今いる自分の状況に嫌気がさすことがあります。今いる状況から逃げ出してしまえば、どんなに楽だろうと妄想します。
でも、それは結局、向こうの景色が奇麗に見えているだけで、実際逃げてしまえば結局苦しいだけ。
このことに気づけただけでも、有り難いことです。自分の置かれた環境から逃げるより、現実可能な行動を模索しようと思います。
てくてく
2012年12月25日 13:26
こんにちは。
てくてくも、もくぎょさんを見習い、懺悔誓願いたします。無明に覆われて犯してしまった数々の過ちを懺悔いたします。また、自らに受けた他の過ちを許します。慈悲の瞑想とヴィパッサナー修行によって積むことが出来た功徳をすべての生命に回向いたします。この功徳によって、生きとし生けるものたちが幸せでありますように。
もくぎょさんの願い事が叶いますように。
 (^▽^) 
SRKWブッダ
2014年09月05日 12:20
観(=止観)を為し、完成させる。口で言うのは簡単だが、本当に正しく観(=止観)を為し、さらに完成させるのは容易ではない。

懺悔(さんげ)したならば、解脱する。これは本当のことであるが、これは口で言うほど簡単なものではない。一大事に遭遇しなければ、その機縁さえ生じないだろう。想像で懺悔(さんげ)することは決して出来ないからである。

智慧を得て仏となる。これが仏教の要諦であるが、実際に智慧を得た人は数百年に一人あるかないかである。

それでも、こころある人は覚り(=解脱)を得ようと修行するであろう。その気持は立派であり、そうであればこそ覚りに至ると期待され得る。上っ面ではなく、本当に修行している人だけが、次のように思うだろう。

 『出家は困難で、楽しむこともむずかしい』

まさしくこの通りであるが、修行者は静けさを目指してゆっくりと邁進せよ。その先に、確かにニルヴァーナが存在しているからである。心が折れそうになっても、他ならぬ自分自身に打ち克て。しかしながら、これもまた口で言うほど簡単なことではない。人々(衆生)にとって、初歩的な階梯に達することさえ、容易ではないからである。

***
こころざし
2016年01月06日 07:46
日々色々な欲的なものに対応しながら、あーでもないこーでもないとさ迷いそうになる自分がいます。輪廻して人間に生まれる事が出来ても、同じ状況が続くと想像致します。
人間に生まれ修行が出来る環境を得られている今、是非解脱が出来るように精進したいなと心より思います。実際に成就できるかは・・ですが、とにかく今を大切にして・実践して参りたいです。