貪欲に 染まった人は 渇愛に からめられるが 賢者は捨てる(347)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
大切なものが悩みや心配の原因です。
クモは自分の巣が大切です。
クモが自分の巣を断ち切るように、
かしこい人は悩みや心配をなくすため、
大切なものを捨てるのです。


○パーリ語原文と訳語

イェー   ラーガラッターヌパタンティ  ソータン
Ye      rāgarattānupatanti      sotaṃ,
人たちは  貪欲に染まった 落ちる    流に

サヤンカタン  マッカタコーワ   ジャーラン
sayaṃkataṃ   makkaṭakova    jālaṃ;
自分で作った  蜘蛛の ように   網に

エータンピ  チェートゥワーナ  ワジャンティ  ディーラ
Etampi    chetvāna      vajanti      dhīrā,
これさえも  断ち切り      行く      賢者は
  
アナペッキノー   サッバドゥッカン  パハーヤ
anapekkhino     sabbadukkhaṃ   pahāya.
求めることなく   すべての苦を    捨てて


○直訳
貪欲に染まった人たちは流れに落ちる
自分で作った蜘蛛の網に(落ちる)ように
賢者はこれさえも断ち切り行く
求めることなく、すべての苦を捨てて


○意訳
貪欲に染まった人たちは渇愛の流れに落ち込む
蜘蛛が自分の作った網に逃げ込むように
賢者たちはこれさえも断ち切って
求めることなく一切の苦を捨てて進む


○一口メモ
渇愛はどんなものかを理解するうえで、蜘蛛の巣は適切な喩です。

蜘蛛の巣は蜘蛛が作ったものです。渇愛は人間(自分)が作ったものです。
蜘蛛の巣は蜘蛛にとって大切なものです。渇愛は人間(自分)にとって大切なものです。
蜘蛛の巣は蜘蛛にとって生きる糧なのです。渇愛は人間(自分)にとって生きる糧なのです。
蜘蛛は蜘蛛の巣になじんでいます。人間(自分)は渇愛になじんでいます。
蜘蛛は蜘蛛の巣から離れたくありません。人間(自分)は渇愛から離れたくありません。
蜘蛛は蜘蛛の巣を断ち切ることはできません。人間(自分)は渇愛を断ち切ることはできません。

蜘蛛は蜘蛛の巣から離れられないために、蜘蛛の巣に拘束されているのです。しかし、蜘蛛は蜘蛛の巣に拘束されているとは思っていません。蜘蛛の巣が苦しみ(不自由)の原因だとは思っていません。
人間(自分)は渇愛から離れられないために、渇愛に拘束されているのです。しかし、人間(自分)は渇愛に拘束されているとは思っていません。渇愛は苦しみ(不自由)の原因だと思っていません。

しかし、蜘蛛の賢者は蜘蛛の巣が苦(不自由)の原因だと知って、巣を断ち切って、巣から離れます。
しかし、人間の賢者は渇愛が苦(不自由)の原因だと知って、渇愛を断ち切って、渇愛から離れます。

以下の話はパティパダー2012年8月号のスマナサーラ長老の話からのパクリです。渇愛は蜘蛛の巣のように、六方に糸を張っています。それは眼、耳、鼻、舌、身、意の糸なのです。そこから蜘蛛が獲物が巣に引っかかったどうかわかるように、感覚器官の糸からの情報で渇愛が生まれます。渇愛成立の構造は蜘蛛の巣の構造と似ているのです。詳しくは上記パティパダ―をお読みください。


貪欲に 染まった人は 渇愛に からめられるが 賢者は捨てる(347)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにまだアップされていません。
2012年8月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*347.貪欲に染まった人たちは流れに落ちる、蜘蛛が自分の作った網に逃げ込むように
http://76263383.at.webry.info/201007/article_2.html

*貪欲に染まった人は蜘蛛の巣に逃げ込むのだが断ち切り進め
http://76263383.at.webry.info/200908/article_30.html

* 貪欲に染まった人は蜘蛛の巣にからまるが賢者断ちて進む
http://76263383.at.webry.info/200810/article_21.html



○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎1月12日(土)月例講演会があるため、夜の自主瞑想会はお休みします。

◎1月18日(金)の夜、1月19日朝及び夜の自主瞑想会はお休みします。
ワンギーサがマーヤーデーヴィー精舎における新年祝福法要に参加するためです。

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

まさこ
2013年01月10日 06:54

おはようございます。

内容と違うかもしれませんが、砂糖と油脂の取りすぎなのに、お菓子を食べてしまう。これも、ダメですね。淋しいけど断ち切らないと、もっと大切なもの手に入れられませんね。
あすか
2013年01月10日 11:53
蜘蛛の糸、見えてきました。
ちょっとずつですが。
眼や耳からの刺激という糸
舌や体感覚への刺激という糸
その都度ぷつん、ぷつんと切る、
つもりなのですが、あれれ。
繰り返し繰り返しがんばります。
カエルくん
2013年01月10日 19:03
こんばんは。
大切なものを捨てるといっても、たとえば通帳や印鑑をゴミ箱に捨てましょうとかいうわけではないんですよね(^^;
生きる糧として大切にしている物や人や技術に対する執着を手放しなさい、ということでしょうか。
一足とびに全ての執着を手放す魔法はないでしょうから、やはり六方に張り巡らされた渇愛を、生まれるたびに絶ちきっていくしかないのでしょうか。
ちょうどいま、親しい人のことで悩みがあり、今日の詩は大変勉強になりました。
こころざし
2016年01月18日 19:36
本文を拝見し、家族や家や等、蜘蛛の巣のように張っていて動けない今の状況を思いました。眼、耳、鼻、舌、身、意の糸でどっぷりと結ばれています。
そのような意図を断ち切ってそれらに執着しないように、そして渇愛を持たないように精進したいです。