前をすて 後を捨てて 中間を 捨てた人たち 心は自由(348)

○子供のためのダンマパダ。
・・・
きのうのことは、すんだこと。
あすのことは、まだこない。
きょうのことにも、こだわらない。
わたしに、悩みはなんにもない。

○パーリ語原文と訳語

ムンチャ  プレー  ムンチャ  パッチャトー
Muñca   pure    muñca   pacchato,
離れよ   前を   離れよ   後を

マッジェー  ムンチャ  バワッサ   パーラグー
majjhe    muñca    bhavassa   pāragū;
中を     離れよ   生存の    彼岸に達した

サッバッタ  ヴィムッタマーナソ
Sabbattha   vimuttamānaso,
一切処で   解脱した心の者は

ナ   プナン  ジャーティジャラン  ウペーヒスィ 
na   punaṃ   jātijaraṃ       upehisi.
ない  再び   生老に        近づか(ない)だろう


○直訳
前を離れよ、後ろを離れよ
中を離れよ、生存の彼岸に達した
一切処で解脱した心の者は
再び生老に近づかないだろう


○意訳(スマナサーラ長老訳)

未来を捨て、過去を捨て
存在のありさまを知り、現在も捨てる
一切より解放された者に、
すべてに心は自由で
ふたたび生老の流れはない


○一口メモ
この詩の直訳の「前を離れよ、後ろを離れよ、中を離れよ、」の前、後ろ、中は何を意味するのかが第一の問題です。前とは未来、後ろとは過去、中とは現在だと理解されています。未来と過去そして現在の存在を問題にしています。ですからこの詩は仏教の時間論・存在論に触れているのです。

未来は現実には現れていませんから、存在していません。また過去は既に過ぎ去っており、現在は存在しておりません。ですから未来も過去も存在していないのです。では現在はどうでしょうか? 現在、存在しているためには、そこに変わらない何かがなければなりません。しかし、変わらない何かはありませんから、現在は存在しているとはいえません。では現在は存在していないと言えるでしょうか。変化する何かはあります。ですから現在は存在しているとも、存在していないとも言えないのです。それは無常であると言うのです。

すべての現象は無常ですから、人間の頭のなかで存在と時間という観念が現れたのです。存在も時間とは観念なのです。あるのは無常だけなのです。

仏教では存在しない事柄(未来、過去)を心配したり、後悔したり、執着することは無意味で愚かなことであると教えています。また、現在は無常ですから、変化する事柄です。それについても、渇愛を持ち、執着しないように教えているのです。

人間は存在しないものについて悩み苦しみます。「少欲知足」と言う言葉は、あるもので満足して、無い物を欲しがらないということだと思います。ない物について欲を持たなければ悩み苦しみはないのです。未来や過去の事柄はない物なのです。またすべての事柄は無常で、変化するものですから、本来執着できないものなのです。執着できないものに執着するから苦しいのです。

「一切処で解脱した心の者」とは「一切より解放された者」と言う意味で、このような人は、悩み苦しみがなく、すべてに心は自由あるというのです。このような人は「生老の流れ」(輪廻)から脱して、輪廻を繰り返さないというのです。


前をすて 後を捨てて 中間を 捨てた人たち 心は自由(348)


○スマナサーラ長老のこの詩に関する御説法
この御説法は日本テーラワーダ仏教協会のHPにまだアップされていません。
2012年9月号のパティパダーの巻頭言に掲載されています。


○この詩の解説は次の記事を参考にしてください。
*348.前をすてよ、後ろをすてよ、中を捨てよ、悟りに達するならば
http://76263383.at.webry.info/201007/article_3.html

*前をすて後を捨てて中間を捨てた達人の心は自由
http://76263383.at.webry.info/200908/article_31.html

*前をすて後を捨てて中間を捨てた衆生の心は自由
http://76263383.at.webry.info/200810/article_22.html


○人生の万能薬(慈悲の瞑想)

私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)は(が)幸せでありますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の悩み苦しみがなくなりますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)の願いごことが叶えられますように
私(私の親しい人々、生きとし生けるもの)に(にも)悟りの光があらわれますように

私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)も幸せでありますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の悩み苦しみがなくなりますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)の願いごことが叶えられますように
私の嫌いな人々(私を嫌っている人々)にも悟りの光があらわれますように

*この言葉を毎日唱えると幸福になれます。


~~~~~お知らせ~~~~~

◎1月12日(土)月例講演会があるため、夜の自主瞑想会はお休みします。

◎1月18日(金)の夜、1月19日朝及び夜の自主瞑想会はお休みします。
ワンギーサがマーヤーデーヴィー精舎における新年祝福法要に参加するためです。

◎ゴータミー精舎では毎日朝晩、自主瞑想会を行っています。
朝5時から7時まで、および夜7時から9時まで。
但し、木曜日夜7時から9時までの自主瞑想会は休みます。
変更のある場合はこの「お知らせ」で、あらかじめ報告します。
詳細はワンギーサの携帯番号090-2311-9317に御連絡下さい。


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この記事へのコメント

まさこ
2013年01月11日 06:55

おはようございます。

過去の事を後悔し、未来の事を心配し、時間をずい分無駄にしています。今日の事にもこだわらない、結構難しいかもしれません。でも、わたしなりに、チャレンジしてみます。
あすか
2013年01月11日 11:58
過去と未来を手放す練習は以前に
比べたらだいぶ進んできました。

現在を手放す?
「今」自体が存在しない妄想である。
もしくは今執着しているものを手放す。
どちらにせよ、今まであまり
意識していなかったことなので
新たな課題としてとりくんでみます。
カエルくん
2013年01月11日 12:48
こんにちは。
いまさえ我慢すれば、明日は良くなるはず、という考え方は妄想なのだろうと思います。
いまはいまで満足できるような生き方を学びたいです。
ようこ
2013年01月11日 14:33
ワンギーサ様、
いつも悩んだりした時にこのブログを開くと答えがあります。導いていただいている、そう感じます。ありがとうございます。
昨日からささいなことでおちこんでいました。(今も笑)でも、今日ここに私を導いてくれる言葉がありました。昨日のことはすんだこと、今は存在していない。そうですね、自分の気持ち一つだと思いました。うじうじしていてもいいことなどありません。何事も受け止めた後は流すよう気をつけてみます。もちろん、起こってもいない未来のことなど考える必要はありませんね。いつも平常心でいられるよう努めます。。人間は欲と感情に支配されているとつくづくかんじます。
とも
2013年01月11日 20:53
今日のスマナサーラ長老の意訳、かっこいいです。
こころざし
2016年01月18日 19:41
今に生きる・・みたいな気持ちでいましたが、本文の「現在は無常ですから、変化する・・」を拝見し、今のいまも刻々と変化し続けている(自分と名付けている)ものを感じました。
刻々と変化するから、今を感じる事が出来るんでよね。
そんな変わっていく今を観察し、執着せず・渇愛を持たないようにしたいです。